続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『春と修羅』④

2018-01-22 06:32:16 | 宮沢賢治

 ZYPRESSEN 春のいちれつ
  くろぐろと光素を吸ひ
   その暗い脚並からは
    天山の雪の陵さへひかるのに
    (かげろふの波と白い偏光)
    まことのことばはうしなはれ
   雲はちぎれてそらをとぶ


☆ハロー(光輪)は恒(一定している)。
 蘇(よみがえり)の闇(ひそかな)客(旅人)を蔽(見えないようにする)。
 転(転換した)太陽の説(話)である。
 両(二つ)を把(つかみ)、吐く。
 片(二つに分けたものの一方)の講(話)を運(めぐらせる)。


『城』2867。

2018-01-22 06:19:49 | カフカ覚書

ある本でなにかをいそいでしrべようとしたdけのことで、すぐまた出ていってしまいました。わたしがいつmでも動かないものですかr、しまいに従僕が箒で掃きださんばかりにして、わたしをドアの外に追いだしました。


☆彼はただ迅速に(統一する本)を調べ再び出ていったのです。最終的に従僕(死)に向かわせ、わたしは常にほとんど動ぜず(企み)を凝視していました。


几帳面

2018-01-19 07:21:37 | 漫画

 わたしは何でもやりっぱなしのだらしない性格だけれど、伯母は几帳面で、だらしない置き方が、よその家でも気になって仕方がなかったらしい。こちらは伯母がなにか重大なことでも話すのかと身構えてしまった。


若林奮『VALLEYS』⑤

2018-01-19 06:56:29 | 美術ノート

 VALLEYS・・・《個》の風景であると同時に《他者》との競合でもある。
 視界(風景)は、常に他者(対人・対物・世界)との触れ合いにある。《個は世界/他者)のなかの個》であり、《個の中の他者》である。

 VALLEYSの構造には、向かう空間であると同時に、向かってくる空間(もう一つの)があり、向かってくる空間においては一つに集約されるが《数多》を孕む世界でもある。

 VALLEYSの世界観は見通せるが、決して見通すことの出来ない深淵の闇(空間)が付随していて、天空(未来)に開けているが、地下深く滑り落ちるような恐怖(時間/過去)が隠れている。
 VALLEYSはその抽象を物量に変換、見える構造に置換するという仕事だと思う。


(写真は横須賀美術館(若林奮『VALLEYS』より)


『春と修羅』③

2018-01-19 06:44:58 | 宮沢賢治

 砕ける雲の眼路をかぎり
  れいろうの天の海には
 聖玻璃の風が行き交ひ


☆済(救い)を運(めぐらせている)。
 現れる字を展(ひろげて)解(わからせる)
 照(あまねく光が当たる=平等)は理科(物事の筋道)であり、普く光の講(話)である。


『城』2866。

2018-01-19 06:24:03 | カフカ覚書

わたしは、いちばんおそくまで官房に残っていて、とうとうわたしと従僕たちとだけになってしまいました。うれしいことにクラムがもう一度もどってくるのが見えたのですが、わたしのために引きかえしてきたのではありませんでした。

☆クラム(氏族)を見ると、長く官房(死)に残り、来世では従僕(死人)となったのです。やはり先祖の傷痕は異常であり、クラム(氏族)は、わたしのためではなく観察のために帰って来たのです。


若林奮『VALLEYS』④

2018-01-18 06:54:41 | 美術ノート

 道(視界)に立ち、道を見るときの感慨。
 進もうとすれば道はどこまでも在る(造られる、出来る)、しかしそれはあくまで自然との競合である。
『VALLEYS』、それは自然の猛威・歴史によって形成された形態(溝)であれば、谷=山頂であり、地上の位相を見るものである。幾重にも積み重ねられた断層は、地球の呼吸としての痕跡であり、46億年の集積の一端が『VALLEYS』ということになる。

『VALLEYS』は《個》の私的空間であると同時に世界全体の集約を提示したものでもある。『VALLEYS』における両壁のざわつき(傷痕)は闘争の痕跡にも匹敵する寡黙な証言ではないか。


(写真は横須賀美術館(若林奮『VALLEYS』より)


『春と修羅』②

2018-01-18 06:43:59 | 宮沢賢治

 いかりのにがさまた青さ
 四月の気層のひかりの底を
 唾し はぎしりゆききする
 おれはひとりの修羅なのだ
 (風景はなみだにゆすれ)


☆試みに付き、記は双(二つ)の体(ありさま)があり、推しはかる。
 修羅(わたくし)は、普く計(はかりごと/計画)をしている。


『城』2865。

2018-01-18 06:32:11 | カフカ覚書

一度などは、わたしのために光をさえぎられた書記に押しのけられたほどです。そして、これは禁じられていることなのですが、クラムが顔をあげるたびに、手をあげて自分のいることをしめしました。


☆先祖の傷痕はわたしは光であるということで先祖の書記に遠ざけられたのです。それどころか、わたしに知らせることなく手をあげることを禁じたのです。