思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

この書(写真集)なしに日本を語ることはできないでしょう。 『戦後はまだ・・・』 山本宗輔著(彩流社)

2014-04-07 | 書評

感動なしに、この書を読める人はいないでしょう。

鼓動の高鳴りなしに、この書を読める人はいないでしょう。

涙なしに、この書を読める人はいないでしょう。

この写真集の証言を知らずして「日本を語る」ことは不可能でしょう

この書は、知らずに、深い思索にいざないます。


「日本人はまだ自分の良心を確立していない。」と 永瀬 隆さんは語ります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京新聞 「戦争の記憶をたどる」は、山本宗輔さんの「戦後はまだ・・・」(彩流社)からです。必読・必携

2014-04-06 | 書評

このブログでもお伝えしてきました「戦争の記憶をたどる」(東京新聞連載)は、フォトジャーナリストの山本宗輔さんの大型本=「戦後はまだ・・・刻まれた加害と被害の記憶」(彩流社刊)からです。

これらの証言は、日本人ならば誰でもが知らねばならぬものと思います。全国の学校図書館・各地の公立図書館には必ず置かれなければならない本のはずです。

これを知らない国会議員がいたら大変です。知らないから、軍事力を増強したり、中国を敵対するような愚かな言動が生まれるのでしょう。加害の反省や当時の国=政府の責任意識の乏しさには呆れ果てますが、それは、現実・事実に対する無知が背後にあります。


 

武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫崎 亮さん(真面目で良心的な元外務省官僚)の著作の欠陥

2014-01-29 | 書評

 わたしは、2012年8月の「戦後史の正体」(創元社)から始まった孫崎 亮さんの一連の著作を読みました。この書はアメリからの圧力の実態を暴き、戦後日本の歴史に新たな視点を与える優れた書で、わたしも多くの方にお勧めしました。

 世界中の大使館に勤め、外務省国際情報局のトップとなり、退職後は防衛大学の教授であった孫崎さんの言説には説得力があり、従来の対米従属外交のゆがみを正すという意味では大きな価値を持っています。

 しかし、残念ですが、「対米」(親米か、反米か)という視点でのみ政治のありようを見る見方は、より本質的な「主権在民による民主主義という座標軸」を後景に押しやり、政治好きのおじさんの「飲み屋談義」(他の外務省の役人たちと本質は変わらず)に陥っています。

 孫崎さんは人間的には優しく良心的な人のようですが、現代の社会問題の根源を穿つに必要な「主権在民の民主主義」を座標軸としていないために、結局、何をしたいのかが分からなくなっています。民主主義の原理の自覚が少しでもボヤケれば、どのような努力も水泡に帰してしまうのです。

 官僚世界に生きてきた人は、現状に反旗を翻す人も含め、国の事務仕事をしている(してきた)ゆえの「おかしな自負」を意識下に抱えているために、人間としての自由・しなやかさに欠けます。この牢獄から抜け出すには、恋知(哲学書を読むのではなく、大元に戻して考え、生の意味と価値を問う)の実践が必要だと思います。いかに生きるか、人間とは何か、の自問自答と対話が不可欠のはず。

 

武田康弘

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために生まれてきたの? ぼくは戦争は大きらい やなせたかし

2013-12-22 | 書評

☆100年インタビュー☆

 

ぼくは人を殺す戦争は大きらいです。

本当の戦争を知らないから「戦争をしろ」とか、「戦争をしたい」と考えるのです。

国と国が「あいつは気にくわないからやっつけてしまえ」というのではまた戦争になってしまいます。

僕が描こうとしたのは、分け与えることで飢えはなくせるということ。嫌な相手とでも一緒に暮らすことはできるということです。


やなせたかし 最後のメッセージ。

 

「道徳教育」とは、政府与党が行うものではありません。戦前の天皇現人神(靖国思想)という時代のリーダーを敬愛・尊敬するという安倍首相は、一番してはいけないことです。

やなせさんの本は、こどもたち、否、おとなたちも含めてみんなに読んでもらいたい、ほんとうの道徳教育の本、道徳以上の恋知=哲学教育の本です。

 

武田康弘

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井筒俊彦全集刊行の記事が出ていましたので、思い出を書きます。

2013-10-01 | 書評

 

