思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ケストナーの『飛ぶ教室』より

2009-06-15 | 日記
以下は、世界中で愛読されてきた児童読み物―ケストナーの『飛ぶ教室』からです。

みなさんは、できるだけ幸福でいてください。そして、おかしくておかしくて、その小さなおなかがいたくなるほど、愉快(ゆかい)にやってください。
でも、ただ一つ、自分をごまかしてはいけません。また、ごまかされてもいけません。不幸にあったら、それをまともに見つめることを学んでください。うまくいかないことがあっても、あわてないことです。不幸があったてもくじけないことです。へこたれてはいけません。不死身にならなくては。
この一番かんじんなことさえわきまえていれば、勝負はもう半分きまったようなものです。なぜなら、そういう人は、ちょっとくらいパンチをくらったところで、落ち着いたもので、一番かんじんなあの二つの性質、つまり勇気と賢(かしこ)さを示すことができるからです。わたしが次に言うことを、みなさんは、よく覚えておいてください。
賢さをともなわない勇気は乱暴(らんぼう)であり、勇気をともなわない賢さなどはクソにもなりません!世界の歴史には、おろかな連中が勇気をもち、賢い人たちが臆病(おくびょう)だったような時代がいくらもあります。これは、正しいことではありませんでした。勇気のある人が賢く、賢い人たちが勇気をもったときにはじめて――いままではしばしばまちがって考えられてきましたが――人類の進歩というものが認められるようになるでしょう。



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奥多摩ハイキングー鳩ノ巣~白丸~奥多摩

2009-06-09 | 日記
7日(日)、奥多摩にハイキングに行きました。白樺教育館・ソクラテス教室の恒例行事です。こども10名、大人2名。自由遊びでノビノビ~~~。写真は、わたしと小学生の女の子のツーショット!歳の差(47歳)なんてー(笑)撮影も小学生、デジタル一眼は誰が撮ってもよく撮れる?

我孫子から奥多摩までは3時間かかりますが、「鳩ノ巣」の渓谷美は何度行ってもいいです。「白丸」までのハイキングコースは変化に富んでいます。途中の湧水をペットボトルで持ち帰り、お茶にコーヒーに紅茶に、軟水のすっきりしてやわらかい味わいは格別。こどもたちも慣れたもの、みな自然の贅沢を堪能です。

土日、祝日は、ホリデーパスを使うと大人2300円、1300円もお得です。みなさんもぜひどうぞ。JR青梅線。
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官を守り、個人は守らない「国家」!?

2009-06-08 | 日記
足利事件は、6月5日のブログ【冤罪ほど酷い「犯罪」はありません・官僚のお上意識が元凶】 に書いた通り、これは[一つの事件]というレベルの問題ではなく、日本社会の本質的な反民主制の現われです。


「 街を行き交う人たちを眺め、「刑務所では移動はいつも行進。やはり、人間には自由がないとだめだな」と語る菅家さんは、日常生活の中の幸せを満喫しているようだ。
 だが、今後の生活への不安も大きい。釈放から2日間は、東京都内のホテルに宿泊したが、金銭面での負担が大きく、6日以降は佐藤博史弁護士の横浜市内の自宅に泊めてもらっている。
 菅家さんは「(刑務所の)外に出たら、1人ではものすごく不安で、買い物でも、トイレでも、やり方がわからない。佐藤先生のそばにいると本当に心強い」と話す。
 生まれ育った栃木県足利市で暮らすことを希望しているが、急な釈放だったこともあって、今後の生活についてはまだ何も決まっていない。弁護団は、今後、菅家さんのための募金集めをすることも検討している。 」(6月8日9時27分配信 読売新聞)


菅谷さんに無実の罪を着せ、17年間以上も獄中に閉じ込めた「官」(=官府)は、ただ釈放して済むと思うなら、間違いなく「地獄堕ち」という他ないでしょう。
五欲に憑かれ、悪をなしてしまう人間こそ救われると説いた親鸞聖人の浄土真宗も、国家権力を用いて個人を抑圧した人間の救済など考えていません。当事者たちの心の底からの反省ー「回心」が求められます。

