続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞デュシャン『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』③

2019-05-08 06:54:54 | 美術ノート

 無彩色に近く、色から見えるイメージを極力消している。数多の大理石の一つが仮に赤く塗られていたら景色はすっかり変わり印象や意味は変化を余儀なくされてしまう。ゆえに、敢えて砂漠のような無機的な景色をコンパクトにまとめている。
 鳥かごは鳥かごに見えず、鳥かごの有効性を失っている。では何でもよかったかと言えば、選択には意図があり鳥かごのイメージを最小限に留めつつ鳥かごという生を入れるべき領域(空間)に固執したのではないかと推測される。

 そしてその有効性を打ち消すために他の対象物を混入させ、見る者の学習された眼差し(観念)に亀裂を生じさせている。
 イカの甲や小さくカットされた大理石、温度計などは時間に伴う変化が極めて少ない。鳥かごもその類に近く、不滅とは言わないが、酸化による影響を受けにくい物の集合体(寄せ集め)である。
 質量は不変だが、見える景色は揺らすだけでも変動が見られ、不変ではない。

 この作品は両手で捧げ持ち、相手に差し上げられる程度の質量(風袋)であり、他者に向かっている。しかし、『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』と、自身への応答である。
 意図せず出てしまう《くしゃみ》という生理現象、しかもローズ・セラヴィという自身に潜む他者への呼びかけは、自分であり自分ではない。

 ここにあるのは《大いなる矛盾/不条理》であり、《存在の原風景》である。


写真は(www.taschen.com)より


『セロ弾きのゴーシュ』12.

2019-05-08 06:40:12 | 宮沢賢治

またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことにはこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたやうにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考へるふりをしてゐました。


☆瞥(ちらりと見ると)図りごとが普く現れる。
 魂を化(教え導く)講(話)である。