 今日の東京新聞夕刊に、井筒俊彦全集刊行の記事が出ていましたので、思い出を書きます。

 井筒俊彦さんの直筆を見ると、丁寧な楷書です。
わたしの師、竹内芳郎さんは、達筆だが個性的な崩し字でまったく異なりますので、たぶん性格も違うのでしょう。

 その竹内さんは、他者への厳しい批判で知られますが、井筒さんのことは珍しく尊敬していました。
 竹内さんが筑摩書房より出した『意味への渇き』の執筆時に、イスラムの項について竹内さんは井筒さんに意見を求め、井筒さんは竹内解釈に全面的に賛同するとの返信をしましたが、当時(1987年)竹内さんはわたしにそのよろこびを率直に語り、井筒さんからの手紙をコピーまでしてくれました。

 井筒さんは、白樺派の柳宗悦の宗教思想に影響を受けたのですが、わたしは、当時は白樺派とは縁がなく、1999年2月から始まる『白樺文学館』創設の仕事の中で柳と正対することになるのですから、不思議です。柳と井筒の重視する神秘的体験!と冗談を言いたくなります。井筒さんは、古代ギリシャのプラトンに傾倒し支持していました。

 この世界的碩学にして学者的権威主義のかけらもない井筒俊彦さんの全集が慶応大学出版部より刊行されるとのこと(すでに第一巻は出ている)よいニュースです。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凄い本! 20人の識者がみた『小沢事件」の真実 テレビ朝日キャスター鳥越俊太郎・木村朗編(拡散希望)

2013-09-12 | 書評

 凄い本です。

 テレビ朝日のキャスターとして知られる鳥越さんの10ページほどの文章で、小沢問題の核心は目が覚めるようにはっきりとします。

 はじめて知る方は、恐ろしくなるほどの話でしょう。

 この本の20人の豪華な執筆人は以下の通りですが、彼らにより、いま、日本がどれほどの政治的危機にあるか、民主主義は風前の灯であるかが説明されています。

 国体思想の持ち主が主流派となった自民党+官僚種族による支配。彼らの集合意識により全体主義へと陥る日本社会ーーここからの脱出には、まず何よりも事実・真実を知ることが必要ですので、本書は、日本人の必読書と言えます。

 一連の「事件」の発端となった検察裏金問題の主役、三井環さん(元大阪高等検察庁公安部長)の内部からの告発には凄い重みがありますし、
 
やはり検察内部からの郷原信夫さん(元東京地検特捜部・現在は大学教授)の詳細な解説は、有無を言わせぬほど明快なもの。

 すべて読むに値する見事な文集ですが、ニューヨークタイムスの東京支局長・マーティン・ファクラーさんの結語は、わたしも指摘し続けていることで同意見。

 「官僚制度の中にいる人々と主要メディアの社員は、同じエリート意識をもった狭いサークルのメンバー。権力側と似た感覚をもっているといえる。・多くが東大・京大・早稲田・慶応などの同じ一流大学の出身で同じ価値観を共有している。・彼らは、みは受験勉強が上手で、とにかくテストでいい点をとることができる。入社式に集まってくる彼らを比べれば、どちらもリクルートスーツに身を包み、どちらが官僚になる人で、どちらが新聞記者になる人かなど、区別がつかない。・多様性に欠けるのだ。」ーーーー「小沢事件」という国家犯罪が象徴する日本の異常性は、そこに根をもつ、との指摘です。

 「真実」あるいは「本音」がどれほど面白いか、そして、日本の現状がどれほど危険なものか、背筋が寒くなり、公共的憤りでいっぱいになりますが、不思議と勇気が湧き上がる本です。ぜひ。


武田康弘

[要旨]
 
政治的謀略としての小沢問題を多角的に検証。国策捜査の被害者、法曹関係者、国会議員、ジャーナリストら20人の論者が真相を暴く!
[目次]
 
序章 かくして検察の「政治的陰謀」は達成された(鳥越俊太郎);
 
第1章 被害者たちが証言する「国策捜査」の実態(検察が潰れる「最大の弱み」を告発(三井環);「暴力組織」に成り下がった検察、「既得権益」にしがみつくメディア(仙波敏郎);権力とメディアの暴走を許さない(鈴木宗男);原子力帝国・全体主義国家に変貌する日本(佐藤栄佐久);日本の民主主義のため最後まで闘う(石川知裕);小沢裁判事件の評価と主権者がとるべき行動(植草一秀));
 