警察、検察、裁判所は、責任を果たしなさい。政府は、礼を尽くした救済を至急行わなければなりません。日本が【官僚独裁国家】でないこと、【東大病の「エリート」(もちろん少しも優れていませんが)支配】の遅れた後進国でないことを、今すぐ示すことが必要です。そうでないなら、日本は、近代民主主義国家とは言えません。「主権在民」を貫く国家以外の国家にはレーゾン・デートル(存在理由・価値・意味)はないのです。これは近代社会成立以降の大原則です。


武田康弘
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新総理の誕生を望む

2009-05-17 | 日記

政権交代は、民主主義の大原則です。
あまりにも長い、気が遠くなるほど長い自民党中心の政府が続いてきましたが、
わが国が民主主義国家としての健全さを保つには、政権交代が不可欠であり、これは論を俟たないと思います。
次期衆議院選挙には、無党派層だけでなく、今まで自民党を支持してきた方も、民主党に投票すべきだと思います。
わたしは、民主党支持者ではありませんが、官僚主義の弊害を減らすためには政権を交代させることが必要ですので、次回の選挙は民主党に投票しようと思います。
鳩山新総理の誕生を望みます。

武田康弘
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小沢城陥落?民主党は天敵―霞が関のキャリア官僚たち・東京新聞

2009-05-13 | 日記
民主党復活を怖がるキャリア官僚たちの実態が、今朝の東京新聞・「こちら特報部」に大きく紹介されています。

外国人ジャーナリストから「キャリア官僚による独裁国家」呼ばれているわが日本は、「東大病による主観を消去するシステム」により運営されてきました(それについてはわたしの参議院発行「立法と調査」の論文21を参照してください。21・武田康弘)。

先ごろも、検察官僚による【官僚の集団無意識】とでも呼ぶべき力は、小沢一郎の第一秘書逮捕という前例のない事態を生み、「小沢城、落城」を成しました。

ところが、その『「小沢城、落城」。11日の小沢一郎・民主党代表辞意表明に戸惑っている人々がいる。民主党を天敵とみなし、小沢氏の秘書逮捕以来のドタバタにほくそ笑んでいた霞が関の官僚たちだ。』(東京新聞)として、「官僚が民主党を怖がる6つの理由」が二面にわたって紹介されています。「官僚主導政治の元で、自公政権を手玉にとってきた霞が関」は、ミスター年金=長妻議員に「火だるまにされた」厚生労働省に代表されるように、「うらみ骨髄」だとのこと。それは、煮え湯を飲まされてきた法務省、外務省、検察庁、警察庁も同じとのことです。「民主党政権になれば、震え上がるのは霞が関官僚だ」で結ばれていますが、内容については、東京新聞をご覧ください。

デスクメモには、「(小沢辞任=新代表選出で一番傷ついたのは、)政局を混乱させないことが伝統だった検察と、敵失を享受していた政府与党だ。」と書かれています。
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酔って夜中に裸になったら、逮捕・監禁・家宅捜査。狂っているのは誰か?

2009-04-24 | 日記
これは、もはや論外です。
酔っぱらって、夜中に裸になったら、注意して、服を着せればいいのです。
警察、政治家、マスコミがこんなことで大騒ぎ。「正常」な判断力を失っていますね。
逮捕、監禁、家宅捜査、なんだか恐ろしい国になりました。わたしは、言い知れぬ「気持ち悪さ」を感じます。
どこまで「狂って」いるのでしょうか。この国は。
バランスのとれたまっとうな判断の出来ない人間の集合体になってしまった原因はどこにあるのでしょう。
書くのも愚かしい話です。いい加減に目覚めよ!とだけ言っておきましょう。

