思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

史上はじめての【宗教を超え神を越えた】ナーズムオラトリオ  今日の恋知サロンで感動の全曲80分

2024-06-13 | 恋知(哲学)
 原爆で死んだ少女、紙切れのように燃やされ灰になった7歳の少女は、10年たっても7歳のまま。世界的大詩人ナームズによる悲しみと怒りの哀歌は、ファジル・サイの熱く激しいアメリカ原爆投下への憤りのオラトリオとなり、
 人体実験で原爆を落としたアメリカの蛮行を、「神」ではなく「人間」の名で告発し、人間の名で激しく抗議し、人間として悪業と戦い、人間の名で鎮魂した。史上はじめての【宗教を超え神を越えた】この曲は、万人の胸を打ち、万人に勇気を与え、万人を鎮魂する。作曲者のサイは、愛娘と広島で死んだ少女とを重ね合わせてこれを作曲したのが分かる。
 演奏者も数千人の観衆も全員が一丸だ。21世紀初年の傑作「ナーズムオラトリオ」は、アメリカの悪業を糾弾し元から正す。少女の魂にはどんな軍隊でも勝てぬ。
 
  ラストは、どこにいようとも決して死ぬことはないように生きるべきだ。わたしが生きたと言えるために。
わたしが生きたと言えるために、と何回もみなで歌います。最後は広島の少女が「わたしが生きたといえるために」(そう生きれなかった)を歌い、深い鎮魂のフィナーレ。言葉にならぬ感動が広がる。アメリカによる人類史上最大の蛮行による死は、トルコの大詩人ナーズム・ヒクメットと同じくトルコの音楽の天才ファジル・サイにより永遠に刻まれた。


 今日の恋知サロン。【恋知する実存者】の集まりです。あなたもどうぞ。
 
 
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トルーマンとマッカーサーの戦略通り、天皇教・制を最大限利用して、日本人の家畜化に成功したアメリカ。

2024-06-09 | 社会思想
土田 修 さん

わたしが以前から主張し、それは参議院調査室の職員からその通りと思うと取り上げられ、「立法と調査」(参議院調査室発行)に私自身が書いた論考なのですが、
明治からの日本の支配構造は、「天皇教+官僚主義+東大病」の三者一体なので、主権在民の民主政(制・性)=対等で自由な市民がつくるルール社会にはならず、いつまでも「上位(今の最上位は米と天皇)下達」の社会・国が続いてしまいます。

大戦後のアメリカ政府は、トルーマンとマッカーサーの戦略通り、天皇教・制を最大限利用して、日本人の家畜化を成しましたが、今の日本人の教育観(東大を頂点とする受験知による能力評定)では、マスコミのみならず、一応エリートとされる職にある人は、右も左も思想に関係なく、「天皇教+官僚主義+東大病」の枠内で、自身がそのどれかの価値を体現していれば、ドツボに嵌り抜けられません。

永遠の「天皇教+官僚主義+東大病」の日本と日本人で、人類文明という発想や生身の誇らしい人間として堂々と生きる、は始まりようがないと感じ想い考えています。

アメリア政府は「日米地位協定」で日本を身動きが取れない状態にし、駐留アメリカ軍は「日米合同委員会」で米軍の意向を日本の官僚たちに伝えそのおとりに動かしていますが、それも天皇教=天皇制によります。「天皇教+官僚主義+東大病」の日本と日本人は、明治政府が極めて人為的に創作した一神教もどきの宗教思想が生むパワーとシステムです。

天皇家(天皇という称号は平安初期の村上でおわり、復活した天皇という称号は、江戸後期の光格から徳仁さんまで8名だけですが)を守り安泰にしてくれたアメリカへの特別な感情と思いは、米軍の意のままの日本を永続化させます。

明治政府がつくった天皇という記号」pdf は、ぜひ皆さまに見ていただきたいと願っています。

武田康弘
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死があるのは日本の死刑囚だけ。拷問=精神の最大苦を与え続けて殺す。

