続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

『城』3382。

2020-03-23 06:40:01 | カフカ覚書

わたしがおぼえているかぎりでは、どちらの尋問も、首尾よくいったとおもいます。そのあとであの不祥事がもちあがってしまったわけですが、そのまえにふたつの尋問のことを考えてくだされば、あながちわたしの罪だとばかりきめつけることもできないのではないでしょうか。


☆わたしが知っている限りではまったく(問題)はなかったのですが、そこで不幸(災難)が生じてしまったのです。でもあらかじめ小舟で行ったことに罪を負わせることは殆どありません。


デュシャン『罠』②

2020-03-19 07:08:30 | 美術ノート

 この罠は何だったのか。まさか鑑賞者を転倒させるためではないはず・・・。

 わたしは考えた、この罠の秘密を。そしてこの謎を解いたニュートンに突き当たったとき、デュシャンの原理に対する真摯な眼力に深く頭を下げざるを得なかった。
 law of universal gravitation 万有引力の法則である。(すべてにおいて物体は互いに引き寄せられる引力・重力を及ぼしあっている)

 重力の法則、物体は床面に垂直に落ちる、ゆえにコート掛けは床面に在らざるものである。
 日常の何でもない所作、観念的な思索は《法則》の上に成立しているという事実の再発見である。仕掛けられた罠は、アリストテレスの重いものは早く落ちるといった視覚的な観点を打破したニュートンの概念への再認識だったのだと思う。

 物があるという事、存在理由(機能)は秘密裏に潜在している。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.com


『忘れえぬ人々』111.

2020-03-19 06:30:17 | 国木田独歩

これは何処の田舎も同じことであるが、ぼくは荒涼たる阿蘇の草原から駈け下りて突然、この人寰に投じた時ほど、これらの光景に博たれたことはない。


☆化(教え導くこと)の諸(もろもろ)を伝える。
 赦(罪や過ちを許す)道(物事の道筋)が目(ねらい)の講(話)である。
 慮(あれこれ思いめぐらすと)吾(わたくし)の素(物のもとになるもの)が双(二つ)現れ、句(言葉)の化(教え導くこと)に突(つきあたる)。
 全て実(内容)は換(入れ替わる)。
 統(収めた)弐(二つ)の講(話)を継(つなぐ)と吐く。


『城』3381。

2020-03-19 06:22:17 | カフカ覚書

二回目の尋問を終えたときなどは、文字どおりふらふらになって、とてもたまったものではありません。ほとんど酔ったような感じでした。どちらのお役役人に初対面もですし、おまけに、こちらは、尋問に答えなくてはならない身です。


☆次に前方によろめいていたのは迫害者であり、ほとんど先祖は興奮の態でどちらも大勢の人たちは初めて見る迫害者に返事をしなければならなかった。


静かな毎日。

2020-03-18 07:44:57 | 日常

 ほとんどの行事イベントは中止。
 総菜の買い出し以外はひたすら籠っている。

 お墓参りに行ってきたけど、春の彼岸の棚経も中止、公園墓地で行われているラジオ体操も中止・・・八方ふさがり。

 一念発起で重い腰を上げ、片付けと相成った。これでもかという量の布地や小物類(捨てなくてはと思っても)捨てられない。
 こんなにあったの…もう決して生地を買うまい。死ぬまでに使い切れない・・・今在る生地の使いきりたい!(でも時間が…)
 おバカさんを証明したような生地の山、裁縫のための小道具。

 やるべきことは山積み・・・頭を冷やすいい機会かもしれない。

 年々何をやるのも億劫になり、仕事が鈍い。どうしたらいいのかわからない・・・。

 で、わたしの近頃の御執心は《つまみ細工》、たくさんの布地から小さな小さな四角形を切っている。1㎝角、2㎝角、3㎝角・・・大量に切り揃え、出来上がりを夢想している。笑止!