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以下は、ミクシーブログでのやりとりです。


ヨッシー 2009年04月25日 05:58


 まったくその通りと思います。

 通常だったら、一晩勾留の後、厳重注意で解放です。

 有名人だったから、ということ以外に理由はないようにも思いますが、現在、公安の鼻息の荒さと無縁であって欲しいと願ってます。

 ではでは ヨッシー
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フリーデン 2009年04月25日 13:51


ご無沙汰しています。

この出来事で特に問題だと思ったのは、祖父の七光で総務大臣を務めている総務大臣の発言です。政治的な日和見主義者であるこの人物が法務大臣の時発言した「乱数表とかで死刑執行を決めたらよい」という暴言は、忘れるべきではありません。こういった人物を追及しないメディアの責任も大です。
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タケセン 2009年04月25日 13:52


ヨッシーさん

悪未来の「管理社会」のようにも思えます。

人間をタイプ別に分類し、「一般化」する。一般化の圧力に抵抗する者は、価値なきもの・狂えるものとして社会的に抹殺するーソフト化した村八分。

ふつうの人々の「没思想」の生が、それを生みだしてしまう。
はみ出たもの・規格外のものを認めない社会は、活力を失い、一般化の海に沈み、生きるよろこびが消えていく。

人間=生物にとって一番大事な、内的エネルギー・パワーが失われてしまう、このところの「社会の超管理化=個人から発する思想の無視」を見ていると、そんなことまで考えてしまいます。
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タケセン 2009年04月25日 13:59


フリーデンさん

いま、ヨッシーさんへの返信を出したら、同時にフリーデンさんのコメントが入りました。

わたしも鳩山総務大臣(元法務大臣)の所業を並べて書こうとも思ったのです。ただ、具体的に書くのがバカバカしくなるほどの話なので、ごく簡単なブログにしたのですが、フリーデンさんのご指摘はその通りだと思います。



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よい趣味こそ人生最大の得ーわたしの半生

2009-04-22 | 日記

ここで、わたし自身のことを少し書きます。
わたしは小学生のころから「好きなこと」が多く、いくつもの趣味をもっていました。考えること=物事のなぜを考え、何がほんとうなのかを追及し、生きるに値する人生とはどういうものかを思案するのは、幼い頃よりの習い性でしたが、同時に、いつも好きなこと=趣味を追求してきました。

幼少からの【動物】好き、小学3年生からの【写真】撮影は父親の影響でしたが、5年生からは【社会・政治問題】を知り考えることに興味を持ち、小学校に「政治クラブ」をつくってもらいました。また、6年生のときからは【天文】に関心を持ち、中学1年生のときに買った貰った反射望遠鏡を担いで、親友と二人で高尾山に幾度も登りました。神田神保町の本屋で天文関係の本を立ち読みするのが楽しく、習慣になりました。中学2年生のとき父親に頼んで入手した一眼レフ(PENTAX)での写真撮影は、ドキドキする楽しみでした。写真部の暗室で現像や焼付・引伸しもしました。【カメラ】に凝り、友人と各社のレンズの撮り比べをするのも面白いことでした。【音楽】は幼い頃から好きで、幼稚園の時に音楽映画の主役となりましたが、中学3年生の時からは、レコード(LP)を買い集め、ブラスバンドでトロンボーンを吹きながら、よい音を聴きたくて【オーディオ】にはまりました。秋葉原の視聴室に入り浸り、オーディオ工作に明け暮れたのでした。また同時に【哲学】書を読む習慣ができ、高2のおわりに『資本論』を哲学書と見立てて読み(第一巻のみ)、感動しました。また、幼い頃から海好きでしたが、大学に入ったころからは【ダイビング】を趣味とし、一人で伊豆の海などで素潜りを楽しんでいました。後に月刊『マリンダイビング』誌に依頼されて、日本ではじめて「子どもたちのキャンプ&ダイビング」について連載するようになったのは、そのせいです。【山登り】も好きで、定期的に奥多摩や秩父に行き、北岳など南アルプスも数回、主に単独行で登りましたし、また【サイクリング】で房総半島や奥武蔵などへのツーリングも楽しみました。