第2章 民主主義の危機、「検察」の暴走を検証する(陸山会事件における検察の暴走とメディア(郷原信郎);法務・検察官僚に組織としての正義はあるか?(川内博史);政治的冤罪事件「小沢ケース」の奇々怪々(有田芳生);検察の暴走と「指揮権発動」の真相(小川敏夫);検察の暴走・司法の崩壊に、市民に何ができるか(八木啓代);暴走検察の背後にある刑事司法の巨大な歪み(青木理));
 
第3章 なぜ、大メディアは「検察」の暴走に加担したのか(革命的改革を阻止した官僚と、それに手を貸したマスコミ(高野孟);「アンチ小沢という空気」の正体(二木啓孝);「週刊朝日」と大手メディアの違いはどこから生じたのか(山口一臣);民主統制なき刑事司法に、メディアが最後の砦となれないことの悲劇(神保哲生);小沢事件をメディアはどう報じてきたか(浅野健一);官僚機構の一部と化したメディアの罪(マーティン・ファクラー));
 
終章 権力の暴走とメディアの加担―小沢問題の意味を問う(木村朗)
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いま、「憲法改正」をどう考えるか』(岩波書店)ーーさすがの樋口陽一さん

2013-07-12 | 書評

本書は、「個人の尊厳」 こそ、近代民主主義の真髄であることを、歴史的・論理的に平易に説き、明治期からの日本の「立憲主義」の伝統を明快に解説した樋口氏渾身の作です。

樋口氏は、国際的視野の広いたいへん著名な法学者ですが、豊かな教養人でもありますので、近代憲法のもつ意味と意義が広い視野から学問的に明らかにされています。

今回の自民党の「憲法改正案」は、明治政府の要人たち・保守主義の伊藤博文でさえ明確に主張していた「個人」の自由と尊厳の価値を否定する驚くべき「国家主義」であることが説明されています。これは、歴史の中で人類がようやく獲得した民主制の土台を崩し てしまう「案」であり、到底容認できるものでないことが分かります。

読み易く、論理は明晰。 コンパクトにまとまっています。
近代思想の原理と合わさった「憲法とはなにか」の本質を了解するために、政治家や官僚の方はぜひ一ご読ください。
落ち着いて読むと、近代社会とは何 かの意味がよく分かりますので、日本人みなの必読書と言えましょう。

クリックでAmazonへ飛びます。

武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩集 『たった一度の物語』(アジア太平洋戦争幻視片)石川逸子著の「かなしみが」

2013-06-05 | 書評

   社会契約論に基づく近代民主主義の『日本国憲法』を廃棄、日本主義=国体思想による新憲法づくりが《旧支配階級の孫たち》によって画策されています。

  新しく見せようソフィスティケートしてみても、物事の本質が分かる健康な生活者の理性には、それが近代以前に過ぎないことがすぐに分かります。彼らが狙うのは、戦前と同じく、一部の国家エリートたちによる日本支配です。

  優れた感性と独特の平易な文体による民知の詩人・石川逸子さんの詩集は、そうした流れに抗して、人権と反戦平和のうたですが、説得力ある「語り」を読んで最後に、「かなしみが」に至ります。実存として生きる者の浄化的反省といのちの充実を感じ、深い感動に襲われます。

  全文を書き抜きます。ぜひ、音読してみてください。

 

  かなしみが     石川逸子

 

かなしみが

天から白い花のようにふってくるときは

そのまま 体中 花に染まって

あるいていこう

はるかな山のふもとまで はたらきものの蟻のように

 

にくしみが

ふいにサソリのように襲ってくるときは

はたはたと川のほとりへ駆けていって

笹舟を浮かべよう

太古からながれつづけ ときに淀む川が

はねる魚が 苦い心を冷やしていくだろう

 

深い悔いが

深夜 怒涛のように押し寄せてくるときは

七転八倒しながら

ごめんなさい ごめんなさい

暗い木々に向かって 頭をさげよう

 

この世という旅は

おわるまでつづくのだから

一人ひとり似ているようで それぞれちがう旅なのだから

すれちがえば さりげなく挨拶し

花散る駅 スミレ咲く宿で見た夕日なんか

ぼそぼそと 告げよう

 

よろこびは

すでに旅を終えたひとたち

走っていく幼子からも

与えられるから

しずかに しずかに

耳をすましてあるこう

 

