思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

マルクス主義に依拠しないリベラル政党の誕生は、民主性・民主制・民主政の基盤。

2017-10-24 | 社会思想

 明治維新政府の天皇現人神(国家神道=靖国思想=国体主義=廃仏毀釈)という思想に対する自由民権派は、凄まじい弾圧を受け、伊藤博文・山県有朋らの国権主義の政治家により壊滅させられました。

 それに対して、庶民の側にたち、市民精神を育てるために奮闘したのが、白樺派の援助者にして同伴者であった実業家の太原孫三郎(中国電力やクラレの創設者)であり、日本における経済統計学創始者の高野岩三郎(東大教授・後に辞する)やその教え子たちでした。大原と高野は、1919年に官僚政府や既存のアカディミズムに依拠しない民間の「社会問題研究所」(現在も存続)を立上げて、労働問題の研究と改善に奮闘しました。

 彼らは、マルクス主義に依拠するのではなく、主権者を国民とする民主主義思想でしたが、これは今の言葉ではリベラリズム(自由主義)ともいえます。

 一人ひとりの人間につき、公共人=市民としての自覚をもつ人々によりつくられる政治を目がけるのがリベラル政党ですが、遅れた民主主義国である我が国では、それが育たずに、国家神道を是とする靖国主義者の右派とマルクス主義に依拠する社会主義者の左派という両極に分かれてしまいました。

 ある偶然から追い詰められてではあれ、いまようやく市民意識をもつ主権者を基盤とする『立憲民主党』ができました。これは、日本の民主化(正常な理性ある政治)のためには大きな第一歩です。戦前の「日本主義」(明治政府作成の天皇教)やマルクス主義による「共産主義」というイデオロギーによらず、一人ひとりが感じ・想い・考えるところにつき、そこから妥当な線を見出す民主政治のためには、自由と理性を重んじるリベラル政党が大きな力をもたないと困ります。

 みなで応援し、育てていきましょう。
日本の国・社会に、民主性・民主制・民主政を花開かせるために。戦前思想(国体主義)はもうたくさんです。一人ひとりから出発し、一人ひとりによる、一人ひとりのための社会をつくるのです。それがほんとうの公共性。


 武田康弘 (元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員。フィロソフィの基礎と「日本国憲法の哲学的土台」を国会職員に講義)

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なぜ滅私奉公=忠の道徳に支配され、いまなお明治維新がつくった天皇カルト教が続くのか?

2017-10-06 | 社会思想


(昨日)

小学生のとき、自由でのびのび輝いていた子も、中学に入ると、にごってしまう。

に対して、fbにとても多くのコメントが寄せらましたが、最後の谷藤さんの質問へのわたしのお応えを載せます。みなさまにとても感謝です。

谷藤 賢一

谷藤 賢一
高度成長期はうまく機能したのでしょう。
でも44年前に終わってるのに、
教育のシステムはそのままなんですよね。
 
武田 康弘
武田 康弘
人間の赤裸々な想い、心を抑圧して、いいことなどありません。非人間的なことがよいとされるなど、原理上認められません。
 
谷藤 賢一
谷藤 賢一
原理上認められないのに、それが正しい、幸福であると信じて、なぜ日本人は突っ走ったのでしょう?
あの時代、私は子どもだったのでよく分かりません。
滅私奉公こそ人の生きる道である、と親から教育されましたが、
そんなのあり得ないと、徹底反抗して生きてきました(今もあり得ないと思っています)。
70オーバー世代の若い頃の、喜んで滅私奉公するモチベーションが知りたいです。
 
武田 康弘
武田 康弘
滅私奉公の「公」とはもともとは天皇家をさすことばでした。
天皇陛下のために尽くし、ついには命さえ差し出すことは、支那にはない日本独自の道徳で、「忠」という。その「忠」の精神こそ日本を強い国にした大元である】、と東大名誉教授で靖国神社の理論的重鎮の小堀佳一郎は書いています。

