Ⅱ-4-d1
二人の人間がホールを覗き込んでおり、その地平は穴(ホール)のずっと(図りしれないほど)高みにある。地平は安定しているものと信じているが、必ずしもそうでなく、危ういとさえ言える場であると提示している。
暗示的、説明的なスケッチである。
わたし達は常に脅かされている存在であるにもかかわらず、大地にしっかり根付いて暮らしていると思い、あるいは思うしかない状況に置かれている。
その不安やそのための安全確認は、単にホール(危機の予感)を見つめているにすぎず、その他の術を持てない。
『飛葉と振動』、飛葉は樹を離れ「死」に至る時間であり、振動は現象として「生」の時間である。この基軸を把握した上での作品群である。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展/図録より〕
おれはやつぱり口笛をふいて
大またにあるいてゆくだけだ
いてふの葉ならみんな青い
冴えかへつてふるへてゐる
いまやそこらはalcohol瓶のなかのけしき
白い輝雲のあちこちが切れて
☆講(話)の的(目的)は他意にある。
陽(日の光)は照(在満く光が当たる=平等)である。
差(違い)を憫(可哀想に思う)と吐く記を運(めぐらせている)説(話)である。
だから、縉紳館のなかを居心地よくしておきたいという理由だけで、役人たちに一時的にむかいのべつの建物に書類もろとも移ってもらおうというような注文は、時間をつぶさせるだけであって、とても容れられることではない。
☆だから、大群(死者たち)のハロー(死の入口)の中で、居住者(死者)同士の平安という理由だけで、彼らをほかの何かある言い争いの上に別のところで何か書いた物などすべてと共に移ってもらおうというような考えは、時間を失いだけである。