2024-06-06 | 社会思想

人間には生しかない。意識が消え去る体験はないからだ。現実に死は体験できないので、いつもわたしは生きている。

死が現実にあるのは、日本の死刑囚だけ。執行は当日の朝告げられる。殺されるのが100パーセント確実で、絶対に逃れられない死。

きわめてナマナマしく死を極限まで意識させて、殺す。どんな犯罪よりも人間の心の奥底に恐怖と絶望を与え、告げ知らされる朝まで毎日、その日が来るのをずっと底なしの恐怖を味あわされて、殺す。

人類が考えだした最高の拷問=精神の最大苦を考え、実際に殺されるより怖い恐怖感を何百日も何千日も味あわせながら殺すのが死刑制度。

それを当然とするのが、わが日本人のありのままの心。すごい民族だ。恐ろしい人たちが平然と暮らす国。残酷が血肉化しているようだ。
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堤 寿美枝
気に入らない人には酷い目にあわせたい。
人間は恐ろしい生き物ですね❗️
 
 
Katsube Hirofumi
「罪を償わせる。」というのは、「悪いことをした人間はどんなひどい目に遇わせても良い。」ということではないはずです。
「悪いことをしたのだから、人権など必要ない。」と声高に主張する人たちは、被害者ではない人たち。
日本人は、「市中引き回しのうえ、獄門、打ち首」が好きなようです。
 
 
武田 康弘
人間としての次元が低く、ただ周りに合わせ、自己判断はなし、受験知しかないのに、それに疑問さえ持たない。人間として生きるとはどういうことか、を考えないのでは、人間の名に値しない。
 
、「Love Love愛情 愛情 Reasonais Reason 理性 Freedom 自由 态知 花知・実存 実存 失存・共和 共知」というテキストのグラフィックのようです

 

 

コメント (3)
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【ナーズムオラトリオ】(ファジル・サイ作曲)とは。

2024-06-05 | 芸術
【ナーズムオラトリオ】(ファジル・サイ作曲)とは

オラトリオとは、辞書的には以下の意味です。
( [イタリア語] oratorio 祈祷所の意から ) キリスト教的題材をオーケストラの伴奏による独唱、合唱を用いて劇的に構成したもの。 通常、演奏会形式で上演される。 一六世紀半ば、イタリアの宗教音楽劇に始まり、一七世紀中頃、形式が確立。

ところが、ナーズムオラトリオ(クリック)は、キリスト教でもイスラム教でもなく、まったく宗教性がありません。神概念がなく、信仰もありません。
世界的な大詩人であったナームズ・ヒクメット(1902~1963・トルコ)は、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)を否定した無神論者(実存論のヒューマニスト)であり、時代的・現実的な制約のために共産主義者を名乗っていましたが(サルトルらがはじめた世界的な解放運動によりトルコ イスタンブールの監獄を出てソビエト連邦に亡命)、いわゆる「○○主義者」ではなく、人間主義者で、恋愛感情に基づく人間愛にあふれた人でした。

そのナーズムの詩16篇を読誦するオラトリオは、神ではなく人間賛美と人間告発(アメリカによる原爆投下と少女)と人間的抒情性にあふれています。歴史上、例のないこのオラトリオは、幼いころよりヒクメットの詩に親しんでいた桁違いの天才=ファジル・サイによりつくられ、2001年にイスタンブールで初演され大成功をおさめましたが、宗教によりかかり(宗教は民衆のアヘン)、ほんとうの人間性を忘却していた世界の歴史を変える偉大な一歩と言えます。まことに21世紀の幕開けにふさわしい真のルネサンス(古代のタレス・ソクラテスと古代インドのブッダが象徴する人間復興)の幕開けにふさわしい傑作です。

理屈抜きに大きく豊かな感動でみたされます。これほど魂がやすまる曲はありません。
ナーズムとサイの融合は、すさまじいまでの仕事を成しました。


                      作曲・ピアノ     ファジル・サイ



武田康弘


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武田先生(タケセン)との哲学対話-認識論を超やさしく 6月22日(土)第一回 アイアイスクール

2024-06-01 | 恋知(哲学)