日本人である限り、天皇ー皇室を崇拝・敬愛するのは当然であり、そうでないなら非国民である、ということです。日本人として生きる資格がないのです。そういう人は社会的に抹殺ないし無視されで惨めな人生を送るのです。

こういう明治維新の思想は、とても根深いために、普遍性を求める心、公平・公正を追及する力、損得を超えた善美を求める精神が育ちません。「日本人に哲学なし」といわれるのは、個人固有の精神世界がなく、周囲に合わせて(本音としては)利害と損得しか考えないからです。いわゆる改革派といわれる人の多くも、政府批判はしても、自分の時間とお金を使って公共・社会のために尽す(市民的公共をつくる努力をする)人が少ないのはそのためで、「正しそうな」理屈だけを言い、身銭を切ることはしません。

心がケチで自分と自分の家族のことしか考えない人であっては、市民的公共世界など拓けるはずがありません。ウヨクとか保守主義者が勝つのは当然です。日本は再び明治維新の精神(国家神道に基づく国体主義=靖国思想)に戻り、ニッポン万歳になるのでしょう。みなが本気を出さない限り、まちがいなくリベラル(自由と理性)派やブッダやソクラテスの「私」から始まる生は、ごくごく一部の人のもので、後はみはニッポン人として集団同調で生きるのです。生命体であり人間・人類であり個人であることは二の次で、まず何より日本人という意識が優先する、というわけです。戦前アメリカの駐日大使・グルーの言う通り「日本人には個がなく、アリやハチと似た属性をもつ人々の集まり」が続くのでしょう。

滅私奉公=の道徳こそが日本人の証です。忠臣蔵、忠犬ハチ公、忠儀を尽す、が、みな大好きですし、三島由紀夫も言いました「天皇陛下万歳!」と。


以上のような、東大名誉教授や三島由紀夫に代表される思想、天皇を神格化し、皇族を神の系譜とするあまりにも愚かなカルト思想、および、強い一神教がなければ社会(国)はまとまらず、個人としてもよく生きることはできないというイデオロギーを大元から消去したのが、わたしの恋知という考え方=生き方です。
(※もちろん、こうした天皇主義の思想を現天皇の明仁さんや美智子さん、皇太子夫妻は、忌み嫌っています)


武田康弘
 
 
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昨日立上げました!【民主共和党】ー「水の国=日本」に一番ふさわしい共和主義です。

2017-09-14 | 社会思想

昨日の恋知の会。
バーチャル政党=【民主共和党】(民主政を前に進める共和主義、瑞々しい「水の国=日本」にふさわしい人間に優しく平等な国へ~~~~~みなで立ち上げました!!

賛同者はご登録くださ~~い。

まず、首相のほかに【大統領】(日本の顔=元首で政治権力は持たない。ただし、首相の国会解散を拒否する権利をもつ)を選ぶ。

ふさわしいのは学問・芸術に通じた品格の高い人ー例えば石橋湛山(哲学者・経済学者・ジャーナリストで55代総理大臣。美濃部亮吉(豊かな学識をもち東京都知事を務めた品格のある人)。高野岩三郎(戦前に東大教授を辞して社会問題研究所所長・戦後に改組されたNHKの初代会長。庶民派にして高潔)大原孫三郎(中国電力やクラレの創始者で白樺派の同伴者ー心優しい博識の実力者)のような人。

国旗は「日の丸」が候補。国歌は「さくら」(日本古謡)が候補。国花もさくらなので、ピッタリと思う。共に国民の自由な議論で決まります。

元号は個人で自由に。役所と公共機関では、世界歴(西暦)を使用する(今の元号の義務付けは不合理で間違いが生じやすいので)。

天皇家は、ほんとうの住まいである京都御所に。江戸城は、江戸公園として国民みなに開放。

天皇は、国事行為は行わず、文化的行為のみを行い、基本的人権が保障される。

簡単ですが、骨子です。この線で市民憲法案も出さねば、です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

