Ⅱ-1-1自分自身が目前の空間を測るための模型Ⅰ
目前の景色(空間)を描く、つまり目に見えるものを模倣するというのが常套手段であり、普遍だという通念がある。
しかし若林奮は、《見えない空間を測る》そのための模型を作ったという。
対象を厳然と見えるものにするには見えるものに置換しなくてはならないが、見えないものの置換は出来ない。そこで作家は、見えているものの消去を測るという手段を考えたのだと思う。
見えているものを消去する、それは見えているものを死(過去)に還元していくという手法ではないか。最小限に形を留め死に至らしめる。つまり、時間を遡るということである。目前に見えている景色のずっと奥(過去)の時間を現在との同時性をもって図るという試作である。
故に緑の木々は鉄の錆色になり、元の形態を失うほどに建物や人も極端に単純化されているのではないか。見ている自身だけが現在形なのである(半分は地中に埋まっており、現実の立ち位置ではない視線である)
地下深くからは排水のような管が幾本も突出している。
大気の流れと水流の循環…地上に立つ人の感性である。目前の空間は時間を超えた循環のなかに在り、自身さえもその空間の中に溶解している。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展・図録より〕
真空溶媒
(Eine Phantsie im Morgen)ある幻想の朝
融銅はまだ眩めかず
白いハロウも燃えたたず
地平線ばかり明るくなつたり陰つたり
はんぶん溶けたり澱んだり
しきりにさつきからゆれている
☆神の句(言葉)は陽(光)を倍(多くする)
幽(死後の世界)を導(案内する)幻(まぼろし)を吐く。
捻(思い)は字で蔽(おおわれた)千(たくさん)の冥(死後の世界)の隠れた様(ありさま)を伝える。
それで、おそらくこれからも面会や尋問が縉紳館でおこなわれることを我慢するしかあるまい。というのは、城の人たちは、村では職務上のことで縉紳館から外に出ることを承知しないからである。
☆予想される相談や尋問に、ハロー(死の入口)にいる大群(死者たち)は、耐えねばならない。終末(本当の死)では彼ら(死者たち)がハロー(死の入口)から去ることを拒むからである。