アイアイスクール五反田。6月22日(土)武田先生と哲学対話。誰でも分かる認識論=純哲学

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人類の良心・魂の歌「ナーズム オラトリオ」 作曲とピアノ ファジル・サイ  少女・広島・アメリカ原爆

2024-05-30 | 芸術

 
(2004年の演奏会の会場は、イスタンブールの古代円形劇場)


 2001年初演のファジル・サイ作曲「ナーズム・オラトリオ」は、ベートーヴェンの第九以来の人類的な普遍性をもつ曲・詩(うた)でしょう。


 魂を震わせるこの1時間20分は、ヒロシマにアメリカが投下した原子爆弾で死んだ少女の主題が繰り返されます。名もなき少女の純粋な魂を詠んだナーズムの詩 「・・・・・あなたにお願い   紙切れみたいに燃えたわたしは      戸をたたくのはわたし  みなさん署名をどうぞしてちょうだい   炎が子どもをやかないように  甘いあめ玉をしゃぶれるように 」(最後に全文を載せておきます)につけたサイのメロディーが繰り返し流れます。オーケストラと歌手と少女によって歌われます。心の奥深くに染みわたり震えます。

 ナーズム・オラトリオには、現代曲のもつ難しさがまったくありません。親しみのある分明な曲です。第九の主題が極めて簡明なメロディーであるように、少女の主題も極めて簡明です。なお、この「少女」は、日本でも清瀬保二ら数名により作曲されています。

 強く激しい行進曲は、人間のもつおぞましさを吹き飛ばすパワーで圧倒します。快感と感動をもたらし、幾度でも聴きたくなります。少女の歌とともにわたしは毎日聴いています。また、通常のオラトリオと違い、長老による語りが長く、その表現力が凄くて引き付けるのです。釘付けになります。

 2001年の初演にはトルコ第10代大統領アフメト・ネジデト・セゼルも列席し、また2004年イスタンブールの古代円形劇場での演奏会は、YouTubeで104万回再生されています。2016年の演奏は高解像度・高音質で録画録音され、今年2024年にYouTubeで見れるようになりました。

fazıl say nazım oratoryosu で検索



 共産主義者ということで都合17年間(求刑は35年)もトルコの獄中で過ごしたナーズムは、ソビエトに亡命した世界的な大詩人で、ナーズムを解放せよという運動は、フランスのパリでサルトルらにより始められ、ソビエトはもちろんアメリカなど西側諸国にも広がりましたが、最愛の夫人と子どもとはむごいことに1年間しか共に過ごすことかできなくて、再度ソビエトに亡命し、モスクワで1962年に死去しました。トルコ文化庁は、詩人への贖罪の意味で、桁違いの天才ファジル・サイに「ナーズムオラトリオ」の作曲を依頼したと推察されますが、わずか30才のサイは、共感する詩人の魂=イデーに導かれて、迷いなく強い思いで作曲した為に、稀にみる名曲となりました。(追記・後日分かりましたが、ナーズムの詩に少年時代から親しんでいたファジル・サイが、ナーズム・ヒクメットの詩から16篇を選び、オラトリオにしたとのことです)。

 ナーズム(1901-1963)の詩を読み、生涯を知ると(生まれは上流階級で貧民への強い同情と政府への憤り)、彼は、思想的には実存論者で、主義としては、「人間主義=自由主義の共産主義者」といえると思います。一人の少女への深い追悼が、アメリカをはじめとする世界の国家主義・軍国主義を圧倒するのです。実存は世界に先立つのです。組織・国家ではなく、人間、一人ひとりの人間が黄金や権力や権威を上回るのです。ブッダの中心思想=天上天下唯我独尊(誰もが我一人尊い存在として生まれてきた)と重なる人間主義(神ではなく人間)の徹底です。

 トルコでは各地で繰り返し演奏され、国民的な曲となっているようですが、このオラトリオは、世界で人類的な曲として繰り返し演奏されるべきものとわたしは確信します。(クリック)

( ファジル・サイは、かつて娘を幼稚園(保育園)に送り迎えし、学芸会では、バレーにサイが伴奏をかってでたとのことですが、生活世界からもたらされる想念がこの曲を支えているのかもしれません。)


