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御影公会堂風景
江嵜企画代表・Ken
国道2号線に面し六甲から南北に流れる石屋川とクロスする北東の角、阪神「石屋川」駅下車、川沿いに北上、徒歩約5分のところに御影公会堂がある。一度スケッチしてみたいと思っていたが出来ていなかった。
何事もそうだが、これといったきっかけがないとなかなか行動しない。たまたま先週目にした今週金曜日、4月1日から耐震改修工事に入るとの新聞記事がきっかけだった。
記事によれば正面玄関部分のみ残し、全面改装する。1932年6月15日に、神戸の建築家、清水栄治が建てた。33年5月25日開所である。年期ものだということが分かる。傷みもひどく、老朽化が進んでいた。耐震のため壁を厚くする。2階と3階席を取り換える。空調設備を入れ替え、エレベーターを新設、バリアフリーにする。多目的トイレを新設する。駐車場を増設する。工期は来年3月末まで1年。工費は15億9千万円などと出ていた。
玄関前にツガイノのタンチョウ鶴の置物がおいてある。かって結婚式場を経営していた名残と思われる。御影公会堂で2万組が挙式した。現在も、講演会、各種イベント、展覧会など幅広く利用されている。オムライスがおいしいという評判の開場以来続けている食堂がある。
御影公会堂は、71年前の昭和20年5月と6月の神戸大空襲で玄関部分のみ残して壊滅的被害を受けた。野坂昭如の「火垂るの墓」に詳しい。しかし、21年前の阪神淡路大震災では、最激震地だったが倒壊をまぬかれた。
国道2号線に沿って東進、徒歩15分行けば南北に流れる住吉川にぶつかる。川沿いに北進、ゆっくり歩いて約15分のところに白鶴美術館がある。当館は御影公会堂建設の2年後の1934年に建てられた。
当時白鶴社長の嘉納治兵衛が建てた。御影公会堂の当時24万円の建設費のうち20万円を嘉納治兵衛が出した。昔の篤志家は、公共のために惜しげもなく私財を投じた。今は昔の物語である。(了)