ほっそりとつづいている小道を

ときに茨除け 石につまずき

また つまずきながらも

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オサヒト覚え書き―亡霊が語る明治維新の影  石川逸子著

2013-05-30 | 書評

以下は、Amazonへのレビューです。

 5つ星のうち 5.0

亡霊が「ほんとう」を語ります。 2013/5/30 

By 武田康弘 

 著者の石川さんから頂きましたが、このような本が現代でも出版できるのか、なんと925ページ!筆舌に尽くしがたい情熱に圧倒されるおもいです。帯には、【「天皇制」の虚妄と「近代化」の不実を剥ぐ!】と書かれています。形式と序列支配のいやらしさ・おぞましさが史実に基づいて描かれていますが、石川さんの文章は「明晰な想像力」によるものと呼ぶほかなく、平易にして独創です。著者は、「彷徨でうっすら見えてきたもの」と言いますが、この彷徨は、客観学としての歴史学を超える真実を教えてくれます。わたしは、時間をかけ、じっくり読んで勉強しようと思います。明治維新と天皇制の「ほんとう」を亡霊が語る本、ワクワクします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』-元宮内庁記者から愛をこめて

2013-02-28 | 書評

この本はアマゾンの検索で出あったのですが、2006年刊です。

キワドイ本でも面白本でもなく、平易でとても真面目な本です。皇族と33年間も親しくお付き合いしてきた共同通信社の記者が書いたもので、愛に満ち、人間味にあふれた正義の書と言えます。

ここに書かれている事実と見解は、わたしたち日本人みなが知らなければならないな、そう強く思いました。

【宮内庁の役人】の旧態の思想と驚くべき越権行為には唖然とします。皇族の人権がどのように犯されてしまうのかもよく分かります。

戦後史と天皇制の実態を知るには必読本だと思いますが、それにしてもわたしたち一般国民には、肝心なことは何も知らされていないのだな、と改めて思いました。なんために日本史を学ぶのか?です。【もっと真実を!!】

本書の最後(203ページ)に、著者は、「この本を、両陛下に読んでほしい。元宮内庁記者からのお願いである。」と記しています。

ぜひ、そうなってほしいと思います。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸徳秋水著『帝国主義』ーー安倍首相が唱える「愛国心」の稚拙さと危険性を見事に暴く「美しい本」。

2013-01-04 | 書評

暫く前に、幸徳秋水の『帝国主義』を読みました。
岩波文庫で出ている原文ではなく、遠藤 利國 さんによる現代語訳です。

人間への深い愛と平和をつくるための条件。国家主義=帝国主義への強い憤り。
有機的な知による律動的な日本語。生きた思想と博識は、読む者に悦びと勇気を与えます。

いまに生きるわたしたちの必読文献だと感じ入りました。

人格高潔で博学博識、人間愛と強い使命感をもった幸徳秋水は、天皇主義を掲げる明治政府により殺害されましたが(無実の罪を着せられ、実質裁判なしで即刻死刑ー大逆事件)、いま、【愛国】を謳う政治家は、彼のような優れた日本人を殺害した明治政府とそれを支えた国体思想(近代天皇制)について、どう思い、どう考えているのでしょうか?

『帝国主義』は、冒頭から、いま主流の安倍首相が唱える【愛国心】がいかに稚拙で危険なものかを完膚なきまでに暴きます。見事な説得力でグイグイと引き込まれてしまいます。明治政府が幸徳秋水を殺さなければならなかった理由がわかります。

わたしは、彼のような日本人をこそ誇るべきだと思います。この書の英語訳とフランス語訳が進んでいるとのことですが、慶賀に堪えません。

(※なお、この本は、とても美しい装丁で、最高級の紙が使われ、亡き幸徳秋水へのオマージュのようです。出版社の良心=深い想いが感じられます。)


武田康弘

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『タブーなき原発事故調書~超A級戦犯完全リスト』 委託配本拒否の暴挙!鹿砦社ホームページ

2012-09-10 | 書評

以下は、鹿砦社(ろくさいしゃ)のホームページです。

緊急! 『タブーなき原発事故調書~超A級戦犯完全リスト』 委託配本拒否の暴挙!