 ナージム・ヒクメットは、日本語版の「ヒクメット詩集」の冒頭に、「日本の読者の皆さんに」として以下のように書いています。共感・共鳴します。

「私の考えでは、建築から舞踊にいたるあらゆる芸術がまず第一に人間に役立つものです。パンのように、住居のように、リキュール酒のように、くさぐさの革命の唄のように、祭日のように、人間に役立つものです。今世紀の技術の発展は、世界の人々が詩を読み、理解し、愛することができるようになるための土壌を準備し、それをじっさい可能にしているからこそ感嘆するの値することだと私には思われます。もし、技術、社会的な革命、人々の生活水準の向上がこのことに奉仕しないならば、だとすればそれらのことは私にはまったく無意味です。」


                        (作曲とピアノ ファジル・サイ)







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
現在、日本語で読めるのは以下の2冊です。
上は、2002年刊(旧版は1963年刊)
下は、2020年刊
世界中で翻訳されていますが、トルコで出版が許可されたのは、死後十数年経った1970年代後半です。



少女  ナーズム・ヒクメット

開けてちょうだい たたくのはわたし
あっちの戸 こっちの戸 わたしはたたくの
こわがらないで 見えないわたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

わたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 10年前に
あのとき七つ いまでも七つ
死んだ子はけっした大きくならないの

炎がのんだの わたしの髪の毛を
わたしの両手を わたしのひとみを
わたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれてった灰

あなたにお願い だけどわたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいに燃えたわたしは

戸をたたくのはわたし
みんさん、署名をどうぞしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉をしゃぶれるように

(1955年)

武田康弘

訂正・追記

ファジル・サイがトルコ文化大臣から委嘱されたのは、オラトリオの作品ですが(2001年初演)、それが【世界的な大詩人】で【一神教への徹底した批判者】であり、トルコ政府に無神論者・共産主義者として35年の禁固刑をいい渡され、サルトルらが呼びかけた国際的な運動で釈放され、ソビエト連邦に亡命した【ヒクメット】の詩を用いた【ヒクメットオラトリオ】であるのは、
 ファジル・サイが決めたこと(小さい時から彼の詩集を読み共感・感動していたため)を、以下の日本初演のパンフレットで知りました。
 名古屋で2022年9月に初演されたのをネットで昨夜遅くに知り、フォレストホール(名古屋市)に電話で確かめて、実際に演奏されたことが分かりました。
 ヒクメットの詩から16篇を、「青年期」「獄中にて」「人間について」「故郷について」の4つに区分し、中核をなす「人間について」では、ヒロシマへのアメリカ軍による原爆投下、同じくアメリカによるビキニ環礁水爆実験を告発しています。「死んだ女の子」(日本でも清瀬保二ら数名が作曲している)は、深い感動が襲い言葉を失います。

 

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ソクラテスによる【恋知者=哲学者の魂の定義】

2024-05-25 | 恋知(哲学)
昔から書いていますので繰り返しですが、ソクラテスによる【恋知者=哲学者の魂の定義】は、
「真実在をこれまに最も多く見た魂は、知を求める人、あるいは美を愛する人、あるいは楽(音楽と詩)を好むムーサのしもべ、そして恋に生きるエロースの徒となるべき人間の種の中へー」です。(「パイドロス」185ページ岩波「プラトン全集5」)

哲学=恋知の象徴は、エロースです(ルーブル美術館蔵・ラコステ人形)プラトンの学園「アカデメイア」の主祭神はエロース。


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検察庁の組織と人事を元から変えないと、日本は独裁国と同じ。袴田氏に再び死刑を求刑!

