続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

お天気最高!

2019-05-09 09:08:07 | 歩こう会

 やっぱり晴れた日は嬉しい。
 昨日の「歩こう会」は早朝横須賀線の事故により急遽JR鎌倉駅集合を京急新逗子駅にに変更したものの、澄んだ青空、そよぐ風の心地よさで不具合のある歩行も何とかクリアー。2万2千歩越えの快挙、逗子・鎌倉を歩いた。(ちなみに何年か前の山越え二つをメンバーの高齢化のため省略、リーダーたちの御配慮に感謝)

 故赤木圭一郎のお墓があるという長勝寺では和服姿の美しいご婦人に遭遇。
「今日が赤木圭一郎さんの80才のお誕生日なんです」とのこと。80才!思うところがあって深くため息をついたさりげない会話。
「今日は何のご用でしたか」と伺うと、このお墓参りのためだった由。美しい方の際立つ盛装・・・自身のだらしない日常を恥じたことでした。Ah…。

 とにかく歩く。お荷物のわたし、ホントごめん。メンバーの皆様ほんとうにありがとうございました!

 百名山目指してあと少しというメンバーもいらっしゃる。チアリーダーの世界大会を目指す孫に「負けてられない」と。
「すごいわ、あなたのご両親て、なになさってたの?」
「普通の人だよ、でも父は棒高跳びの選手だったわ」(…スゴイ、凄すぎる)
 唖然、呆然・・・運動に縁のなかったわたし、アスリートは輝ける宝石。眩しくて目がくらみそう、でも元気もらうわ、ありがとう! 


🈞デュシャン『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』④

2019-05-09 06:55:02 | 美術ノート

 角砂糖型の大理石に意味はあるだろうか、用途の不明な加工である。
 ただ、白く小さい物の集合は重量感に乏しく、逆を言えば軽い印象を受けるのではないか。
 しかし存外、想像以上に重いという意外性(イメージの裏切り)がある。
 大理石自体は動かぬものというイメージがあるが、この小さな鳥かごの中では外部の力が加わることで簡単にその形態(配列)は崩れ、二度と同じ形態(景色)に戻ることはないという不可逆性がある。

 鳥かごにしてはかなり小さな部類である(11.4×22×16センチ)、一時的な保護としての空間であり、生息は困難に違いない。しかもこの場合、目的を外した対象物の混合であり、意味を失っている。
 鳥かごに必然性はあったろうか、呼吸をするもの(生物)のエリアという潜在意識(固定観念)を微かに醸し出していることは否めない。むしろ前提条件として必須だったかもしれない。

 イカの甲はカゴから飛び出しており、自由な逃避を認める景色であるが、もちろんイカの甲・大理石・温度計などは生命を持たず、その意思が生じることはない。
 鳥かごは開いている、しかし、その開放に準ずる意思の存在は皆無である。
 生命(エネルギー)のない物体に温度計は無用である。

 無用、矛盾の混濁をコンパクトに置換したこの『ローズ・セラヴィよ、何故くしゃみをしない?』という作品は、存在の意義に対する無言の抵抗・反感である。


 写真は(www.taschen.com)より

 


『城』3178。

2019-05-09 06:39:15 | カフカ覚書

が、完璧であるがためにこういうこともあるのです。つまりですな、だれであろうと、なにか請願することがあるか、その他の理由で尋問を受ける必要がある場合、すぐに一刻の猶予もなく、たいていは当人がまだその問題をよく考えてもいないうちに、それどころか、まだそんな問題があろうとも気づいていないうちに、いきなり呼出しを受けてしまうのです。


☆完全無欠であるがためにこういうことがあるのです。そもそもすべての人にぴったり合うのか、あるいは始まる以前からさえも尋問する必要があるのか、ためらうことなく、それどころか、この件は準備されたものであり、それより尚以前に、すでに召喚されているのです。