「値上げは権利だ」と前社長の西澤俊夫が言った通り、9月1日より、東京電力は電気料金の値上げを強行した。
各戸に投函された「電気料金値上げのご案内」には、合理化への取り組みのひとつとして、「現役・OBともに、年金を減額いたします」とあった。減額とはなんだろうか?
国土のほとんど、海外にも放射能をまき散らした福島第一原発事故を引き起こした会社の社員が、なぜ年金など受け取っているのか。すべて放棄して、被災者の救済、復興に当てるべきだろう。

東京電力に電話して、「事故当時の会長の勝俣、社長の清水は年金を受け取っているのですか?」と問うと、「個人情報なので答えられません」とのこと。本来なら2人とも、業務上過失死傷罪で咎を受けなければならない人物だ。彼らが年金を受け取って、消費者には値上げを押しつけるなど、とんでもないことだ。

東京電力が答えない、と言うのなら、私たち市民ひとりひとりが、彼らの所に出向いて、直接問い質すしかない。
今回刊行された、『タブーなき原発事故調書~超A級戦犯完全リスト』(鹿砦社)には、福島原発事故に責任のある26人について、彼らのなしてきたことを克明に記すとともに、居住地を地図入りで掲載し、それを可能にしている。

そのうちの何人かを、本書のスタッフは訪ねている。
事故当時の会長の勝俣恒久は、自宅近くを孫と一緒にのんびりと散歩していた。
なんということだろうか。ボランティアで福島に赴き、除染活動を行っている心ある市民も多いというのに。事故の最高責任者は、悠々と老後を楽しんでいるのだ。
他人の生活を根底的に破壊しながら、なんら心に痛みを感じない人々が原発を動かしてきた、という何よりの証左だろう。

また、「プルトニウムは飲んでも大丈夫」と言い放った東大工学部・大橋弘忠教授の研究室を訪ね、「安全だから飲めるんですよね?」と問いかけた。「ナンセンスだから答えたくない」と大橋は、御用学者の無責任ぶりを露呈した。

本書では、広瀬隆、蓮池透、北村肇、山本太郎、日隅一雄氏(インタビュー直後逝去)ら、原発と闘う人々の怒りの声も収録した。
大手メディアではタブーとして封印されている、福島第一原発3号炉で起きたのは核爆発であること、80センチの不等沈下をしている4号炉は日本を壊滅させるほどの危険をいまだはらんでいること、などを明らかにしている。

原子力畑を歩んできた東京電力元社員の勇気ある激白も、収録。検査官との騙しあいの実態、ズブズブの原子力ムラの癒着ぶりなど、安全性などはなから無視されている実情が、赤裸々に語られている。

ところが、タブーを恐れずに真実を書いた本書を、取次各社は、昨年の『東電・原発おっかけマップ』に引き続き、ほぼ新刊委託配本拒否を通告してきました。
『東電・原発おっかけマップ』は、多くの心ある方々のお力をお借りし、直販でほぼ販売でき、焚書処分を阻止しました。

今回、委託配本されるのは発行部数の一部(10数%程度)にしかなりません。できるだけ鹿砦社販売部(sales@rokusaisha.com)に直接ご注文をお願いいたします。直接お申し込みの方には早速発送します。送料サービス/代金後払いです(冒頭の表紙写真をクリックすることで、販売ページに飛ぶこともできます)。

原子力ムラの解体、すべての原発の廃炉に向けて、必須の書であると、自信を持ってお勧めします。原子力ムラの野望を、ともに打ち破っていこうではありませんか。

(FY)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口二郎「若者の現在」-正鵠を射る指摘

2012-08-13 | 書評

山口二郎さんの『若者の現在』と題する今日(8月12日)の東京新聞・本音のコラムは、正鵠を射るものです。

「大学改革の議論では、英語が話せるグローバルな人材の育成が叫ばれるが、何とも的外れな話である。欧米でも、大学の基礎教育は歴史と哲学が中心である。安易なハウツーを身に着けるのではなく、答えのない問題を必死で考える知的基礎体力を持った人間を育てるのが大学の仕事である。
こちらがその気になって刺激すれば、若者は本を読み、考えるものである。むしろ、教える側の見識が問われている。」

大学の教師達が、単なる事実学の伝達ではなく、本質論=意味論としての知を追求するようになること、教育の主眼をそこに置くようにすること、それは、わたしの何十年来の主張ですので、山口さんの指摘はとても気持ちがよく、拍手喝采です。

武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この書の出版は「事件」でした。 アマゾン・レビュー『ともに公共哲学する』(東大出版会)

2012-05-28 | 書評

以下は、アマゾンに書いたレビューです。

『ともに公共哲学する』(東京大学出版会刊)