2024-05-22 | 社会批評

袴田被告(有罪とされた証拠は警察の捏造であったことが明白になっている)に再び死刑を求刑した検察は、理性も人間性も共に崩壊している。検察庁の組織と人事を元から変えないと、日本は独裁国と同じ。戦前の警察・検察国家と変わらない。最低最悪だ。

武田康弘(元 参議院行政監視委員会調査室・客員調査員・哲学と憲法を講義)

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米軍から渡された武器によりイスラエル軍のジェノサイドが続く。それでOKなのが日米政府!(憤)

2024-05-11 | 社会批評

アメリカ製の武器=爆撃機も弾薬もで、イスラエル軍のジェノサイドが続く。それを見過ごしてOKとする日米政府要人と官僚=人間のクズで、これがロシアなら他国の兵器で!!とか言う(満点大笑いではなく大怒り!!)頭と心が汚れてひん曲がっています。

武田康弘

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国連職員も報道記者もみな殺し!!ネタニヤフのイスラエル軍の悪辣さを報道しないNHKは、酷すぎます。

2024-05-04 | 社会批評

ハマスじゃないですよ!イスラエルのネタニヤフ政権が、イスラエル軍により、国連職員も報道関係者もかつて例がない規模で殺害しています。ハマス!?は一つも関与していないのに、NHKは完全に嘘の報道をする、デタラメも度が過ぎます。なぜですか???

武田康弘

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北朝鮮からミサイルが発射された!?(笑)ロケットとの違いも知らない(呆)NHKと民放もすべて。

2024-05-02 | 社会批評

また大嘘の各局テレビ局! 北朝鮮からミサイルが発射された!(笑)

人工衛星を打ち上げるロケットをミサイルだと嘘をつく。

秒速8キロメートルに達さなと衛星にならないので、ミサイルでは到底無理で、多段ロケットなのです。

わざわざ嘘を言い、国民を不安にさせて、軍事力増強をさせる意図でしょうが、

もし、ほんとうにミサイルとロケットの違いが分からないなら、頭が悪すぎで、よく大学受かったもの(笑笑)

昔の大本営発表と同じですね。いまだ知能が低すぎですね~~~

==============================

 わたしは天文少年でしたので、小学生の時に人工衛星やロケットに興味をもち(60年前!笑)第1宇宙速度は、地球の重力で地表に落ちず地表を回る人工衛星打ち上げの速度で秒速7.9キロメートル以上。
第2宇宙速度は、地球の重力を振り切る秒速11.2キロメートル以上、
第3宇宙速度は、太陽の重力も振り切り、太陽系外にまで飛行できる秒速16、7キロメートル以上というのを知り、小学生の記憶は忘れないので、今日まで(笑)。

 秒速7.9キロメートルというのは、恐ろしいスピードで、これは最新のロケットでも全然無理なので、3段ロケット(あるいは4段)で段々スピードをあげる(足し算する)ほかないのです。1秒間で隣町まで到達するスピードを出すことは凄いことなのです。ミサイルとか大砲とかピストルの弾は、それに比べるとノロノロなのです。

 以上は、基礎的な話しですが、確認です。

 なお、話題となっている超高速ミサイルといえども、秒速2キロメートルに達するものはありません。たとえ将来そこまで出たとしても人工衛星打ち上げに必要なスピードの4分の1でしかありません。
 

 

 

植田貴敦
ミサイルもロケットも同じ物です。
基本私もロケットだと思っていますが、国連決議で北朝鮮はロケットもミサイルも発射してはダメという事になってますからね。
 
 
植田貴敦
日本の事にはいちいち噛みついてくるくせに、北朝鮮の軍拡には何も言おうともしない。
貴方方は北朝鮮のために動いているんでしょうか?
 
 
 
武田 康弘
植田さん、そのように言葉の定義を変えるなら、種子島からミサイルが発射されました、というのですか。冗談もほどほどに。

自国の問題を問題にするのは、あまりにも当然です。

北朝鮮の政治体制は、私を含めて誰もがよくないと思うでしょう。その話と、嘘をふりまくマスコミ(どこかで統一し方向を決めて国民を誘導してる)への批判は別次元です。

ただし、人工衛星打ち上げまで禁止しているのは誤りでしょう。また、ミサイル実験を多くの国で行っておいて、北朝鮮だけはダメ、というのは原理次元で考えればおかしな話でしかないです。国連決議云々の以前の話しで、それをいうなら今まで桁違いの国連決議違反をしてきたのはアメリカです。