デュシャン『罠』

2020-03-18 07:13:06 | 美術ノート

   『罠』

 木製コート掛け(レディ・メイド)が床に固定されている。
 
 コート掛けはその性質上、少なくともコートが床につかない程度以上の高さが必要であり、床面に平行に設置されるべきものであることは、誰もが知る、いわば常識である。
 常識というより、《ねばならない)条件でもある。

 それを床に放置、ではなく固定する。誰も固定までしてあるとは思わない、なぜなら《ここにあるべきものではない》からである。手で持ち上げようとする、あるいは足で動かそうとするかもしれない。
 しかし、意に反して動かないことを知る。ストレス、憤り、反感・・・。
 規則違反、法に違反しているわけではないが愉快ではない。

 罠とは人心を惑わし騙すことである。確かにこの作品の前で(素直)にはなれない。違うことへの錯乱はマイナスの感情を惹き起こす。
 学習されたデータの順列は正しくあらねばならない。乱すことは『罠』であるに違いない。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.com



『忘れえぬ人々』110.

2020-03-18 06:27:11 | 国木田独歩

村の夕暮れのにぎわいは格別で、壮年男女は一日の仕事のしまいに忙しく子供は薄暗い垣根の蔭や竈の火の見える軒先に集まって笑ったり歌ったり泣いたりしている。


☆存(安否を尋ねる)幽(死者の世界)の簿(ノート)を書く。
 瞥(ちらっと見ると)、双(二つ)の念(思い/考え)の談(話)を叙(のべている)。
 逸(隠れた)実(内容)の詞(言葉)の字を謀(はかる)。
 詞(言葉)の教(神仏の教え)を募(招き集める)案(考え)が掩(隠れている)。
 魂に隠れている総ての過(罪科)が現れる。
 験(調べて)千(たくさん)修(正す)章(文章)であり、化(教え導くこと)で究める。


『城』3380。

2020-03-18 06:20:57 | カフカ覚書

あることでちょっと協力してほしい、と頼まれただけなのです。それにしても、二つの尋問を一度に受けるなんて、とてもたまったものではありません。おそらくほかの人たちだって、たとえばご主人だって、そうだろうとおもいます。


☆先祖の傷痕に耐えうるように親切に祈ったのです。
 もしかしたら他の先祖も多くの人たちも、そうだったかもしれません。


デュシャン『自転車の車輪』⑥

2020-03-17 06:58:44 | 美術ノート

 押されれば(圧力)、すぐ転倒するに違いない頼りない構造である。床にデンと設置されたものでもない。白い丸椅子の上に逆さに設置された車輪、しかし、白い丸椅子の上に設置されたことは無意味ではなく必然であり、この円環の持つ崇高さは台座に掲げられることで意味をもつのである。

 崇高と言ったが、すべての物が持つ存在の崇高さである。円環という形態は存在の原初としての拡がりを内包する。つまり自分自身ですらある。
 自身への目覚めや発見は、視覚的にも酷似の事物に出会うという現象にあるのかもしれない。もちろん自覚という転換点が必須である。

 デュシャンは『自転車の車輪』に自分自身を発見したのではないか。
 非生産的であり、関連の絆もないこの円環の孤立。語らずして語る存在の基底。
 黒と白、彩色の粉飾もない裸身の立ち姿である。
『自転車の車輪』は世界であり、自身である。


 写真は『DUCHAMP』(ジャニス・ミンク) www.taschen.com

 

 


『忘れえぬ人々』109.

2020-03-17 06:49:51 | 国木田独歩

「村に出た時はもう日が暮れて夕闇ほのぐらい頃であった。

 村はソンと読んで、存。
 出たはスイと読んで、推。
 時はジと読んで、弐。
 日はジツと読んで、実。
 暮れてはボと読んで、募。
 夕闇はユウ・アンと読んで、幽霊、案。
 頃はケイと読んで、継。


☆存(考え)を推しはかる。
 弐(二つ)の実(内容)を募(招き集め)幽(死者の世界)の案(考え)を継(つなぐ)。