続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『人間嫌いたち』

2015-04-26 06:32:15 | 美術ノート
 カーテンの林立。もちろん非現実、イメージの世界である。
 地平は低い、カーテンは巨大なまでに空に伸びている、しかもカーテンの材質を拒否した形態である。確かにカーテンは吊り下げられてこのような形態を保つが、カーテン自体に立ち上がるような生体機能はない。
 この林立は魂を持ち闘争的でさえある雰囲気を漂わせている。並べてこちらに向かい、足音が聞えそうなほどの圧迫感がある。
 空は曇天、陽は射さず暗雲が立ち込めている。しかし嵐の予兆というのでもなく日常的な不安・不吉の外気である。

 『人間嫌いたち』という題名。人間嫌いはどこに?
 通常、作品のテーマは作品の中にある。この林立のカーテン(複数)は擬人化されたものなのだろうか。
 カーテンの特質を考えてみると、閉じるものであり、隠すものであり、隠れるものでもある。カーテンはタッセルが掛けられ開いている。(もしタッセルが無い場合、カーテンとは認識し難い)
 ほんの少し開いているカーテンの林立ということが妥当だと思う。

 人間嫌いたちの心理・・・少し開いたカーテンの隙間から外界を覗く。ずっと遠くまで幾重にも張り巡らした心のバリア(カーテン)、天にも届く高さである。しかし、全くの孤立や厭世主義でもない。世間との交流は図りたいが、オープンなお付き合いは遠慮したい。人間嫌い(世間に不信を抱くもの)としては、少し開いたカーテンの隙間から世間を覗くことで精一杯である。

 作品の主題である人間嫌いたちは、作品の外に存在する不特定多数である。
《人間嫌い、それは、わたしである》とマグリットは苦笑する。自分を含む人間嫌いたちの心理は正にこの通りである。(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

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