続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『傑作あるいは地平線の神秘』

2019-03-18 07:01:18 | 美術ノート

   『傑作あるいは地平線の神秘』

 三人の男の頭上にはそれぞれ月が描かれている。一つの時空に三つの月が出現、並ぶことがあり得ない。
 光景はどうやら夕刻のようで、景色は仄暗く残照の景である。にもかかわらず三日月は南中しているのには矛盾がある。地平線の近くに見えることが自然であり太陽の光を受けているのであれば更に傾くはずである。

 夕刻に真昼にあるべき月が頭上にあるのはおかしい。
 三人の男はそれぞれ(南・東・西)を向いている。すなわち《朝・昼・夕》であり、陽のある一日の時間帯を示唆/暗示している。

 地平線に対して直立している三人はそれぞれ地平線に対して十字を切っている。
 頭上の月は太陽の光を受けて見えるものである。

 存在への大いなる感謝ではないか。
 地平線という一本の線条に垂直に立つ男は月(太陽の光)を抱ている。これは大地に生きる者の《大いなる祈りの形》である。

 物理における否定あるいは矛盾から導き出された精神的な肯定には《大いなる神秘への崇高なる祈り》が隠れている。
 マグリットの自然崇拝、信奉の要である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図より)


『オツベルと象』72

2019-03-18 06:29:03 | 宮沢賢治

さあ、まるつきり、血の気も失せてかけ込んで、
「旦那あ、象です。押し寄せやした。旦那あ、象です。」と声をかぎりに叫んだもんだ。
 ところがオツベルはやつぱりえらい。眼をぱつちりとあいたときには、もう何もかもわかつてゐた。


☆訣(人との別れ/重要なところ)の記の質(内容)は個(一つ一つ)の譚(話)に納められている。
 照(あまねく光が当たる=平等)の奥(おく深いところ)は、記の譚(話)に納められている。
 章(文章)の照(あまねく光が当たる=平等)は教(神仏のおしえ)であり、要は化(教え導くこと)である。


『城』3148。

2019-03-18 06:10:08 | カフカ覚書

陳情者と役人とのあいだの必要な柵が、外面的いはちゃんと存在するのですが、ついそれがゆるんでしまって、ふつうなら質問と返答のやり取りんがきちんと行われなくてはならない場合にも、ときとして一見相互の立場が入れかわるというような、奇体な、何とも困ったことにもなってしまうのです。


☆陳情者と役人の間でひっくり返ることのない制約があり、不正確な現存などは重要でないかもしれず、厳密でもないのですが、その上さらに質問と返答に基づいて先祖の奇妙な幾つもの傷痕が見えてくるのです。完全にまったく不適切な人の入れ替えが実施されています。