裸婦に落ちた影を見ると、真上からではなくごく低い位置からの光源であることが分かる。つまり、早朝か夕方の陽の低い時間帯である。(南中を真上に見て右からの光であれば夕陽)
『夜会服』という言葉からくる《夕》、三日月の南中《昼》、光《朝or夕》を考え合わせると、すべての時間が含まれており、逆に時間の否定と思われる。
画は、水平線と裸婦が十字に交わった構図である。そして頭上に月(太陽による明かり)を抱いている。これは、非常に神秘的であり崇高なものへの祈りと感謝を感じる。
『夜会服』(The Evening Gown)というタイトルには《夕べの祈り》という響きを感じてならない。
《大いなるものへの崇拝》、マグリットの信奉である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)
林のやうな象だらう。汽車より早くやつてくる。
林はリンと読んで、倫。
象はショウと読んで、衝。
汽車はキ・シャと読んで、記、赦。
早くはソウと読んで、総。
☆倫(人の行うべき道)の衝(重要なところ)の基(根本)は、赦(罪や過ちを許すこと)が総てである。
こころならずも、夜間だと事件を昼間よりも個人的な観点から判断しがちになってしまうのです。陳情者の言い分が、不当なまでに重みをもってしまいます。そうなると、陳情者のそれ以外の状況や悩みや心配ごとにたいする配慮が、判断のなかへ全然はいりこんできません。
☆死の事情というものは私的な見地から判断しがちです。関係者(死者たち)の申し出が大変重要になります。判断には、関係者の昔の境遇での我慢や杞憂に対する配慮は全く入りこみません。