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『前兆』
洞穴(前近代的な人口屈)から白く輝く鷲の頭部に酷似した部分を持つ山嶺を見ている。
前兆、いったい何の前兆なのだろう。
鷲を模した山嶺は、あたかも今すぐ飛び立とうとしているような気配を感じるが、山が空へ飛翔するなどということはあり得ず、むしろ前兆は崩壊を予期するしかない。
イメージとしての飛翔、現実的な予想としての崩壊。
飛翔(上への浮上)と崩壊(下への落下)、想像上の引力が働く。
視点は暗い洞窟の中にあリ、手前の樹林の介在は景色全体の壮大さを表すと同時に山頂が不毛(空虚・空論)であることを印象付けている。
しかし、鷲を模した山嶺は羽を大きく拡げ、多大なエネルギーの潜在をも感じさせている。
そして、山の持つ意味を変換(重複)させている。
洞窟という素朴な遠眼鏡をもって、錯視を受け入れる心理。
『前兆』というのは、現実を錯視から洗脳へと導くような強い力の潜在を暗示しているのではないか。心理の揺れ、人は現実を見ながら仮象を感じ、仮象を現実に置換する前兆を意識下に潜在させているのではないかという問いである。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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