なにはともあれ、オープンに共和制の意味や意義について語られる状況を生みだすことは、とてもよいこと、大事なことです。

大きなタブーがあることは、ひどく不健康ですからね。

細かな話はともかく、みなが、明治維新政府によってつくらた水戸学に基づく「明治天皇制=国体思想=靖国思想=国家神道」の国家カルトの精神風土から解放されて自由になることは、何より大切な「はじめの一歩」と思っています。

集団同調でもなければドライな強権でもなく、水の国=日本のしなやかで自由な共和主義って、いいでしょ~~~

ーーー
 

☆恋知の会は、なんでも自由に語り、考え、また自由に語り、考えます。 楽しく有意義な「恋知の時間」を月に一度、第二水曜日に白樺教育館で~~

 

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政治に意見を言うことは、社会人の責任であり、義務なのです。

2017-09-04 | 社会思想

政治に意見を言わない教師、
政治に意見を言わない会社員、
政治に意見を言わない公務員
政治に意見を言わない芸人、
政治に意見を言わない主婦
政治に意見を言わない学生

きりがない(笑)

そういう人は、この社会に生きていないのと同じで、社会人の基本的責務を果たしていないのです。

民主制社会では、意見を言ってよいのではなく、言わなければならないのです(分からない場合は分からないと表明することを含めて)。政治問題をはじめ社会問題に対して、皆は意見を言う責任があるのです。主権者を市民・人民・国民とする国は、それなしには、成立しません。それが民主制国家なのです。意見をきちんと言うことは自由のみならず義務です。

 これは、原理原則です。それすらわからないのでは、この社会の住人とは言えません。ましてや、意見を言う人を敬遠するとか白眼視するというのは、あまりに愚かで論外です。

 

武田康弘

 

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憲法研究会の七人のプロフィール

2017-08-20 | 社会思想

民の英雄、共和主義の民主主義者、高野岩三郎の評伝を白樺教育館の大学クラスではじめました。
予備知識として、「憲法研究会」の7人について、以前にわたしが研究して簡潔にまとめたプリントを使いましたので、再録します。

 憲法第99条の意味と価値ー民間人による草案だからこそ、名実ともに「立憲主義」なのです。

 2011-10-03 | 社会思想

  現『日本国憲法』の骨子は、「憲法研究会」を結成した民間人7人による憲法草案が元になっていますが、この草案をつくった7人とは、まことに近代民主主義の柱である「立憲主義」を体現するにふさわしい人たちでした。

【近代民主主義における憲法】とは、主権者である国民が、政治家・裁判官・行政マンなどの公務員に対して、その遵守と擁護義務を負わせるものであって(わたしたち国民が立法権・行政権・司法権を行使する者を縛る=『日本国憲法』第99条)、為政者が国民に与える【国家主義による憲法】(天皇が臣民に与えるという『大日本帝国憲法』)とは根本的に異なります。

 これを立憲主義と呼びますが、『日本国憲法』の基本思想は、まさしく主権者たる国民の意思をまとめる(立憲)にふさわしい人々によって草案がつくられています。

 彼らを簡単にご紹介します。

まず「憲法研究会」でただ一人の憲法学者であった鈴木安蔵は、戦前は悪名高き「治安維持法」違反の第一号(最初の犠牲者)として逮捕・投獄された人(社会主義的な研究を行った京都大学の学生が多数逮捕された)。

この憲法研究会を立ち上げた高野岩三郎は、東大教授を辞し、民間の「大原社会問題研究所」(白樺派・柳宗悦らを支援した大実業家の大原孫三郎により設立)で活躍。1928年に結成された日本大衆党の委員長。戦後は天皇制撤廃(日本共和国)を主張。戦後に改組されたNHKの初代会長となり民主的放送を目指す。

森戸辰男は、クロポトキン思想(国家主義とは逆に対等な人々による相互扶助の社会をつくる)を広めようとして東大を追われた(森戸事件・1919年)。戦後は衆議院議員。1947年6月片山内閣・芦田内閣の文部大臣に就任し、教育の徹底した民主化を志向、広島大学の初代学長も務めた(なお、クロポトキンの無政府思想は、白樺派にも大きな影響を与えた。有島武郎はロンドンでクロポトキンに会い、大杉栄(甘粕事件で憲兵に殺害される)を経済的に援助している。柳 宗悦は、相互扶助を相互補助と訳し共鳴)。