この書の出版は「事件」でした。 2012/5/28

By 武田康弘

この本の中心を占めている「哲学対談」(「楽学と恋知の哲学往復書簡」30回)の当事者であるわたし(武田康弘)がレビューを書くのはどうかとも思いますが、敢えて書きます。
日中韓における公共哲学運動の中心者で、かつ東京大学出版会から刊行されているシリーズ『公共哲学』20巻の最高責任者である金泰昌氏(政治哲学者)と、
民主的倫理に基づく民主主義の原理を闡明にして金氏の主張する公共哲学の中心理念である「三元論」(公と公共を分離する思想)の批判を展開した私の対談は、京都ファーラムと東京大学において物議を醸したものです。
わたしは、「哲学とは何か」「公共とは何か」という本質論を展開する中で、原理的思考をしない金氏の哲学を批判しましたが、内容としてこれほど厳しい往復書簡を公開するのは、精神と知力の弱い日本人学者では到底不可能で、強靭な精神力をもつ国際人である金氏だからこそできたことです。
同時に当時の東京大学出版会の編集長・竹中英俊さん(現在は特別顧問)の勇気、東大教授会の反対を乗り越える不退転の努力があってこの本は世に出たのです。
また、いま話題の【東大話法】(安冨歩東大教授の『原発危機と東大話法』明石書店刊)が何故どこから生み出されるのか?について、わたしは【東大病】という造語でこれを説明していますが(日本近代史を俯瞰した分明な記述)、はからずも【東大話法】という一現象を哲学的に解明することになっていますので、ぜひご覧ください。
なお、目次に【東大病】を入れたのは、竹中編集長の英断でした。(5)学歴序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能。詳しくは、わたしのブログ『思索の日記』を参照してください。「事件だった『哲学往復書簡』(金泰昌と武田康弘・東大出版会刊)の裏話」http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/42a9777b53ab6bbc72dc08a38be63cc4
また、最近おこなった安冨さんらとの会談についてもブログにしてあります。「【東大話法】と【東大病】をめぐっての四者会談―安冨歩さんらと」http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/3bf81d122981e306fb908d2837de8553

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

事件だった『哲学往復書簡』(金泰昌と武田康弘・東大出版会刊)の裏話。

2012-05-11 | 書評

 金泰昌さんからのお申し出により、5年前、2007年の5月から行われた武田・金の哲学往復書簡34回(出版されたのは30回分)の裏話を以下に記します(金さんは、東大出版会のシリーズ『公共哲学』全20巻の編者であり国際的な政治哲学者です)。

 書簡の前半部分(とくに3回と5回の武田書簡)は、明治政府作成の日本の思想を俯瞰的に説明したものです。政治・社会・教育の全体を支配した【近代天皇制=天皇教・東大病=官僚主義】についてのわたしの見解を提示したのですが、それは、その前後の書簡で説明したように、(1)教育と知の目的は「主観性の知」にあるという本質論と、(2)現象学と実存思想(「私」からの出発)に立脚した哲学に支えられた 歴史と現実社会の分析で、まとめて「武田思想」とも呼ばれています(なお、認識論の原理であるフッサール現象学は、旧友の竹田青嗣さんによる解釈が最も有用で優れていると思いますので、それに依拠しています)。

 後半部分は、公共とは何か?の本質論と、それに深く関係する金さんが主導した東大出版会の基本方針=「公・私・公共の三元論」を巡ってのものです。わたしは、実存論に立脚する武田の公共思想を述べ、現代においては近代民主制(人民主権を原理とする)を徹底する以外に「公共性」を実現する道はないとして、三元論は、民主主義の原理論次元では成立しない(現実次元では有用である)と批判しましたが、それは結果として大きな支持を得ました。公的(2008年1月の参議院におけるパネルディスカッションなど)にも、私的(私信やわたしの催す会など)にもです。それらの多くは、このブログ「思索の日記」でご紹介してきました。

 この哲学往復書簡は、2005年の6月に金泰昌さんがわたしの白樺教育館を訪ねて以降、金さんとの二年間にわたる日常的な電話対話の末に行われたものですが、これが公開されて出版されるまでには、凄いドラマがありました。 

 パート1(「楽学」と「恋知」の哲学対話・第1回~第21回)については、スムースでした。
まず『公共的良識人』紙の7月号に(1)から(11)までが載りました。前例のない特別扱いで、8ページの紙面のうち一面から5面までを使い、活字の段組みや体裁も変えての掲載でした。翌8月号にはその続き(12)から(21)までが掲載され、パート1は完結しました。

