1-5-8 振動尺試作Ⅱ
角柱を斜めにカットし、床面(地面)に固定するような装置が前後に付いており、中間は正確な間隔に刻まれている。斜めのカット面にはランダムに凸があり何か接続を暗示しているようでもある。
という試作・・・振動を心理的に解析すると、あらゆる形態が表出する。ビルの谷間や山岳・野原・海原などあらゆる形態の尺が想定できる。
風(空気の流れ)は、おおむね横の方向だが、雨(水の流れ)は上から下への方向性を持つ。そして、振動は総て大地(地殻)との響き合いの中に生じる。
振動という波長を物量をもって解析する試みを聞いたことがないので、心理的な変換方法(機関)の提示には、疑惑が付きまとわざるを得ない。
例えるならば《こうであろう》《いや、こうかもしれない》という試作は、重みをもって鑑賞者に衝撃を与える。
(写真は神奈川県立近代美術館〔若林奮『飛葉と振動』展・図録より〕
からだを草に投げだせば
雲には白いとこも黒いとこもあつて
みんなぎらぎら湧いてゐる
帽子をとつて投げつければ黒いきのこのしやつぽ
ふんぞりかへればあたまはどての向ふに行く
☆総てに等(平等)は運(めぐる)、と吐く。
告げる幽(死者の世界)の貌(姿・外観)
死は等(平等)である、と告げる考えの講(話)である。
あるとき、ある役人がそのことをお内儀にたずねられて、「玄関口の階段をよごすためさ」と答えた。おそらく腹だちまぎれの返答だったにちがいないが、お内儀のほうでは、なるほどと思いこんで、それからはばかのひとつ覚えみたいにこの言葉ばかりもちだしてくる。
☆あるとき、先祖の傷痕をもつ死人たちは彼女にたずねられて「一族の遭遇した貪欲さのためさ」と答えた。たぶん不快な思いをし、それからは、これを喜んで言い放つようになったのは明らかだった。