続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『水浴の女』

2015-08-06 06:59:06 | 美術ノート
 『水浴の女』、確かに水着らしい着衣である。身体の線をあらわにした女が寝台の上に横たわっている。枕に肘を付き、こちらを正視している。
 初々しさが漂っている、そして、どこか力強く理性を感じさせる上半身。下半身は淫靡ではないがなまめかしい。無防備と言ってもいいかもしれない。
 清楚な乙女の魅惑に猥雑さは微塵もない。カーテンがあり部屋の開口部があるということは室内である。
 窓外には、波打ち際と砂地、そして海の水平線。空は決して晴れてはおらず薄く影が差している。
 風一つない無風の空間、白い直方体の上には彼女の顔の数倍もある大きな球体が乗っている。否、少し風はあるかもしれない、右端のカーテンが内側になびいている。


 これが『水浴の女』と題した作品の条件である。
 丸い球体は、微風によっても、いずれ落下する予感を秘めている。球体は傷のない完全を意味し、真理の具現だと思うが、それが揺れる予感を孕んでいる。


 そもそも水浴の意味は何か、水浴であれば泳ぐというのとも違う。水を浴びれば当然濡れる。そういうことだろうか。

 女が女になる予兆・・・男の側から見た処女の光景かもしれない。

 人類の連鎖、歴史の始まり。清冽な劇場のプロローグである。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)
 

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