道、直線で敷かれた道、即ち人為の道である。手前は大いなる開かれた空間であり混沌としているかもしれないが共通の認識がある。
しかし人は必ず究極の岐路に立つ、立ち止まる覚悟のX地点がある。その点より続く道がない、そういう時空であり、それを(死)と呼ぶのかもしれない。
両脇の壁の上部が描かれていないので、道を三次元で見る術に欠けている。上りか下りか平坦かの勾配が不明である。不明の道、自分の持つ情報量により判断される道でもある。
物理的な時間と空間は変化していくように、精神的な時空にも開放と閉塞がある。緑色(活性)から朱色/枯葉色(衰微)へと幾重にも重ねる時間を生きるが、終末、断絶は必至である。
道の長短、勾配は見えない。歩く(生きる)ことによって収縮を測られる道は運命という不確かな未来を暗示する。ドローイングは自然に還ることを示唆しつつ人智ゆえに切り拓かれた道を提示している。
驚くべき雰囲気を潜ませた振動(時空)の所有である。
写真は『若林奮 飛葉と振動』展・図録より 神奈川県立近代美術館