これ以降の大人になってからの趣味は記しませんが、これで、わたしが受験勉強(=うんざりするほど意味のない丸暗記やパターン知)を嫌悪する理由も分かって頂けると思います。自分で好きなこと、興味のあることを学ぶのは、深く意味を探究することになり、物事の核心に迫る最良の方法です。ほんらいの哲学と通底するものと言えましょう。通り一遍の知ではなく、深く、かつ実用性を持った知の追求が【趣味】のもつ素晴らしさだと思います。

なお、ここで注意が必要です。それは、「趣味の人」と「オタク」とは全く異なることです。オタクは、閉じた「私」の世界ですが、趣味は、公共性への通路をもった開かれた「私」の世界で、普遍的なよきものを目がけるのです。ものごとを表層的に知るだけの「一般性」のレベルを突き抜けて深く知り、「普遍性」を獲得しようとするのがほんらいの趣味の世界だと言えるでしょう。まさに、<楽しさ・深さ・実用性>の融合なのです。オタク的な知り方は社会性を持ちませんが、趣味の知力は、豊かな公共性を拓くにも大いに役立ちます。

よい趣味を持ち、しっかり追求している人は、自分の仕事や公共性が必要な場面に「私性」(嗜好)を忍ばせるようなことはしません。自分の好き嫌いを他者に押し付けるほど厭らしことはありませんが、よき趣味を追求している人は、私性(嗜好)、一般性、普遍性の次元の相違をわきまえています。もし、この次元を混同すれば、公共性の世界に私性(嗜好)をそのまま持ち込むことになりますが、日本人はよい趣味を持つ人が少ないためか、こういう愚を犯しがちです。

もう一度言いますが、
一般性に縛られず、「私」から出発して普遍的なよき世界をめがけるのがほんらいの趣味人です。一般的な「よい」しか追求しない人は、魅力のない一般人にしかなれませんし、逆に、オタクは閉じた「私」の住人でしかなく、社会性・公共性を持ちません。
しばしば、一般人として生きてきた人が年を取ってから趣味を持つと、開かれた趣味にならず、オタク化しがちです。言うまでもありませんが、「一般人」と「オタク」の両者を行ったり来たりでは、よき世界を拓くことができず、外見だけの不毛な世界に陥ります。内側から湧き上がる魅力=よさ・美しさを持てないからです。

よき趣味をもち、それを追求をすることは、人生最大の得であり、よろこびです。わたしは、これからも「私」から始まる「普遍性」の探求を続けていこうと思っています。最後にひとこと。趣味が力を発揮する条件、それは「粋」であること=俗的価値観から解放されていることです。


武田康弘 4月21日
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NTTのDoblogから移行しました。タケセン=武田康弘

2009-03-30 | 日記
NTTのDoblogが不通になり、復旧の見込みが立たないので、gooブログに変えました。
みんさん、よろしくお願いします。
Doblogは、2004年11月に立ち上げ2009年2月までに二十数万件のアクセスを頂いていたのに、大変残念です。また、Doblogから移行するに際して、写真が消えてしまいました。これも残念ですが、諦めるよりありません。
前にも増して充実した「思索の日記」にしていこうと思いますので、コメントをよろしくお願いします。

タケセン=武田康弘
1952年東京神田生まれ、1976年より我孫子市在住。趣味は音楽と写真とダイビング。こどもたちのキャンプ&ダイビングは1976年より毎年つづけています。
実存論の立場にたつ哲学者で、民主主義の原理につく倫理・教育・政治について考えています。仕事は教育です(白樺教育館・館長)。
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北極の氷がとけて海面上昇!?-NHKニュース

2009-03-26 | 日記
(以下は、2月26日のmixiに出したブログです)