アメリカは、気に食わないと指定した国を次々と軍事力で制圧してきました。朝鮮戦争では、地上の上には何もない、という徹底した破壊(米ジャーナリストが報告)で、地下で人々は暮らしましたが、今は、地下まで貫通させる兵器で、どこに逃げようが殺す、という戦術です。そんな国に睨まれては、対抗手段を考えざるをえないはずです。わたしは北朝鮮の政治に反対していますが、アメリカの謀略は、全然桁違いであることを忘れてはならないはずです。世界の良心=言語学の天才のチョムスキー氏(米国人)は、「世界最大のならず者国家はアメリカだ」と証言しています。
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死ぬまで静かに明るくベッドの上でーーが、わたしの父でした。

2024-04-18 | 芸術
 
死ぬまで静かに明るくベッドの上で~が、わたしの父でした。一生懸命呼吸していました。悲惨も哀しみもなく、ただ死の時まで、何事もなく、最後まで不機嫌とは無縁でした。いつも静かで明るく機嫌よく~~~
 
 
死ぬ間際にあの世とこの世の間におられる方がいっ時だけ元気を取り戻して居られるのを拝見することがあります。ここで引導(亡くなったあとのことを伺う、または死ぬ覚悟を持てるように誘う)ことがあります。静かに穏やかに時を過ごされるということは並大抵のお覚悟ではありませんでしたね。御冥福をお祈りします。来世はきっとお幸せだと信じます
 
水域、木の画像のようです
武田 康弘
ありがとうございます。
ただ、覚悟という感じともちがい、いつも生をふつうに楽しでいたのです。野心もないですし、卑下もないです。ブッダの言葉通り、だれもみな等しく尊いのですし、上も下も中間もありません。だからいつも静かでしたが明るいのでした。天皇制のように偉い人がいるという観念とは無縁で(親鸞の浄土真宗大谷派でしたから)、みな平等です。いつも機嫌よく、まあ、習慣です(笑)死もふつうの続きでした。
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「他者承認の哲学」ではなく「自己承認の哲学」へ上りましょう。

2024-04-10 | 恋知(哲学)
    一般的に受け入れられるかどうかと考えて、他者の視点により語るという人が多いですが、そのような「他者承認の哲学」は、哲学ですらなく、処世術にすぎません。
 
 他者に受け入れるか否かではなく、自分の赤裸々な経験を正直に見て話します。そこからありのままの心を自覚し、開示するのです。
 他者から何をどう言われようと、心の真実を曲げずに貫くことが必要です。もし齟齬が生じたら、個人間の問題ならば、対面して堂々と話すのです。逃げ隠れしたら、元から終わりです。

 それは「自己承認の哲学」で、深い納得を目がけます。そのためには、自己を絶対化せず、相手との直接対話を辞さない精神と実践が求められます。自己の主張が正当性をもつためには、ナマの話し言葉でのやりとりが必要なので、文字(ソクラテスのいう死んだ言葉)を投げつけるのでは、話になりません。そのような言動は、害ばかりで益なしです。卑怯でダメな人間の見本です。

 他者から承認されるのは、もちろんよいことですが、そこに留まるのではなく、また、それを目がけるのでもありません。最も大切なのは、善美への憧れと真実の探求です。今ある自分の肯定ではないのです。他者からの賞賛でもなく、孤塁を守ることでもありません。心身の全体ー内部から湧き出る【自然な確信】で、「おれは最高だ」とか「お前よりおれが上だ」というような稚拙な想念とは元から無縁です。静かで深く、かつパワフルで美しい輝きです。攻撃による他者排除ではなく、愛の心から真実を求めるのです。斜に構えるのではなく、真正面から真剣に、でなければいけません。

 自己承認に至るには、自己の経験を土台にしつつ、しかし、それを絶対化する愚を犯さず、近代的自我の確立というイデオロギーに囚われず、「自我の武装解除」が必要です。自由で伸びやかな心身と頭は、自己防衛とか他者攻撃という発想からは生まれません。
 
 自己承認の哲学を生きたいものです。

武田康弘
==============

関口徹
最近よくわからなくなってきてしまいました。自己承認が良しで他者承認、承認欲求が悪というこですか?
 
