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棕櫚が花枝を付けました
江嵜企画代表・Ken
ポカポカ陽気の昼過ぎ例の更地の棕櫚が花枝を付けているのが目に入った。絵心を大いに刺激され一気にスケッチした。背後に見えるのは工事中の阪神青木駅である。
今の棕櫚は震災直後に生まれで3代目である。初代は元家から大正8年(1919)、小野柄通から引っ越してきて阪神青木駅前に新居を建てる時に祖母が実家から苗木を持参、それが10メートルの高さに成長していた。
なぜか平成6年(1994)11月~12月にかけて異常な数の種を落とした。その中のひと粒が発芽したものと思われる。翌平成7年(1995)1月17日、阪神淡路大震災が襲った。
2代目は震災前から実家の裏庭にあり、日陰で暮らしていた。ところが、震災で実家は全壊、前を遮るものがなくなり急成長した。しかし、6~7年前の秋の大型台風に襲われ、根元近くから折れ姿を消した。
倒れるその年の夏、シオカラトンボが、棕櫚の木から離れては止まり、止まっては飛び発つ動作を繰り返していた。何かの縁だと思いスケッチした絵が手元に残っている。
棕櫚と話しながらスケッチしていると祖母のことが思い出される。
余談ながら祖母の実家は代々庄屋だった。庄屋は苗字帯刀を許される。宝暦元辛末正月吉日、山路荘、福井平別老の銘の脇差を入れる木箱(83X10.5X10.0センチ)があり、脇差とともに手元に残っている。
祖母、旧姓、福井たいは、明治11年(1878)7月11日生まれである。生きていたら140歳である。明治23年(1890)3月27日、本庄小学校卒業証書、明治26年(1893)3月19日、御影師範学校卒業証書が残っている。
祖母がオルガンを楽しそうに弾いていた姿が今も懐かしい。(了)