2009年02月26日14:47

お昼のNHKニュース、意味不明!?
白熊の映像も交えて、北極の氷(氷山)がとけていることを報じ、そのために海面が上昇する、と言っていました。
あれっ??北極の氷がとけても海面上昇などは起こらないはずですよね。
もともと水に浮かんでいる氷がとけても水位が変わらないのは、小・中学校の理科の実験で確かめます。
南極のように、陸地があり、その上に氷がのっている場合は、それがとければ、海に流れ落ちますから、海面は上昇します。
しかし、北極には陸地はないはずです。


追記です。

小学生の理科の実験で、
コップに水をはり、そこに氷を入れて水位を記し、
氷がとけてから水位を見ても変わらない、というのがあります。
水に浮いている部分だけ氷の方が体積が大きいので、こういうことになるわけで、小学生はよく知っている話です。

それから、大気の温度が数度上がったくらいで【南極】(南極大陸)の氷がとけるとは考えにくいことです。その道の専門家ならば、常識でしょうが。

また、人類の活動がなくても、わずか数千年で海面は大きく上昇・下降を繰り返していますから、海抜の低いところは水没をまぬかれません(だから温暖化など関係ない、という意味ではないです)。

言わずもがなの事ですが。


武田康弘



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ユートピアこそ現実的

2009-02-06 | 日記

豊かな「主観性」を育むことのない日本社会では、「客観主義」(それを生みだす「受験主義」の勉学)は、神話化するに到っています。

型・パターンが支配して、主観性が削(そが)れてしまう状況の中での「優秀者」とは、「紋切り人」の別名に過ぎません。心身ともに、固く形式優先で、死んだ頭でしかありません。愉悦とはまったく無縁です。

そうだからでしょうか?
自由の代わりに大麻!?主観性の代わりに2チャンネル!?豊かさの代わりにメタボ!?(笑)。
おっと、脱線、失礼!

「自問自答と自由対話」はちっとも流行りませんね~~(嘆)

正々堂々とできず、隠れてコソコソ。
偽(いつわ)り、騙(だま)し、誤魔化(ごまか)し、が常態化しているようです。
厭ですね~~~。


ノビノビ、充実。
自由と、セルフコントロール。
明るく快活で、情緒安定。
感情豊かで、論理的。
しなやか、柔らかで、揺るぎなく。
といきたいと思います。


さあ、思い切りよく、「自分の内なる声」に従って!!
あれ~、なんだか「死語」のようですね。
でも、こんな時代だらかこそ、ユートピアの精神が現実を突き動かすのではないですか?
現実的は、現実的でなく(なぜなら、それはちっとも自分と社会の現実をよくしませんから)、
ユートピアを忘れない強靭なパワーのみが、現実的である。
それが「白樺派」の精神でした。蘇らせたい、と思います。


武田康弘
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人事院谷総裁へのエール(古林治)と、それへの武田の返信

2009-02-05 | 日記

以下は、古林治さんからのメールです。
その後にわたしの返信を載せます。
2月2日と、1月28日のブログの続きです。


「人事院の第三者機関としての独立性、中立・公正性についてネットで少し調べてみたのですが、
その基本理念についての記述は見つかりませんでした。労働基本権についての話や枝葉の話ばかりです。
ですが、どう考えてもその底流には、『より健全な民主制を維持発展させていくためには権力の分立が不可欠だ。』という原理があるように思えます。

このあたりの説明をもう少ししてもらえるとうれしいのですが。
その基本の原理が了解できれば、次のことも明瞭になっていくと思えるのです。
・谷総裁が憲法を持ち出して人事院のあり方を説明したり、中立・公正を強く訴えた理由。
・『国家公務員の幹部人事を内閣人事局に一元化する』ことの危険性。
・現・人事院の抱えている問題とあるべき姿。」(古林治)
―――――――――――――――――――――――――――――――