武田 康弘
他者からの承認が得られて悪いはずはないです。
しかし、
他者承認を気にして生きるのは哀しいです。
悪とか善という話しではなく、承認欲求を超えないと、自分のよき生が始まりません。
関口徹
つまり承認欲求…スゴいね、さすがだね、みたいなものを求めず生きるってことですよね。自己承認はできてるはずなのですが…仕事が年々つまらなくなっていくのです
 
武田 康弘
仕事が面白い人はとても少数ですよね。どうしたらよいでしょうか。
関口徹
仕事辞めることですかね(笑)
でも、やりがいはあるんですよ。給料も安いですが求めてません。自分ではパーフェクト‼️な仕事をできてると思ったり、自画自賛というか、特に後輩たちにはこうやるんだよ。見て覚えてねみたいに実践で示してるつもりなんだけど
他者承認を気にするのは哀しい
わかります。
他者承認を求めるあまり自分を追いつめ、孤独に、そして自分の健康まで害してしまいました。
死にたいほどツライです。
でも、旅をして、自然に抱かれ同化して、美味しいものを食べる。仕事以外はメチャクチャ充実しているのです。
仕事おそるべし
 
石谷 真
仕事に自分なりの目標と、満足を得られるようにしたらどうでしょうか?
それは生き様すべてにおいて、自分なりの方法を貫くというコトです。
他人は、結果しか見ないので、こちらの途中の行動にアレコレ言ってきます。
承認欲求ばかり、求めると自分なりの方法を貫くコトができなくなります。他人には結果まで待ってもらうコトが重要だと思います。いや、結果ばかり求める今の風潮は、途中の考えや、途中の失敗も重要だというコトを、分からなくしてしまって、良くないと思います。
自分なりにやれる寛容なトコロに身を置くコトも大切です。特に仕事としては。
石谷 真
ボクは昔、他人の言葉に乗っかって、仕事を辞めたコトがあります。
後悔しました。他人はあくまで他人です。
他者承認を求めて行くと、さすがだね、すごいねって言われないと、もうダメだ。オレは出来損ないだ、になるコトがあります。
他人が、「つまらないなら、辞めたら良いよ」と言って辞めたとして、その他人は何の責任も取ってくれない。他者承認を求めていくと、承認されるコトしかできなくなる。そこが問題です。承認欲求は持っても良いけど、信頼を誰に置くか?誰のタメにその仕事をするか?何のタメにそもそも仕事をしてるのか?お金が少なくて良いのか?その仕事は、重要なのか?考えるべきコトは、たくさんあります。仕事が面白くないのは、どこに問題があるのか?
死にたいほどツライけど、ホントに死ぬほどなのか?今、死んで無いからツライの表現に、死にたいを使うコトの意味は?死にたいでは無く、逃げたいかも知れない。
ツライコトと、しんどいコトは、同じですか?頭がツライですか?身体がツライですか?旅をして充実する人生に、仕事は必要ですか?必要なら、後輩の承認、もしくは同僚の承認では、ダメなんですか?上司からの承認じゃなきゃダメなんですか?
承認欲求を満たしてくれる他者とは、誰か考えませんか?ボクとか、武田さん達ではダメなんですか?関口様、ボクはあなたを承認しますよ。やりがいのある仕事を辞めるコトくらい愚かなコトは無いと思います。
関口徹
石谷 真さん。
みずしらすの私に熱いメッセージありがとうございました。まさにおっしゃるとおりです。
承認欲求求めすぎてさすがすごいと言われないと満足できない。ドツボにハマるとわかりました。
今日職場の歓送迎会で普段口を聞いてくれないトップともう一人の管理職の方に私なりの体調の現状を伝えました。
自分のことに感心なんか持ってないこともよくよくわかりました。そんな上の人に認めてもらうために働くのがバカらしくなりました。
他者承認を求めるのがいかに愚かでくだらないかよくわかりました。武田さん、石谷さんありがとうございます。
自分の好きな仕事を自分のために続けていきます。

