ネットで地図を探していると「近代京都オーバーレイマップ」というのを見つけた。
明治25年や昭和4年の都市計画図とかがある。
その中から昭和28年都市計画を選んで歩いてみる予定を立てることにした。
その年代だと昭和初期までの遺構などを探すことができるかもです。
まず初めにいつも歩いている自宅近くの一乗寺を散策してみることにした。
①から西方面を撮った。
昭和28年は田んぼと畑ばっかりです。
②③は葉山馬頭観音さん
一燈寺という名もあったみたいです。
今は廃寺です。
④は林丘寺墓地。
⑤は林丘寺墓地奥の林丘寺に仕えた方たちの墓。
鬼滅の刃の一場面のような雰囲気がする。
⑥は西圓寺さん。
⑦は圓光寺さん。
⑧の位置に「小谷地蔵尊」の石碑がある。
ちょいと前、この奥を探索してみましたけど地蔵尊は見つからずでした。
⑨は詩仙堂さん
⑩は詩仙堂さんの向かいにある石川丈山先生の碑。
⑪は八大神社。
⑫の位置に布袋さん。
⑬の角に称名寺さん。
⑭は本願寺北山別院さん。
⑲は金福寺さんへの道のカーブは昔のまま。
⑮は金福寺さん。
⑯は一乗寺墓地が見えて白川通に出る。
⑰白川通りとの交点。
滅苦寺跡の石碑がありますけど、明治25年の地図を見てもお寺さんのマークは見当たりませんでした。
⑱昭和28年当時の白川通りは、この上終町(かみはてちょう)まで。
ほんとうに上の終てでした。
28年当時はここから北側に道はなく、都市計画は道幅12間の道路として北側に伸ばす計画線が引かれている。
自分が子供の頃は「白川通り」ではなく「12間道路」と呼んでいた。
近代京都オーバーレイマップはスマホを使うと現在位置が表示されるので、道を外れてしまったときに便利。
旧道を歩くと明治~昭和の新たな発見ができそうで楽しくなってくる。
今回のマップ散歩は7,000歩でした。
⑭の写真に赤い〒バイクが
坂道になってるのですね。
上終町(かみはてちょう)読み名もあり感謝です。
太秦(うずまさ)をまともに読んでもらえない事が多かったです。
あの坂を郵便バイクが使命のように上がっていきます。
先日、雪の花折峠で出会ったのは郵便バイクと赤い軽バンです。
除雪されていない細道を、どんなに雪が積もっていても配達する郵便局員に感謝です。
上終町(かみはてちょう)は一発で変換できませんでした。
お星さまが輝いておりますので
明朝はひえますよ。20時半でマイナス5度とは
海岸沿いの高台なので暖かい。
郵便バイクには冬用のタイヤ装着です
30年前には自転車で坂道を押して上って来られました赤い自転車
下り坂はブレーキ音が響き渡っておりました
こちらはまだマイナスの気温になったことがないので、北海道の厳しさに耐える姿には感服します。
そういえば高校生の頃、赤い自転車でアルバイトを経験したことがあります。
冬休みで年賀状の配達です。
大きな屋敷に500枚程度収めたとき、「ハイ、お年玉」と言って凄い金額が入った封筒を手渡されました。
先輩に聴くとそれはご褒美だから持ち帰りなさいと言われ、思わぬお年玉に喜んだ記憶があります。