続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

ちょこっと読書(村上春樹)④

2014-08-31 06:45:32 | 現代小説
『中国行きのスロウ・ボート』
 スロウ・ボート(貨物船)・・・船は貸しきり、二人きり・・・(古い唄)のイントロ。

 最初の中国人に出会ったのはいつのことだったろう?
 この文章は、そのような、いわば考古学的疑問から出発する。

 おや、この人は何が言いたいのだろう?という不可思議な疑問からこの文章(作品)を読み始める。読み終えた後に、考古学的疑問の意味が判明する構図に気づくという円環の物語である。端的に言えば、日本人も中国人もアジア民族であり、DNAを辿るまでもなく同胞である。Same.Sameであるのに、なぜ奇妙な違和感があるのだろう。戦争のもたらした亀裂、国という組織の中の茫漠とした意識が見えない壁を作っているのかもしれない。

 三人の登場人物はそれぞれ僕と同じ感想を抱いている。正義・博愛・平等を小学生に噛み砕いて教える教師は「わたくしはこの小学校に勤める中国人の教師です」と言い、二人目の女子学生は、彼女は自分が中国人だといった。そして三人目は高校時代時代のクラスメートであり、後日(二十八才)喫茶店で声を掛けられるが、どうしても思い出せない。しかし「中国人専門なんだよ」「同胞のよしみというやつで・・・」という言葉から彼に対する記憶が甦る。

 三人とも本人の発言がなければ、中国人であるという認識は生じないほど、まるで違和感がない。
 教師は床に引きずるように軽いびっこをひき、杖をついている。(四十歳未満に見えたが戦争に起因する支障かもしれない)
「顔をあげて胸をはりなさい、そして誇りを持ちなさい」と試験場として仮にやってきた日本人生徒たちに教える。これは中国人生徒たちにも共通に教えている《人としての生きる姿勢》に違いない。
 女子学生は、僕のとんでもない失敗(逆回りの山手線に乗せてしまった)に「気にしなくてもいいのよ。こんなのこれが最初じゃないし、きっと最後でもないんだもの」と言う。しかし彼女の瞳からは涙が二粒あふれ、コートの膝に音を立ててこぼれた。
 二粒の涙が音を立てることはないと思うが、それを見た僕の衝撃の大きさである。
「そもそもここは私の居るべき場所じゃないのよ。ここは私のための場所じゃないのよ」と言う彼女の手を取り、僕の膝のうえに乗せた。この失敗、この立ち位置(状況)をうまく説明できないでいるうちに分かれた僕は二つ目の誤謬に気づく。連絡先を書いた紙マッチを捨ててしまい再び会う手段を失ってしまったのである。
 三人目のクラスメートは、中国人であるゆえか、中国人相手の販売業で生計を立てているらしい。育ちも悪くないし成績も僕より上だったにも拘らずである・・・。語りべの僕も借金を抱えている身であるが。

 条理なのか、不条理なのか・・・まるで同じにしか感じられない人が背負う国というエリアの意味。
 誤謬こそが僕自身であり、あなた自身であるならば、どこにも出口はない。
 緑なす草原を想いながら、空白の水平線にいつか姿を現わすかもしれない中国行きのスロウ・ボートを待とう。もしそれが本当にかなうものなら何も恐れずにささやかな誇りを持ってそれを待とう。

 誤謬、曖昧さ、喪失と崩壊に揺れる心情の不確かさ。見えない罅、亀裂。
 世界は一つのはず、僕は東京と言う街の中で中国を夢想し、一つの暫定としての中国を放浪する。
(しかし)

 友よ、中国はあまりに遠い。

 村上春樹はごく平易な言葉で、ひどく難しい曖昧さを解こうとしている。だから読後は、その揺れているような感覚に酔ってしまっている自分の出口が見つからない。

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