杉森孝次郎は、徹底した民主主義者として名高い55代総理大臣の石橋湛山と共に、早稲田大学で田中王道(プラグマティズムの哲学者)に薫陶を受けた哲学徒。「天皇は儀礼のみを行う存在」という象徴天皇制の提唱者。英国の倫理思想を身につけ、学生を愛し、慕われたことでも有名。早稲田大学教授、戦後は駒沢大学教授。

馬場恒吾は、現・早稲田大学の政治科に学んだリベラルなジャーナリストで、読売新聞の主筆の後、社長を務めた。

岩淵辰男は、読売新聞の政治記者。自由主義の政治評論を書く。1944年に早期終戦を主張して検挙。

室伏高信は、雑誌「改造」の特派員としてヨーロッパに渡り、柳 宗悦と同じく「ギルド社会主義」を目がけていたが、柳とは異なり、小集団や地方的なものを否定して国家的なギルドを追求した結果、大東亜共栄圏の思想に基づく戦争を積極的に肯定することになった。しかし戦況が不利となると沈黙し、戦後はすぐに思想を反転させた。敗戦の翌月(1945年9月)に発刊された戦後最初の総合誌『新生』の顧問となり、憲法研究会のメンバーに紙面を提供した。


以上のように、室伏には疑問符がつくとしても、他の6名は「民」を主権者とする「立憲主義」の憲法をつくるにふさわしい人々であったと言えます。

彼らによってつくられた憲法草案は、当時の日本政府や政党、東京帝国大学法学部の思想とは大きく異なるもので、主権在民に基づく人権と民主主義思想による国家(新生・日本)をつくるための礎を提供するものでした。



武田康弘

 



 

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日本に一番必要な政党は、共和党です。民主主義をきちんとするには、共和主義しかありません。

2017-08-05 | 社会思想

 明治維新政府、伊藤博文が中心となってつくった新政府の思想は、吉田松陰から受け継ぐ水戸学のイデオロギーで、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道です。

 これは、現代の言葉ではカルトそのもので、それを政府が小学1年生から教育し、さまざまな手法で国民を洗脳したわけです。この国家神道は、靖国思想=国体思想とも呼ばれます。それは、長い武家社会の中で祭祀を司る役割を担ってきた天皇ー皇室を、国家の表舞台に引き出し、長州藩の下級武士たちが自らの日本支配を正当化するためのアイテムとして利用したのです。

 この「明治政府のイデオロギー」をいまに受け継ぐのが、安倍晋三首相であり、「日本会議」に集う人々(篭池夫妻や大阪維新の政治家や安倍首相をはじめ自民党の多数派)であることは、多くの方がご存知の通りです。

 戦後、新憲法ができ、主権者は天皇から国民へと180度変わったわけですが、この「戦前思想」をきちんと清算できずにいるために、いまだに民主政治=自治政治が根付かず、教育も思考力を育てるものとはならず、パターン知(ただの事実学・技術知)の仕込みで、一人ひとりの精神的自立をつくることができません。いつまでも上位下達(忖度)の集団同調主義で、個人の自由と責任に基づく生き方と社会がつくれないのです。

 いま、日本の精神風土をよきものに変えていくためには、日本の伝統を壊して明治がつくった天皇教(=集団同調主義)を改めることが必須ですが、そのために政治に求められるのが共和主義です。

 国家元首をどうするか?それを天皇だとすれば、明治の国家神道(靖国思想=国体思想)に戻ってしまいます。そうではなく、現代の主権を国民とする民主国家にふさわしく、大統領を選び元首とし、政治の実際は首相があたるようにすればよいのです。天皇は、日本の最大旧家=皇室の長として、文化的な行為を自由に行い、国際親善の役目を担うのがよいでしょう。言論や行為の自由も含めて人権を回復することが急務です。

