久しぶりにおのぼりさんの道を歩きましたけど、まあ、それはそれは中国人の多さにびっくりぽんです。
ほとんど日本語が聞こえない道を、ウィルスに気をつけて息を止めながら歩くのはしんどい。
でも歩いてみると新しい発見がいくつかあり面白い。
ねねの道の奥にひっそりとお地蔵さんがおられた。
御陵衛士屯所跡のところにある高台寺月真院。
立て札には以下のように書かれていた。
ここ高台寺月真院は慶応三年六月から十一月にかけて、熱烈な勤王主義者であり、孝明天皇の護衛衛士(天皇の墓の守護者)と称した伊東甲子太郎ら十五名が屯所とした寺院である。
彼らはこの寺院を本拠として活動していたため「高台寺党」とも呼ばれている。
このあたり一帯で「東山路傍の触れ仏」があり、触るとご利益を受けることができる。
先程の三地蔵様や、ここの摩利支天様に触れておいた。
霊山護国神社への参道は急な坂道。
振り返ると八坂の塔や京都タワーが見えた。
霊山護国神社。
HPには以下のように書かれている。
謹みて当社は明治元年の創立に係り、嘉永六年米艦渡航以来の国論沸騰のさなかに在って、敢然衆に率先、尊皇の大義を唱えて世論を啓発し、機運到って征幕の軍興るやこれに従って諸方に転戦、身を持って維新の鴻業を翼賛しながら、その成就を見ずして中道にたおれ、一命を国に捧げたる志士の精忠を、宏謨成れるの日、畏くも明治天皇は深く御嘉賞遊ばされ、その霊を祀らんがために一社の創立を仰出されたのに始まるのである。恭々しく明治元年五月十日の御沙汰書を拝するに、唱義の士には次の如き勅旨を仰出された。
靖国神社より古い歴史を持つ招魂社である。
陸軍特別操艇見習士官之碑。
裏面には若くして亡くなられた見習士官の名前がずらりと並んでいた。
丁寧に拝んだあと、敬礼をしておいた。
ラバウルの石。
「ああ特攻」の碑。
御朱印を戴いた。
絵馬。
最後に深くお辞儀をして霊山護国神社をあとにした。
二寧坂の方面にどんどんと人が流れ込んでいく。
霊山観音様に手を合わせておいた。
高台寺。
ピンクの絵馬。
高速で回転するマニ車。
帰りは石塀小路を歩いてみた。
入り口でこの写真を撮った後に、写真撮影禁止に気づきました。
八坂神社参道にあるお店。
八坂神社にお詣り。
美御前社にお詣り。
J子様も真剣にお詣りしてはった。
帰りは同じく円山公園経由。
やっと自転車を停めているところまで戻ってきた。
京都国立近代美術館。
疎水の水は少なく、底が見えていた。
けっこう疲れました。
家に帰って歩数計を見てみると1万2千歩。
足がだるいです。