 問題は、パートⅡの「三元論」(「公」とは区別され次元を異にする「公共」を置く理論)を巡ってのものでした。わたしは、二元論とか三元論という発想(一元論?四元論?)そのものに異和を感じ、従来の国家主義的発想を超えるためには、民主制の原理を明晰に自覚することが必要で、第三極をおく・第三の道を歩むという優れた実践は、その原理を踏まえないと真に力を発揮しないと考えていました。それは、わたしが都立高校生時に全学議長として学校改革を成就させた体験にはじまる数々の公共的運動の成功体験(我孫子市における実践が主)に基づく確信でした。

 ところが、金さんの三元論は、『公共的良識人』紙とそれを母体にしてつくられていたシリーズ『公共哲学』(東大出版会刊)の屋台骨でしたので、それに対する原理次元における強力な反論であるわたしの書簡は、編集部全員の反対で掲載を拒否されたのでした。
(なお、パートⅡの往復書簡は、実は、発表された30回ではなく34回行われたのですが、わたしの反論に対して苛立ちを覚えた金さんが感情的となり、公表できるレベルを超えてしまいましたので30回までとなっているのです。一旦、冷却期間を置くことにして、往復書簡は中断しました。)

 2007年の11月某日、金さんからの電話で「申し訳ないですが、編集部の全員が反対しているので、哲学往復書簡の後半は、掲載しないことになりました。」と言われました。
わたしは、「分かりました。権利はそちらにあるのですから、わたしは批判めいたことは何も言いません。」と話し、「でも、残念ですね。金さんは、日本では異論や反論がなく、ほんとうに自由な対話がない。それが日本の実に困った問題だ、といつも仰っていましたが、今回わたしたちは、異論・反論を忌憚なく出し合いながらも人間関係が崩れないという見本をつくったのに、それが公表されないとは、・・・・」と話しました。
うーーん、と金さんは、唸り、「武田さん、分かりました。その通りです。もう一度、編集会議を開き、強く言います。」と話し、電話を切りました。
翌日、「武田さん、載せることになりました。どうしても載せたい、とわたしは言い、いろいろ大変でしたが、編集部を説得しました。」と金さんからの電話でした。不思議な感動がありました。素晴らしいことと感じ、心が震えました。

 12月号に載りました。6面から8面の3ページですが、一面に、大きく太い文字で【「楽学」と「恋知」の哲学対話・武田康弘と金泰昌の往復書簡その3】と記載されています。この号は、大反響でした。発行元の「京都フォーラム」に多くのメッセージが寄せられたとのことですが、参議院調査室や人事院の関心も集め、翌1月(2008年1月22日)の参議院におけるパネルディスカッション『公共哲学と公務員倫理』  (パネラーは、わたしと金泰昌さん、東大教授の山脇直司さんと調査室の荒井達夫さん)においても、参加者にコピーが配布されました。

 なお、この往復書簡を発表する段階で、金さんは、自身の書簡を大幅に加筆・訂正しましたので、それに対してわたしも一部手直ししましたが、必要最小限に留めています。加筆・訂正前のオリジナルは、「白樺教育館」のホームページで読むことができます。
(余談ですが、この往復書簡の日付を見ると、わたしは、金さんの書簡を受け取った翌日に返信しているものが多いのです。Eメールが日常化していなければあり得ないことで、よいか悪いかは分かりませんが、自分でも驚きです。)

その後、この哲学対話の続きをしたいと金さんから再度の申し出があり、テーマは「命」ということになりました。まず、武田さんが書いてほしいと言うので書いたのですが、金さんはわたしの思想に応答することが難しいようで、返信がなく、そのまま中断して今日に至っています。というわけで、それからしばらくの間、金さんとの交流はありませんでしたが、2010年の春に珍しく金さんから電話があり、「哲学往復書簡を東大出版会から本にして出したいのだが・・・」とのことでした。

 わたしは、まったく思いもよらぬ話でビックリしました。「東大病」批判も書いた往復書簡が東大出版会から出る?そんなことがあり得るのかな、不思議な気持ちと同時に、金さんにはかなり不利な内容を含む往復書簡を出すという勇気にも感心しました。

 わたしは、この出版に際して、東大出版会の編集長・竹中英俊さんと知り合い、それがきっかけで、メールでやりとりする友人になりました。Facebookでは、いつも私のブログ『思索の日記』に「いいね」を付けてくれます。

