続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

老いの見聞録。

2014-08-25 07:01:02 | 日常
 誕生した以上は必ず一人残らず「死」を迎える。この例に背いた者は未だかって聞いたことがない。

 賢治流にポッと点いて消えてしまう現象だと捉えればいいのかもしれない。けれど事はそう簡単にはいかず、悩んだり、迷ったり、覚悟したり、あらゆる試練を強いられる。
 老人は日向ぼっこなどして呑気に居眠りでもしているように見える。見えた、と言った方がいいかもしれない。いざ自分が老人のエリアに仲間入りしてみると、静かにも雄雄しく闘っているのだということが分かる。

 いずれ迎える死というものは、突発的な事故は別として大抵はあちこち綻び病んでいくプロセスを通過しなければならない。昨日まで歩けても今日は転倒のために支障を来すなど、不意を襲われるというケースは稀ではない。
 不意の襲撃、突然の宣告を恐怖して待っている。
(そんなに長くはないだろう)という時間の切迫は、人を緊張させる。やり直し、修正の余裕はないように錯覚する。
(何をやっても間に合わない)という落胆。

 
「まあ、気楽に考えましょう。やれるまでやる!それしかないもの」と言ったら、
「そうよねぇ、お金を持ってあの世に逝かれるわけじゃなし、使うことにしたわ。歩けないと思ったらタクシーに乗る。たかが千円程度で迷うことなんかないわ。近頃はね、バスなんて待ってられないから、そうすることにしたの」と、先輩女史。
「でもね、あまりにも近いところはタクシー呼べないわね」と、わたし。
「そうなの、だから杖を付いて足を引きずってコンビニへ行くの」と、彼女。

 情けない会話を情熱的に語る、真にこもった切実な吐露。
「八十四歳ですもの」と、笑った傍らを、九十四歳のKAさんが足早に通り過ぎていった。

 人間最後の勝者は・・・あぁ。

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