石谷 真
敢えて管理職ばかりに気を取られると、足元の仲間たちのコトが疎かになるとボクは考えます。
この国のヒトたちは、上ばかり見て、自分を見ていない。それは承認欲求というカッコいい言葉を使うけど、自分自身の能力に自信が無いコトの裏返しだと思います。自分のコトをきちんと見ましょう。
体調が悪くて、チカラを出し切れていないかも。もっと自分自身を大切にしてください。われわれは武田さんのような超人では無いのだから。
 
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明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に呪縛され続けて抜けられない日本人の不幸は底知れず。

2024-04-05 | 恋知(哲学)

日本人は、会社員も公務員も主婦も政治家も学者・・・もみな明治政府が創作した「天皇教に基づく天皇制度」に心が呪縛され、そこから抜け出せません。それがどれほどの不幸を生み出しいるかを自覚できません。

「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、人々の無意識領域まで管理して、みな腑抜けの状態にさせられますが、
保守主義=国体思想の政治家には、これほど有難いことはなく、政治支配はどこの国よりも楽です。

哲学までも、ヘーゲルの最初の著作「精神現象学」に依拠して、「他者承認の哲学」こそ哲学の最高到達点だという竹田青嗣と彼のグループが人間を羊化させることに努力するありさまです。
深く「自己承認」できるためには、どう考えどう生きるか、こそ哲学の使命であり意味であることを忘れ、日本的集団同調主義(天皇教・東大病・官僚主義) をソフィスティケートするのですから呆れます。


天皇教の序列絶対主義は、エリート職業の人の精神的拠り所となるために、「天皇教と東大病と官僚主義の三者一体」による支配は、永続化してしまいます、個々人の人間としてのパワー・良心・魅力は元から消し去られ、型が優先し、儀礼が優先し、社会的価値に縛られ、個人は死ぬのです。この序列主義を元から断たない限り、永遠に日本は不幸です。実存の生=個々人からの出発は、はじまりようがありません。

駐留米軍のトップであったマッカーサーの発案で、天皇をシンボルとして天皇制を存続させることで、日本を永遠に支配する=個々人の精神的自立をさせないで、日本人を「天皇教という集団同調主義」で一つにさせ、アメリカの属国のようにすること。天皇家に特権を保障することでアメリカに好意を持たせ、日米同盟の永続化を果たす、という大戦略は見事なまでに成功し、人間家畜化の日本国ができあがりました。


人々を騙す底から嘘の大学教授(直接体験のない書物だけ人間)の書く本に踊らされるのを止めない限り、思想や哲学が民衆の力になり現実の花が咲くことはないのです。公共哲学などという東大哲学は、支配のためのごまかしで、トップに韓国人を据えるなど用意周到ですが、関係者自身も騙されているのは、滑稽でさえあります。


武田康弘



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西側情報が正しい!? なにを根拠で正しいと思うのか? アメリカの否世界の良心・チョムスキーの話しを聞かないと。

2024-03-19 | 社会批評

もし、ノーベル賞に「言語学」部門があれば、最低でも3回は受賞しているといわれるノーム・チョムスキーは、アメリカ人ですが、「世界の良心」として長年、活躍してきました。95才を過ぎても精力的に発言を続けています。

社会問題について発言する人は、チョムスキーの言辞行為を知らずしては、話になりません。よく知らないという方は、以下をご参照されて、一冊でもお手元に。


ずいぶん前ですが、彼の恐ろしく長く濃密なドキュメンタリー映画を見て感動しましたが、その後、DVD化され購入し、中学、高校生、大学生、社会人にお見せしましたが、みな一様に感動し、見ることで人生観・社会観・世界観が変わります。偉人中の偉人です。もっともチョムスキーは、そういわれることをひどく好みませんが。深く真っ直ぐな天才がこれほど有名になり長生きするとは! 彼一人で、アメリカの全大統領を凌駕する影響(真の影響)を世界に与えてきました。わたしはいつも感嘆するのみ。

チョムスキーは、小学生のとき、虐められている友人を見て見ないふりをした自分を深く恥じ、以後、けっしてそうならないように誓ったと言います。自分で自分にした誓いを生涯守り続けてきた人生は、最高です。



武田康弘

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