東大出版会から本を出すにあたっては、またまた大変な難産でした。この金泰昌さん編集の『ともに公共哲学する』は、金さんの膨大な日本での対話の中から選出したものですが、わたしとの往復書簡がメインで、全体の四分の一(90ページ)を占めています。目次には(1)から(30)までの書簡の小見出しがズラリと並び、(5)【学校序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能】という文字も目立ちます。

よく出せたものだな、と思いましたが、実は、竹中編集長の不屈の闘いがあってのことでした。東大出版会から本を出すには、教授会の賛成が得られなくてはなりませんが、やはり始めは「ボツ」になったのだそうです。それを再度の挑戦で竹中さんは出版にこぎ着けたのですが、彼らをどのように説得したのか、詳しいことは不明です。今度聞いてみましょう(笑)。
はじめボツになった理由は、推察するに、オリジナルすぎる思想でしょう。わたしも金さんも、自身の具体的経験から立ち上げた思想で前例がありませんから、東大という官知の大学人は、どのように遇したらよいかが分からないのです。意味ある反対論はなく、ただ「勝手なことを言っている」程度の言葉しか出なかったようです。

わたしは、東大教授のみならず大学人との交流が多くありますが、彼らは書物に頼るのみで、自身の具体的経験から立ち上げ自身の頭で考える力が弱いので、オリジナルの思想を構築することが出来ないのです。哲学教師はいても哲学者(恋知者)はいません。自分の力で哲学したい方は、大学ではなく、「白樺教育館」の大学クラスにお出で下さい(笑)、と最後に宣伝して、この裏話をおわりにします。

武田康弘

-----------------------------------

 

哲学教師はいても哲学者はいません (荒井達夫)
2012-05-1209:43:11

 日本国憲法の制定に深く関わり、さらに内閣法制局長官、人事院総裁を務めた故佐藤達夫氏は、次のように述べています。

「昭和22 年新憲法の実施とともに、公務員は〝天皇の官吏″から〝全体の奉仕者″となり、その結果、公務員制度についても根本的改革が行なわれました。」(「人事院創立15 周年にあたって」『人事院月報』昭和38 年12 月号)

佐藤氏は、法制的に我が国の公務員の原点を指摘したわけですが、この佐藤氏の言葉を哲学的に掘り下げて「官」の存在意義を説明する学者は誰一人出てこなかったのです。それを成し遂げたのが、武田康弘さんの次の言葉です。

「公(おおやけ)という世界が市民的な公共という世界とは別につくられてよいという主張は、近代民主主義社会では原理上許されません。昔は、公をつくるもの=国家に尽くすものとされてきた『官』は、現代では、市民的公共に奉仕するもの=国民に尽くすもの、と逆転したわけです。主権者である国民によってつくられた『官』は、それ独自が目ざす世界(公)を持ってはならず、市民的公共を実現するためにのみ存在する。これが原理です。」(武田康弘

未来永劫消えることのない、人々の魂に響く言葉といえるでしょう。

「書物に頼るのみで、自身の具体的経験から立ち上げ自身の頭で考える力が弱いので、オリジナルの思想を構築することが出来ないのです。哲学教師はいても哲学者(恋知者)はいません。」(武田さん)

これは、まったくそのとおりです。

――――――――――――――――――

みなさん、ありがとう。 (武田康弘)
2012-05-1214:13:41

荒井達夫さんの大活躍、古林治さんの支え、
コメントを寄せてくれているみなさん、とりわけ、わたしの教え子の綿貫信一さんや染谷裕太さんや青木里佳さんや西山祐天さん・・・愉しい哲学の会の清水光子さんや川瀬優子さんや楊原泰子さん・・・mixiの仲間たち、
鎌ヶ谷市公民館のとわの会のみなさん、
わたしを金さんに紹介してくれた山脇直司さん、竹中英俊さん、わたしを高く評価してくれた金泰昌さん、
同志の福嶋浩彦さん、旧友の竹田青嗣さん、
恩師の竹内芳郎さん、討論塾のみなさん、
内田卓志さん、
熱心に講義を受けられ、ディスカッションに参加された参議院調査室のみなさん、
人間性豊かな心、愛ある人たちの共同がなければ、根源的な変革は不可能です。みなさん、これからもよろしく。
悦びの生、意味充実の知、日本を魅力ある社会に変えるために、ぜひ共に!

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする