思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

『思索の日記』に高い評価と推薦を頂き、とても感謝です。

2010-02-12 | 書評

Cmoonさんに、わたしのブログをとても高く評価し、推薦して頂きました。大変うれしく思います。感謝するとともに、転写させて頂きます。

Cmoonさんは、全く未知の方でしたが、最近、わたしの検察問題のブログにコメントを頂き、mixi内で、「マイミク(友人)」になりました。


僕の愛読ブログ 
Cmoon

◇『思索の日記』http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen

 最近マイミクになっていただいた、タケセンさんのブログですが、僕はとうてい論評などできません。
なぜなら生まれたからには、学ばなければいけないものが、丁寧に優しく語られているからです。
 今僕は最初に遡り読ませていただいていますが、これまで僕がしてきた”勉強”と言われるのもが、いかに空虚なものであったか、知識偏重の底の浅いものであったかを優しく諭し、導いてくれます。
それは一言でいえば”哲学”です。でも、僕がそれまで認識していた、堅苦しい哲学ではなく、本来、哲学とはこれほど、人間味あふれた優しいものであったのかと気付かせ、その先に導いてくれます。

mixiページはこちら
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=548859&from=navi


◇『きっこのブログ』
http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/

”単なる自己満足ブログです。 操作された嘘の情報を信じるのはバカの勝手。真実を書くのはあたしの自由”

 ご存じの方は多いと思います。ブログランキング、日記、雑談分野で断トツの人気を誇っています。ただ面白いだけじゃありません。
きっこさんの真贋を見極める冴えた視線は鋭く、だからといって読者に緊張感を与えることなく、真実を融かしていくんですね。
かなり惚れ惚れする内容と文章です♪

◇池田香代子ブログ
”感じた 動いた 考えた”
http://blog.livedoor.jp/ikedakayoko/archives/2010-02.html#20100211

 ご存知のようにドイツ文学翻訳家、ドイツ文学研究家でたくさんの優れた成果を残されています。
また、911とアフガン報復攻撃を受けて出版した『世界がもし100人の村だったら』がベストセラーになり、その印税でたちあげた「100人村基金」で、NGOや日本国内の難民申請者の支援をしています。

ブログも示唆に富んで、優しい視線で広く世界を見つめ、考えさせられることが多い内容の濃いブログです。


◇カナダde日本語
”カナダで日本語を教えるdesperateな女教師のブログ”

http://minnie111.blog40.fc2.com/

 きっこさんと並んで、ブログ主の美爾依(みにー)さんもすでに著名人らしく、いろんなブログで称賛されています。
政治ブログランキングにエントリーしていますが、3位を下ることはないほどの人気ブログで、鋭い視線で政治を斬りまくっています。
きっこさんにしても 美爾依さんにしても、政治を語れるってとても素敵なことだと思います。

*『きっこのブログ』も『カナダde日本語』も人気ブログだからということで読み始めたわけではなく、いろんなブログを読んでいるうちに辿り着いたんですね。


◇『永田町異聞』
http://ameblo.jp/aratakyo/entry-10455238322.html

 元大手新聞社、社会部記者の冷静な視線で見つめられた政治記事です。
熱過ぎて少しはみ出してしまっているブログと一線を引く優れたブログです。リンクされている方も多いです。
僕は感じるんですけど、記者を辞められたのは惜しいです。
こうした視線が、今もっとも必要とされているのに。
(組織にいると思うように書けないと思いますが……)


◇『日々坦々』
”日々の出来事をボヤキつつ、日本が直面している諸問題の根源を追求する”

http://etc8.blog83.fc2.com/

篤い内容です。内容もリンクも充実しています。注目のブログです。


◇『世に噛む日々』

http://eiji008.blog19.fc2.com/

 ブログ歴は短いけれど、たちまち知れわたりあっという間にランキング入りです。
ブログ名どおり世に噛みついています。権力に噛みつく優しい戦士……かな。


他にもありますが、また次回。

僕は思うんですけど、どこもかしこも似たような報道を流しているテレビニュースや何を言いたいかはじめから想像のつく報道番組、一方的なワイドショーなんか観ているより、ずっと世の中が見えてくる。

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『新憲法の誕生』 古関彰一(こせきしょういち)著 中公文庫

2009-12-18 | 書評

『新憲法の誕生』は、1989年に出され、その年の吉野作造賞を受賞した名著です。
著者は、NHKの大変見応えのある教育番組『民間人7人による焼跡の憲法草案』(2007年)で解説者を務めた古関彰一さん(獨協大学教授)です。
古い本ですし、学術的なものですが、序文に正鵠を射る感動的な叙述がありますので、写します。

「・・・戦争と圧政から解放された民衆が、憲法をよろこび、歌い、踊り、山あいの山村青年が憲法の学習会を催し、自からも懸賞論文に応募する姿は、近代日本の歴史において、この時を除いて見られない。そればかりではない。制定過程の中でたしかに官僚の役割は無視できないが、つねに重要な役割をはたしてきたのは、官職にない民間人、専門家でない素人であった。日本憲法が今日においてなおその現代的意義を失わない淵源は、素人のはたした役割が極めて大きい(戦争の放棄条項を除いて)。当時の国会議員も憲法学者もその役割において、これら少数の素人の力にはるかに及ばない。GHQ案に影響を及ぼす草案を起草したのも、国民主権を明記したのも、普通教育の義務教育化を盛り込んだのも、そして全文を口語化したのも、すべて素人の力であった。
かつて米国憲法150周年(1937年)にあたり、ローズベルト大統領は「米国憲法は素人の文書であり、法律家のそれではない」と」述べたが、近代国家の憲法とはそもそもそういう性格を持っている。
古来、日本において「法」とは「お上」と専門家の専有物であった。その意味からすれば、やはり日本国憲法は小なりとはいえども「新しい」地平を切り拓いたのである。こう考えてみると、そこに冠せられる名は、老いてもなお「新憲法」がふさわしい。」(15-16ページ・「序 新たな視座を求めて」の末尾)

――――――――――――――――

95年の文庫版では、「あとがき」で、

1946年2月に読売新聞に昭和天皇が戦争責任をとって退位する意向が発表されたことを受けて、マッカーサーはそれを阻止するために、急いで天皇に「勅語」(政府に対して、平和・民主主義・人権尊重を内容とする新憲法をつくるように命ずる)を出させた事実をあげています。

GHQが憲法の制定を急いだ理由を、極東委員会が設置されることになった為だけではなく、マッカーサーが、天皇制反対の世界の空気を阻止するためであったことが明らかにされています。連合国が求めた天皇の戦争責任を免責し、天皇の地位を確立する必要から民主的な新憲法の制定を急いだというわけです。

また、宮内庁という役所の異常性についても指摘しています。「天皇の地位はこの憲法によって明治憲法上のそれとは根本的に変化したのであったが、宮内庁を中心とした統治機構内部において、皇室の儀式や慣行は旧来のまま行われ、・・」と、天皇現人神の戦前と変わらない官僚機構の代表が「宮内庁」であることが記されています。


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今朝の日経新聞ー「街の哲学 人を動かす」ー武田康弘

2009-11-22 | 書評

今朝の日本経済新聞(第31面)に、
社会人第58話
街の哲学 人を動かす
という記事が載りました。
わたし・武田康弘の33年間にわたる私塾「白樺教育館」を基盤とした教育と哲学のありようが紹介されています。

日経記者の和歌山章彦さんが、大変に熱のこもった取材(3回の来訪・計12時間以上)により書いたものですので、通常の記事とは異なり、きわめて密度の高い内容です。

受験塾との違いー「意味の了解」
自由対話
サルトル、ポンティの邦訳&解説者で哲学者の竹内芳郎さんとの交流・対話。
「生活世界からの哲学」こそほんものの哲学。
ルソー「社会契約論」初稿ージュネーブ草稿の解説、高校生の質問
多様な人々が集う
丸刈り強制の廃止
情報公開条例の制定
33年間地域に根ざし市民との対話(問答的哲学)に徹してきたが、請われて10月より、非常勤の国家公務員に。
「日本国憲法の哲学的土台を明らかにする」ことを求められる。
「公務員倫理やキャリアシステムの問題点の本質を『武田哲学』の視点で明らかにしてほしい」と期待される(参議院行政監視委員会調査室主席調査員・荒井達夫)。

カメラマンによる写真もさすがです。よい瞬間をアップで捉え、全体の雰囲気を暗示する写真になっています。


わたしのブログの読者の皆さまには、ぜひお読みいただきたいと思います。お近くの新聞販売店でお求めください。

ーーーーーーーー

追記・白樺教育館のホームページに載り、見ることができます。クリック


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『幕末維新の暗号』(日本史の闇)

2009-10-31 | 書評
『幕末維新の暗号』(日本史の闇)加治将一著(祥伝社、2007年刊)

(毎年、式根島キャンプで会う与太郎堂さん(会社員)にメールで薦められたのですが、これは、実に面白い本です。)


驚くべき内容ですが、その真偽のほどは別として(そもそも小説という体裁ですし)、

わたしは、明治政府による日本の歴史の改ざんが今日もまだ十分に正されていないこと、科学的な検証を拒み続ける「宮内庁」(主権者である国民の意思と税金で維持されているはずの役所の一つの機関)の態度は、極めて大きな問題だと思います。

自国の歴史を正しく知る、科学的な方法によりほんとうのことを知る、と言う当たり前のことがなされないと、ピントの合った明晰な考えをつくれず、未来に向けて歩むべき方向が定まりません。特定のイデオロギーや、過去の権力者に都合のよいウソの歴史では、わが国の健全な発展は望めません。

公(おややけ)=公共世界におけるウソ・隠蔽はいけません。よい世界・美しい世界は、真実なくしては開けないのですから。

なお、この書を批判したブログも出ています。
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連続の名訳―山中元氏によるニーチェ『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』

2009-07-20 | 書評
光文社の企画でルソーの名訳を現した山中元氏は、四月に『善悪の彼岸』、 六月に『道徳の系譜学』とニーチェの主著二冊を連続で出しました。これは快挙と呼ぶにふさわしいと思います。共に「光文社文庫」で、1000円以下という良心的な価格です。

これまでの訳文とは大きく異なり、日本語としてよくこなれ、明晰、分明。わたしは、ニーチェのもつイデオロギーをすべて是認する者ではありませんが、哲学(=根源的思考)としては、高く評価しています。ものわかりのよい、ということは、あってもなくてもよいような哲学書ばかりの今の時代に、ニーチェは必読文献のように思えます。誰にでも読める文章は、ドイツ観念論の鬱陶(うっとう)しさとは対極にあるものですし。

現代管理社会(=「正しさ」の強要で人間は窒息して死に至る!)中で、ニーチェの強烈な刺激はじつに爽快です。元から考え直し、やり直し、生き直すことが求められる時代にピッタリなのは、そのテーマに示されています。

ポストモダンはニーチェに範を求めましたが、ポストモダンを終わらせるのもニーチェです。ニーチェの徹底した既成価値・道徳の否定は、人間性のエロースを肯定した新たな文明=秩序の建設に向かっています。いま、既成価値に従うだけの哲学者!?(笑)しかいない時代に、個々人から立ち昇る生の根源的なパワーを復活させたいものです。

哲学者とは、わたしであり、あなたです。求められるのは、みなが自分からはじまる生を生きることではないでしょうか。


武田康弘
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以下は、コメント欄です。

コメント

哲学者とは? (荒井達夫)
2009-07-20 20:06:14

「既成価値に従うだけの哲学者!?(笑)しかいない時代に、個々人から立ち昇る生の根源的なパワーを復活させたいものです。
哲学者とは、わたしであり、あなたです。求められるのは、みなが自分からはじまる生を生きることではないでしょうか。」


まったく同感です。
既成の価値だけに従っているのでは、哲学することになりません。
個々人から立ち昇る生の根源的なパワーが満ちあふれなければ、健全な活力ある社会は実現できません。
自分からはじまる生を生きることなしには、そのような社会は成り立ちません。

本当の哲学者とは、常に現実具体の問題の中で「私」の意識を明晰に持って思考する者なのだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「哲学する」ことが可能な人とは? (タケセン=武田康弘)
2009-07-22 16:34:08

荒井さん、コメントありがとう。怪我で左手が使えないので、返信遅れました。

哲学の土台=自己の存在を見つめ直すという作業は、たったひとりの裸の個人としての「私」の存在について反省することですが、
それを可能にする基本条件は、①生活の困窮から解放されていることと、②固い組織に守られ、高い地位を与えられていないこと、の二つです。

あまりにひどい労働を強いられ、上位下達の中にいては、存在への思いをもつ余裕はありませんが、固い組織の一員として高い社会的身分が与えられ、所得も一般の人以上の額を保証されている人もまた、赤裸々な人間の条件を見据えることはできないでしょう。

哲学者が「お偉い先生」である、とはそもそも概念矛盾でしかありません。したがって、大学教授の職にある人が哲学者であることは、不可能です。

贅沢三昧な生活をしているこどもは別ですが、二つの条件を満たしたこどもたちの多くは哲学者です。しかし、大人で哲学する人は稀です。スくっと立った意識・自由な意識を持ち続けることが、惰性態の中ではできないからです。

固い組織にいる人(大学人・役人・大会社員)に哲学を可能とする唯一の条件は、「改革者」として既存の考え方・既存の組織のありようと闘うことです。ひとり安全・安定の中にいて哲学する(=根源的に考え直す)など、到底ありえません。

哲学がふつうに読んでも分からない理屈の殿堂になり下がったのは、キリスト教という宗教を正当化するために、人心抑圧のイデオロギーとしてつくられた【教会哲学=スコラ哲学】のせいであり、また、18世紀のカントから始まる特権的専門家のための【ドイツ観念論=大学人哲学】のせいですが、これらは、身分・権威が与えられた者がつくった膨大な理屈の山ですので、「固い言語的思考」の次元に留まるほかなかったのです。

自分の存在をよく見つめ、生きるエロースを支え・広げる恋知としてのみなの哲学は、これから始まるのです。心身全体でよく意味を捉え、自問自答と自由対話を方法とする恋知としての哲学=民知は、イマジネーションの働きを核とするのですが、固い言語的思考の抑圧=愚かな権威とは無縁の地平で、野火のように広がるでしょう。

21世紀の新たな文明を象徴するのが恋知であり、民知です。

武田康弘

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【ルソー・ルネサンス】の条件が整ったー中山元氏の新訳は強力な推進役

2009-05-21 | 書評

わたしは、30年以上に渡って「民主主義」を哲学することとその実践を続けてきましたが、いうまでもなく「主権在民」の思想と哲学の基盤をつくった最大の人物はスイス・ジュネーブ生まれのルソーであり、フランス革命を導いた高名な著書は『社会契約論』です。

その見事な新訳が、『ジュネーブ草稿』の初の全訳と一冊になって「光文社文庫」から昨年9月に出版されました。さらに、同じ中山元さんの訳で、『人間不平等起源論』も8月に出ています。

大変分明な中山さんの解説もついていますので、「近代民主主義とは何か」をしっかり学ぶにはよい環境が整ったと言えます。

混迷する現代社会の問題を解決するには、民主主義の本質を自覚し、それを実現するための条件を探り整備すること以外にはありません。わたしは、参議院でのディスカッション(2008年1月)でも、行政監視委員会調査室から依頼されたキャリアシステム批判の論文(2008年11月)でも主権在民の「民主主義」を思想的な土台としましたが、ルソーの社会思想はその最も優れた近代の古典なのです。

いま「ルソー・ルネサンス」が必要ではないのか。中山さんの新訳は、その強力な推進役になってくれます。読みやすい活字の廉価な文庫本ですので、とてもお勧めです。

武田康弘

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社会契約論,ジュネーヴ草稿 -中山元訳(光文社古典新訳文庫)

2009-05-10 | 書評

社会契約論,ジュネーヴ草稿 (光文社古典新訳文庫)
ルソー著 中山元訳


中山元さんの新訳はとてもよいです。初めて「ふつうの日本語」として読める訳が出た!とわたしは大喜びしています。
民主主義の原理を考えるための必読本ですが、平面的思考の「学者」たちが愚かな誤読を重ねた書としても有名です。
ルソーは文学者で作曲もし、フランス古典派の大御所ラモーとの論争は有名です。芸術家ルソーの豊富なレトリックを解さず、表層の字面に振り回されるのでは、書物を読む基本が出来ていない!としか言えませんよね。
この近代最高の古典の一つがとても分明な訳と見やすい活字になり、さらに初の「ジュネーブ草稿」全訳まで付いて980円は安過ぎです!(笑)。
皆さん、ぜひ買い直して再読を。

武田康弘


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『日本が「神の国」だった時代』ー入江曜子著ー岩波新書

2008-05-20 | 書評
『日本が「神の国」だった時代』(国民学校の教科書をよむ)
入江曜子著 岩波新書・2001年12月刊 777円


この本は、高校生、大学生には必読書です。
日本の高校生、大学生が「現代の歴史」を自分自身の経験と照らし合わせて知ることは必須の営みですが、いまだにこの基本的な課題が果たせていません。わが国の学校教育の不備・歪みです。

この本の最後で指摘されている戦前・戦中の日本の問題点は、なんとも残念なことですが、今日でも克服されていません。
以下に書き写します。

「この時代、このような教育と訓練の名による超国家思想を刷り込まれた不幸は、
一体感のなかに、横並びの価値観のなかに自己を埋没させる快感―判断停止のラクさを知ってしまったことである。
そしてもう一つの不幸は、全体主義のまえに個人がいかに無力かということを知ってしまったことである。
そしてさらなる不幸は、いかなる荒唐無稽も、時流に乗ればそれが正論となることを知ってしまったことであり、
それ以上の不幸は、思想のために闘う大人の姿を見ることなく成長期をすごしたことであろうと思う。」
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『フロイト思想を読む』竹田青嗣・山竹伸二著(NHKブックス)

2008-05-13 | 書評
書評
『フロイト思想を読む』竹田青嗣・山竹伸二著(NHKブックス)


本書は、平易ですが、内容は類書にない極めて優れたものです。その理由は、フロイトの理論を「事実学・科学」としてではなく、人間の「本質論」(本質的な人間学)として捉えているからです。

事実を事実として定立させているのは人間自身ですから、人間存在を事実学・科学として捉えることはできません。事実学の探求仕方とは方向が逆なのです。これは哲学する者(恋知者)からすれば言わずもがなの原点ですが、心理学の研究者にはそのことがなかなか分からないようで、錯綜した議論に陥り、無意味な理論の山が築かれてきました。フロイト自身も自身の見解を「精神科学」(事実学)だとしたために、余計に混乱をきたしたのです。

本書では、「正しく」この人間存在に対する一つの優れた洞察を、【「エロス的存在」としての本質的な人間学】(竹田)として捉え、そこからフロイト思想を見事に活かす道を示しています。「無意識」という概念によって人間の本質を考えてみたい人にはとてもお勧めです。最終章(第6章)の「無意識とは何か」だけでもよいですので、ぜひ。

「事実学」的な歪み、袋小路に入ることなく 思考をきちんと前に進めるためには、本書のように「本質学」として探究することが絶対的な条件です。人間とは自分自身が「欲望」であり「身体」なのですから、超越者の立場に立って、事実としての人間を見ることは原理的に不可能です。事実学=客観学として人間学に取り組めば、逆立ちした有害な認識しか得られません。

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ヘーゲル完全読解!?うん、なるほど。

2008-01-13 | 書評
昨日夕方、「完全読解・ヘーゲル『精神現象学』」(講談社選書メチエ)という怪しげな名の本(笑・失礼!)が著者謹呈で竹田青嗣さんから送られてきました(数日前に「出版社のミスで遅くなってしまった」旨、竹田さんからメールがありました)。

ヘーゲルという人間は、文章が下手で、かつ、自分でつくった術語をたいした定義もなしに使う悪癖のある人なのですが、そのしつこく込み入った文章、しかも後期の神学丸出しのへんてこな「哲学書」に幻惑されずに、よくもまあ、これだけ良心的に読解したな~というのが1時間くらいで速読したはじめのわたしの感想です。「完全読解」!と言いたいのもよく分かりました。

竹田さんとは人間のタイプが異なる西研(にし・けん)さんとの共同作業が素晴らしい成果を上げた!と思います。お二人は共に、現実次元ではなく「哲学世界」で力を発揮するタイプですが、おそらくこれほどのヘーゲル本(「精神現象学」が中心)は空前絶後のような気もします。

こういう本が世に出ると、大学でヘーゲル哲学を講じる先生は大変でしょう。学生にこれを読まれてしまうと立場なし!ですもの~(笑)。禁書、いや焚書かな!?

ヘーゲル哲学の真髄を知りたい方、および、ヘーゲル哲学から現代哲学(ポストモダンという名の知の退廃)を越える思想を汲み取りたい方は、この本を熟読されるといいと思います。1000年もつづき難攻不落と思えたキリスト教の「スコラ哲学」を打ち破った【近代思想】が、脆弱で甘ちゃんの現代思想よりもはるかに優れたものであることが了解されるはずです。

ただし、わたしは、小さい子どもたちから成人者までの「意味論的・対話的な学習・教育」の仕事やいろいろと変化に富む生活の中で、直接経験から書物に拠らずに自分で考えを生み出すタイプの人間(頭脳)ですので、哲学書の解読は、竹田さんや西さんにお任せです。お二人とも実に優れた稀に見る解析者― 読解者であることは、わたしが太鼓判を押します。

武田康弘
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「公共的良識人」紙12月号ー公と公共をめぐる金・武田対話掲載

2007-12-11 | 書評

『公共的良識人』紙の7月号・8月号に掲載された【恋知と楽学の哲学対話】のつづきが、12月号に載ります(再開後の対話のうち、9月5日から10月10日までの分)。
これは、金泰昌氏(シリーズ「公共哲学」全20巻の編者)と私との視点・観点の違い(公と公共をめぐる)がはっきり言明されたために、互いの思想の内実が明瞭になり、とても有意義な対話になっていると思います。「違い」の明晰化が現実を前に進めるのに寄与すれば、長期にわたる往復書簡の価値がはっきりします。互いの立場・視点や国、仕事の違いを超えて、ここまで粘り強く対話を続けてきたのには、大きな価値・意味があるのでは、と感じています。

「違い」は生産的であることを示せれば、金氏も私も幸せです。

今週末の「公共的良識人」紙12月号の発行と同時に、「白樺教育館ホーム」にもアップしますので、ぜひご覧下さい。

なお、この12月号にもまだ載らない10月22日の武田の書簡のみ、10月29日のブログに載せていますので、ご覧下さい(次号の予告編みたいですが・笑)。

さらに、この後の第三次往復書簡も始まりました。テーマは「命」です。


武田康弘




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「国際公約」をどう果たすー非軍事日本型貢献を探れー東京新聞社説

2007-09-17 | 書評

「安倍首相の記者会見は困惑でした。理路がたどれないのです。ついには怒りがこみ上げてきました。職ではなく、命を賭すべきではなかったか、と。」
に始まる本日の東京新聞社説―「国際公約」をどう果たす(週のはじめに考える)は、まことに正鵠を射る論理で、感心しました。
「テロとの戦い」、が、アメリカの不毛で逆効果しか生んでいない【対テロ戦争】に加担することにすりかえられてしまっていますが、社説ではこの問題を取り上げています。ぜひ、ご覧下さい。クリック
(福田、麻生氏とも、相変わらずのアメリカ追随で、真の国際貢献とは?については考えていません。民主党の小沢代表の主張は筋が通り、国益にもかなっています。)

武田康弘


東京新聞社説ー「国際公約」をどう果たす

 首相の約束によってインド洋上での海上自衛隊の給油活動継続は国際公約になったのでしょうか。七年目に入るテロとの戦いは終わりなき戦いのようです。

 論説室の同僚が伝える安倍晋三首相の消息に胸騒ぎをおぼえました。うつろで意欲を失ってしまっているというのでした。

 シドニーでのブッシュ米大統領との会談後の高揚ぶりがかえって不審でした。突然の辞任表明は驚きでしたが妙な納得がありました。

 辞任会見は困惑でした。理路がたどれないのです。ついには怒りがこみ上げてきました。職でなく、命を賭すべきではなかったか、と。凶弾に倒れても男子の本懐とするのが総理との思いがあったからです。

 アフガンの二つの戦い
 綸言(りんげん)汗の如(ごと)しといいます。首相が対テロ支援継続を約束したというなら、その責任は重く万難を排すべきものでしょう。それを任務遂行前に投げ出してしまったのでは、首相ばかりか、日本と日本国民が侮られるのではないかと心配なのです。テロとの戦いには内外に筋を通さなければなりません。

 日本がテロとの戦いに参加しているアフガニスタンではテロをめぐる二つの戦いが続いています。

 一つは二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロ直後の十月、米国が自衛権を発動して開始された対テロ戦争、もう一つが国際治安支援部隊(ISAF)を中心にした国連平和活動での戦いです。

 タリバンやアルカイダへの報復爆撃や殲滅(せんめつ)作戦が展開される対テロ戦争には、英、仏、独などの北大西洋条約機構(NATO)加盟国が米国への攻撃を自国の攻撃とする集団的自衛権を行使して域外の戦闘行為に初めて加わりました。

 国連安保理決議一三六八は、対テロ戦争での米国の自衛権と各国の集団的自衛権行使を容認しました。対テロ戦争は、安保理が必要な措置を取るまでの間の緊急避難行為で、国連活動とはされません。

 民衆の声は届かない
 海上自衛隊の給油活動は対テロ戦争への支援です。各国が集団的自衛権を行使しての参戦なのに対して日本国憲法は集団的自衛権の行使を認めていません。そのためのテロ対策特別措置法でした。

 〇一年十月に成立したテロ特措法の正式名称は「平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法」と長文です。

 集団的自衛権をめぐる憲法問題回避のために国連憲章や国連決議が強調され、米国支援がうたわれていないところがポイントです。しかし、小沢一郎民主党代表らは海上自衛隊の派遣・支援活動は集団的自衛権の行使などとしてテロ特措法に反対しているのが知られています。

 一方のISAFはタリバン政権崩壊後の新政権支援を任務とする国連部隊です。安保理決議一三八六に基づいて三十七カ国三万六千人が参加していますが、日本から要員は出していません。

 アフガンでの二つの戦争からは、日本のテロとの戦いが国連という名を借りた対米協力との実態が浮かび上がってきます。イラク、アフガンへは緊急立法してまで自衛隊を派遣しながら国連への人的派遣はほとんどないからです。

 〇一年十月七日の米英軍の首都カブールへの報復爆撃の軍事行動(不朽の自由作戦)からまもなく六年、アフガンはタリバン政権の崩壊と復活の過程といえるでしょうか。現在、陸上作戦に二十カ国、海上作戦に八カ国、ISAFに三十七カ国、地方復興支援に二十七カ国が参加していますが、届いてこないのが民衆の声です。

 NGO(非政府組織)関係者によれば治安は過去最悪で、戦乱と干ばつで農地は失われ、対テロ戦争前には90%を超えていた食料自給率は50%台に落ち込み、難民は三百万人、反米英感情が生まれ、タリバン勢力は復活拡大しています。

 それを象徴するように米同時多発テロの首謀者とされるウサマ・ビンラディン容疑者のテレビ登場の衝撃があったばかり。イラクの四千人まではいかないものの多国籍軍の死者は六百五十人、民衆の犠牲となるとこの国には統計がありません。軍事解決の限界と困難を示します。

 非軍事日本型貢献を探れ
 テロ特措法は十一月一日で失効します。海上自衛隊の撤退問題は首相指名後の臨時国会での最重要テーマとなるでしょうが、テロとの戦いのあり方も含めて真剣に論じられるべきです。

 テロ特措法に問題があるとしても自衛隊の撤収後にどのような貢献ができるのか。世界の平和と安全のために協力する姿勢は示すべきです。その点、対米協力一辺倒や国連活動の実績の乏しさが気がかりです。憲法の理念を生かしての非軍事・人道の日本型貢献が探られるべきです





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『公共的良識人』7月号発刊=金泰昌・武田康弘の往復書簡―「楽学と恋知の哲学対話」

2007-07-27 | 書評


「楽学と恋知の哲学対話=金泰昌と武田康弘の往復書簡」が、7月号の『公共的良識人』紙に掲載されました。一面から5面までを使い、往復書簡の前半が載っています。後半は来月8月号に掲載されます。

往復書簡の内容は、このブログー「思索の日記」と「白樺教育館ホームページ」クリックに掲載したものを多少手直ししました。金泰昌さんの文章は、かなり大幅に改められています。

『公共的良識人』紙は、主に全国の県知事および市長、各大学の総長や学部長および哲学や社会学関係の大学教授、会社経営者に郵送されている新聞ですが、お読みになりたい方は、京都フォーラムまでお申し出下さい。送料程度で入手できるはずです。

京都フォーラム(「公共的良識人」紙・発行元)
〒.530-0001 大阪市 北区 梅田 1―1-3 大阪駅前第三ビル25F.
TEL.06-6344-2715 FAX.06-6344-2716
Eメール institute@felissimo.co.jp 


なお、以下に、7月号冒頭の「はじめに」を載せます。

【はじめに】
金泰昌氏と武田康弘の『哲学対話』に到る経緯について。

わたしと金泰昌氏との出会いは、二年前の6月です。まったく未知の方であったキム氏とのご縁は、本紙2005年7月号に書きました通り、わたしが、白樺派の精神を現代に生かそうというコンセプトの下につくった「白樺文学館」(出資者は日本オラクル初代社長の佐野力氏)の基本理念を東大教授の山脇直司氏がキム氏に送ったことに始まります。この基本理念は、今は白樺文学館ではなく、「白樺教育館」のものですが、それを読んで感動・共感されたキム氏がわたしとの対話のために来館されたのです。

キム氏は、都合4回白樺教育館を訪れ、白樺に集う大学生や市民たちとの自由対話を楽しみ、皆に大いなる刺激を与えましたが、その間にもかなりの頻度で電話での対話を続けました。それは、従来大学で行われてきた哲学=「哲学史 内 哲学」ではなく、もっと有用な広い意味での哲学=生活世界でふつうの市民が哲学する道を切り開くためにはどうしたらよいのかを模索する対話であり、その中には往復書簡も含まれています。それを皆に示すことで、「哲学の民主化」のために多くの方のお力を得ようではないかという共通了解に達しましたので、公開することになったのです。

なお、キム氏の基本姿勢は哲学することは「大楽」であるべきだということですが、わたしは、「フィロソフィー」を語源どおり「恋知」と訳して立場としています。恋とは聖なる狂気ですが、この「狂気」の善用のみが、人間の生きる意味・悦びの産出を可能にすると考えているからです。

最後に、自己紹介をします。
わたし武田康弘は、1952年5月東京神田生まれで、大学では哲学を学びましたが、それは哲学の専門家になるためではなく、自分で哲学するための一助と考えてのことでした。在学中から哲学を現代社会に生かす「意味論としての学習」を行う教育機関をつくろうと決め、1976年に独力で小さな「私塾」を開きました。
それが「白樺教育館」の前身「我孫子児童教室」ですが、そこでの教育実践を哲学するために同時に「我孫子児童教育研究会」を開き、それが後に管理教育是正のための市民運動を推し進めることになったのです。その経緯は、岩波書店からの依頼による「我孫子丸刈り狂騒曲」(「世界」92年8月号)に詳しく記しました。
わたしは、この1986年に始まる教育改革運動の直前からの数年間、哲学者の竹内芳郎氏に師事し、言語論を中心に、宗教論、文化論を学びました。1987年から「哲学研究会」を開きましたが、その主要メンバーであった佐野力氏の依頼で1999年2月から「白樺文学館」の創設に全精力を注ぎ、2001年1月の開館からは初代館長を務めました。そこでの活動を活かして、より明瞭に当初の理念を生かすべく2002年初頭から二年をかけて「白樺教育館」をつくり現在に到っています。

では、刺激的な楽学と恋知の哲学対話、ぜひ最後までお読み下さることを。

白樺教育館館長 武田康弘




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『知るを楽しむー歴史に好奇心』4月5月号ー漢字と漢方

2007-07-08 | 書評

衆知の通り、明治政府の富国強兵政策より「日本の伝統」は大きく変えられました。
医療の分野では、日本が独自に発展させた漢方医学を1874年(明治7年)に廃絶して、西洋医学修得者のみに医師資格を与えることになりました。
これは、漢方が「個人」の体質や病状を重視する哲学・精神・方法をもつためで、外科・公衆衛生に優れた「集団」の医学ではなく、戦争を進める強兵政策には合わなかったためと言われます。

NHKの知るを楽しむー歴史に好奇心』の4月・5月号の、「漢方なるほど物語」で、石野尚吾さんが「漢方医学の現在と未来」という小論を書いていますので、簡単に紹介します。

「不易流行」と「和して同ぜず」

漢方医学は、時々の医学の流行と調和・対応しながら、漢方医学の確固たる理念を残し伝えてきた。まさに不易流行こそが日本漢方の伝統。

西洋医学と漢方医学は、「和して同ぜず」というスタンスで考える必要がある。両者は融合してはならない。融合とは溶かし合わせることであり、それぞれの医学の本質を溶かしてしまうことになるからだ。お互いの本質を保ち、尊重しつつ協力、協調することが大事。

一人の医師が西洋医学と漢方医学を学び実践していくことこそ本当の協調だ。

木を見て森も見る新しいパラダイムを。
――――――――――――
他にも、
☆漢方薬はオーダーメイド
☆葛根湯の不思議
☆明治が手放した知恵など、分かりやすく面白い記事が載っています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

また、同じテキストの「日中二千年―漢字のつきあい」は、さらに興味深い内容です。

加藤 徹(かとう とおる)さんの視点・解説は大変見事で、「漢字の魔性」「残虐な字源」からはじまり「天皇と日本国王」「和製漢語―哲学と革命」に至るまで、すべてが生きている学問になっています。
まさに、『知るを楽しむ』というNHKの番組コンセプト(論語の「之を知るものは之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」)を具現しています。

このテキストは、NHK出版 http://www.nhk-book.co.jp(TEL.048-480-4030)で買えます。683円(送料65円)です。

武田康弘






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おそるべし!川端康成コレクション(芸術新潮ー2007年2月号)

2007-01-27 | 書評

少年時代に雑誌「白樺」を愛読し、そこから強く影響を受けた川端康成は、国宝を含む多数の美術品の収集家としても有名でした。良寛の書、雪舟、光琳、玉堂らの日本画、当時の新進画家の作品、陶器・朝鮮の白磁、ロダンの彫刻、ガラス器・漆器・・・・

おまけ!?の話ですが、志賀直哉のツアイスの顕微鏡(息子のために購入)に影響されたのか?1937年には、35mm版カメラの最高峰、ツアイスのコンタックス?型を入手して写真もたくさん撮っています。

今月号(2007年2月号)の「芸術新潮」の特集は、【おそるべし!川端康成のコレクション】(定価1400円)です。これは実に見ごたえのあるものですので、ぜひ、お近くの本屋さんへどうぞ。

余談ですが、1968年、ノーベル文学賞受賞が決まった日の夜、駆けつけた三島由紀夫と一緒に写っている写真(32ページ)を見ると、川端の「強さ」が際立って見えます。三島は〈表層言語の達人〉に過ぎなかったというのが、私の三島評ですが、底力のないさまが顔に表れています。

武田康弘








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