古林さんのメールにお応えします。

今日のブログ(「自他問題への結語」)にも書いた通り、A・「理念次元」がなければ、B・「現実次元」の話も意味付かないのですが、この認識・両次元の立体視がないのが、日本人の現実です。

とりわけ受験知のチャンピョン(試験秀才)は、頭の働きが平面化しているために、物事の本質を見ることが苦手です。単なる事実の積み上げ=Aの次元の追求をしないで現実認識をしようとするために、意味論や本質学抜きの事実学へと堕落します。

「人事院」にしても、その存立意味・価値を曖昧にしたまま日々の業務をこなしていたに過ぎないのは間違いありません。何故、何の為に、から逃げてきたのです。
根源的怠慢ですが、これはどこも一緒です。ふつうの多くの人が納得できる(腑に落ちる)レベルまで、理念を鍛え、分明にすることがないのです。自分自身の生き方=考え方がそこまで煮詰まっていない証拠ですが、これは、ひとり人事院総裁の問題というのではなく、いまの日本人の知的構造欠陥=「東大病」という歪みです。

古林さんが最後にあげている要望は、まったく正当なものと思います。それに十全に応えるのは不可能でしょうが、この方向で谷総裁には出来るだけの努力をしてもらいたいと思います。戦前への逆行(内務省化)を防ぐ闘いが出来る立場にいるのは、いまのところ彼なのですから。


武田康弘
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自他問題への結語

2009-02-05 | 日記

他者のよろこびをおもう私、
他者のよろこびに配慮する私
他者のよろこびのためにと考える私、
そういう心であるとき、私は楽しくなり、充実し、幸せを得る。
自他を対立的に考えると、自他は共によろこびを失う。

もちろん、現実次元においては、自他の激しい対立があり、私を圧殺・黙殺しようとする他者も数多く存在する。
そのような者とは毅然として闘わなくてはならないし、闘うべきである。

しかし、一番深いところ、哲学の中心=理念次元においては、自他は共に生きたときにのみ幸福はえられるという原理(共福)を深く自覚していることが絶対に必要だ。
それなくしては、対立・闘いは、ひどく不毛な営みにしかならない。

昔からいつもわたしが言っていることだが、
(A)理念(ソクラテスの言を借りれば「恋する心」)の次元と、
(B)現実(ソクラテスの言を借りれば「恋しない心」)の次元
この二つの次元の違いを自覚し、その双方を立体的に知り、位置づけることが欠かせない。
(A)理念次元のない(B)現実次元とは、人間の生きる意味が元から消去された世界でしかないのだ。

わたしは小さいときから他者への配慮をごくふつうにしてきたが、それは、父親から無条件で愛された経験から来ていると思う。「理念」の強要ではなく、「心身全体による愛」こそが、自他への愛を生み、人間の生きる原理につく「よき理念」もつくるのだ。


武田康弘
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極めて危険・人事院の権限を奪うのは、行政官僚のおもうつぼ?戦前への回帰です。

2009-02-02 | 日記

いま、政府自民党も野党民主党もミッチーもみな、人事院の権限を奪い、国家公務員の幹部人事を内閣人事局に一元化するといっていますが、
これは、極めて危険です。

政府・官邸の内部に強固な人事局ができれば、各省庁トップの官僚と政府が、官僚主導で結びつき、これを監視するシステムがなくなります。第三者機関が排除され、国家公務員の人事を「政府」の名の下に、各省庁の官僚が支配することになるわけです。

もともとGHQによる戦後の官僚制度改革では、【人事院の独立性】の担保が核心でした。フーバー草案では、民主化のために人事院の独立性を打ち出し、それが曲がりなりにも実現されたのです。ただし、各省庁の巧みな抵抗にあい、独立性は薄められましたが。

いまほんとうに必要な公務員改革は、人事院の機能強化(第三者機関としての独立性の徹底)なのですが、それが逆に人事院の独立性を奪おうというのですから、なんとも呆れてしまいます。

