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『自由の入口で』
『自由の入口で』ということは、こちらは自由でないエリアということなのか。
一見すると、鑑賞者はどこに立っているのかと錯覚するほど壁(平面)ではなく偽空間そのものである。描かれた天井、描かれた床面、正面・左右のパネルはそれぞれマグリットの作品であり集合である。
マグリットの目指していた世界は即ち『自由』への解放、束縛の霧消にあり、それぞれはその断片だったのかもしれない。それぞれにはマグリットの執念が込められている。
マグリットの思いの集積。それらが自分の中で観念化してはいないか、という疑念、それらを用意された砲台で一撃する。
爆破という《大いなる肯定》こそ、自由への扉である。見出した、見出された思いに執着しないこと。
『自由の入口』は、常に自身の目の前にある。自身の作品(信条)への突撃、この一線が自身(マグリット)の最大の課題であったかもしれない。
写真は『マグリット』展・図録より
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