続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット《親和力》

2015-10-02 07:12:44 | 美術ノート
 鳥籠の中に鳥ではなく、巨きな卵がはいっている光景。

 鳥は卵を産むが鳥本体より大きいということは有り得ない。自由や永遠とは程遠いが、鳥籠の大きさは、少なくとも生命を維持する程度の空間がある。ゆえに鳥籠の大部分を占める大きさの卵は有り得ない。

 卵が鳥籠の中で立って置かれているというのもあり得ない。(どちらかに傾くのが自然である)第一どこから入ったのか(入れたのか)という問題もある。

 鳥籠を下げるための装置も奇妙な拘束力のイメージがある。しかし、それさえも一本の棒に支えられているという不安定さである。この棒を含む鳥籠の周囲の装置は左右対称の態をなしているがそのピルボケめいた装飾と共に、意味をなしていない。

 左右対称に見えるピルボケめいたものは、よく見ると多少の差異がありその位置関係もわずかに右にずれ込んでいる。アーチのフックの位置も右に寄っているので鳥籠はわずかに左に傾いている。
 しかし、下部を見るとわずかに右に傾いている…しかも下の横棒は単に見せかけの連結の可能性がある。重力に寄り縦方向の連結は接着していなくとも下への力を発揮するが、横の連結は個々のものが下への力を持つので落下の力が働く、つまりこの絵では静止しているが、描かれた対象物は時間の経由と共に崩壊の危機を孕んでいる。
 力の作用に不具合がある、この状態が成立するのは無重力空間のみではないか。重力圏に生きる人間にとって、無重力空間は不条理に過ぎない。


 左右のピルボケめいたものは男女(♂♀)を暗示しているのかもしれない。ピルボケめいたものは丸いトップを持つのでそれが頭部を喚起させ、人を想起させる。(肉体を持たない人型は、死後の人(幽霊)を連想させ、木の枝が出ていたりする図では再生を思わせる)
《親和力》何の反応だろうか・・・生命の誕生、連鎖。

 この物は当然安定した着地点の上にあると思い込んでいるが、全体の大きさに比して脆弱とも思える一本の刻みのある棒は果たして安定を保てるだけの強靭さを持っているのだろうか。傾いている位置エネルギーを凌駕できるとは思えない。


《親和力》常なる危機を孕む状況における生命の連鎖。卵は《未来》であれば、雄雌(♂♀)の危うい関係の中で引き継がれていく永遠なのかもしれない。明るい展望というよりは悲観の混じる予兆である。
 鳥籠は拘束なのか、守護なのか・・・。卵は未来か、結果か・・・。

 渾沌・錯綜は条理なのだろうか。


(写真は『マグリット』㈱東京美術より)

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