『自転車の車輪』
シンプルであり美しくさえある。しかし、この単純平易な物には機能性が欠如している。この物をいくら回転させてもエネルギーは放出されるばかりで、実用的な運動エネルギーが生み出されることは絶対に無い。
この自転車の車輪をあたかも象徴のように提示することの意味とは何だろう。
動かす(回す)ことの無為は虚脱感を生じさせる。《無意味》が生み出す《空漠》、存在しているが生産性のない無のようなものである。
この自転車の車輪は、鑑賞者に感動を与えるだろうか。奇異なものとして、ちょっと悪戯に回転させることはあるかもしれない。しかし、それきりであリ、その場を立ち去るほかはなく(何を見ただろうか)と反問することもないのではないか。
しかし、展覧会場という《場》に於いてのみ、自転車の車輪(レディメイド)と鑑賞者のあいだに奇妙な空気が生じる。
《無窮の無為》の衝撃である。
泣くことも笑うことも許されるが、やがて沈黙するしかないしじまに襲われてしまう。
地球の回転を宇宙の彼方から見れば、単に自転車の車輪ほどのものではないだろうかと・・・。
(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社刊)
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