これは、極めて危険なことです。政治家のみなさん、官僚(=霞ヶ関の各省庁のキャリア)に騙されずに、はやく目を覚まして下さい。取り返しがつかないことになります。マスコミもことの本質を理解してください。



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紙の上だけの秀才=キャリア官僚の呆れた実態・東京新聞・特報部

2009-01-31 | 日記
世間を知らず、
現場を知らず、
ただペーパーテストができるだけの「王様」の呆れた実態が、今朝の東京新聞(こちら特報部)で大きく報道されています。

〈「東大・京大の天下」脈々〉という大見出しにある通り、ペーパーテストで一生が保障され、権力者になれる制度としての「キャリアシステム」が詳しく紹介されています。入省時のテスト成績が一生消えないというハレンチな制度を支えているのは、わたしが参議院の意見調査の論文にも書いたように、「客観学の自己目的化」という逆立ちした想念にその根があるのです。いわゆる「東大病」=受験オタク。

この人事評価の硬直化は目に余るものですが、民主の馬渕澄夫議員がここにも述べている通り、同僚や部下からの評価も受ける「三百六十度アセスメント」を導入することは、民間では当たり前にやっていることで、早急に取り組むべきでしょう。

政府は、行政内部にせっかく設けた第三者的機関としての「人事院」から、その権限を奪うことが「行政改革」だ!?などというバカげた話をしていないで、人事に現場の生の意見(一般職員の意見・評価)を導入する民主化こそが核心であることを認識すべきです。

東京新聞のまとめ(デスクメモ)は、
「たかがペーパー試験で権力者になれるキャリア制度。ばかげており、法的根拠もないが、追求してくる議員には、それを逆手に「どんな制度でしょうか」と聞き返す官僚も。う~ん、ずる賢い!渦中を「うずちゅう」と読む人もいる東大法学部出身者。うぬぼれはほどほどにして、現場に学ぶべし」
とあります。

官僚とは主権者の税金で雇われた「国民のサービスマン」のはず。根本的な意識改革が必要です。


武田康弘
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正鵠を射る日本近現代史の名著ー『反日という呪縛』・山中恒著・勁草書房刊

2009-01-30 | 日記
本書は、「あばれはっちゃく」、「ぼくがぼくであること」、「おれがあいつであいつがおれで」など200以上の名作を書き、幾つもの作品が映画化(大林宣彦監督)されている著名な児童よみもの作家の山中恒(やまなかひさし)さんの書いた日本近現代史です。

内容は、まことに正鵠を射るものです。

高校生や大学生が日本の近現代史を学ぶのにこれ以上の書物はないと思われますし、また、専門の学者にとっても必読文献だと思いました。「優れた歴史観」とはどういうものか、の見本のような本であり、感動しました。

本書の「はじめに」には、その歴史観が明瞭に現わされています。「靖国神社」とは何か?の解説が、小泉元首相や安倍元首相の言動の問題点と共に示されていますが、まじめに考える人なら誰でもが深く納得する叙述でしょう。

本書を読めば、複雑に見える日本の近現代史が、きちんとした意味として了解されます。体験に裏打ちされた豊かで鋭い人間観の下、綿密な考証に基づく歴史ドラマが平易に示されていますし、意味了解を助ける貴重な写真も豊富です。戦前の日本がどれほど強固な「国体原理主義」の思想で貫かれていたか、その思想が現実にどのように作用したか、いまなおしているかが分かります。

古い自民党の政治家もきちんと本書を読めば、自身の歴史観がいかに劣ったものであるかが了解されるでしょう。大きな普遍性をもつ稀に見る名著だと思います。文部科学省も推薦本とすべきでしょう。http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E6%97%A5%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E5%91%AA%E7%B8%9B-%E5%B1%B1%E4%B8%AD-%E6%81%92/dp/432695048X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1233287024&sr=8-1

武田康弘

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