 共和主義とは、市民・国民が市民精神に目覚め、主権在民に基づく自治政治でダイナミックに国をつくっていく基本思想です。

 天皇一家は、徳川家の江戸城ではなく、京都御所に帰り、よき伝統に根差して自由な生活をすること、政治とは関わらずに(国事行為から解放され)、文化を中心とした生活に戻られるのがほんらいの姿で、自然です。
 現実政治は、すべて市民・国民が、シチズンシップに基づき、全責任をもってつくりあげます。それが21世紀の日本に最もふさわしい共和主義です。共和党をつくらないと、日本に明日はありません。

 共和主義の先駆者は、戦前、東大教授を辞め、大原孫三郎がつくった「社会問題研究所」の所長として活躍し、いまの新憲法の骨子をつくり、戦後改組されたNHKの初代会長となった高野岩三郎です。共和国憲法私案もつくっています。

 
武田康弘

 

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人間になる努力ではなく、日本人になる努力!?

2017-06-30 | 社会思想
 
いまの日本は、人間になる努力ではなく、日本人になる努力を求めているようだ。
 
普遍的な人間性の豊かさではなく、日本人云々だ。にっぽんちゃちゃちゃ。
 
それを増長するネトウヨや安倍官邸には呆れるが、それは、底知れぬ罪である。
 
この自国主義のイカレは、みなを不幸にする元凶だが、明治維新の思想=天皇を神とする国体思想=靖国思想への反省がなく、維新150年の祭りというのでは、いつまでも「国家カルト」から抜けられない。
 
ウォルフレンのいう「人間を幸福にしない日本というシステム」が続く。
 
「私」の精神の世界を深め豊かにすること以上に大切なことはない、この原理を明晰に自覚しよう。それがないと公共世界を拓けない。
 
 
武田康弘
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神社本庁のひどい嘘、日吉神社56代三輪 隆裕さんーー「個人よりも全体優先は民主主義の否定」

2017-06-22 | 社会思想

以下は、明治維新政府のイデオロギーでひどく歪められた神社本庁の嘘を暴き、神社のほんらいの姿を述べたものです。

わたしたちは、明治以降、政府神道=国家カルト教に騙されてきました。もう目を覚ましましょう。嘘で操作されるのは、愚かで危険です。

東京新聞6月19日朝刊一面

 

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個人の自由は、瞬間で消されます。それが国家の公権力なので、立憲主義が不可欠なのです。

2017-06-16 | 社会思想

 だれもが歴史で習い知っている通り、国家権力の横暴はすさまじもので、政府に都合の悪い者は、捕らえられ、獄中でひどい扱いをされ、警察官による拷問で殺されることもありました。思想犯として「治安維持法」で捕まり殺された人は、1600人(粗末な扱いで病気になり死んだ者を含め)といわれます。

 政府を批判する者は、天皇陛下に背く非国民とされ、警察官や憲兵らに殺されてもみなは、見て見ぬふりでしたし、朝日新聞(大阪朝日)も、幸徳秋水が、実質一日だけの裁判で即刻死刑となり処刑されたのを、社会のうじ虫は死刑で当然、という社説を載せました。無罪なのに、社会主義者は殺されて当然とされたのです。

 こういう国家でいいですか?
安倍首相は、その戦前社会の支配的政治家で、東条英機と共に対米戦争の決定者である岸信介を一番敬愛しますので、一度も「戦前思想」への批判をしたことはなく、逆に戦後レジーム(体制)を終わらせると宣言してきました。

 これほどの悪=公共悪はありませんが、こういう思想が、国連からも批判されていた共謀罪を強行に通した背後にあるのです。日本は今までも国連やアムネスティーから繰り返し、人権改善を勧告されてきましたが、政府はまったく聞く耳をもちまぜん。戦前社会を支えた個人を軽視する国体思想(天皇制国家主義)への批判が弱いのは、首相や副首相をはじめ、多くの保守政治家は、戦前社会を支配していた政治家の孫たちだからです。

 無条件敗戦の責任をとらず、退位さえせずに死去した昭和天皇の裕仁に象徴されるように、太平洋戦争の責任をとらず(東条英機一人に全責任を負わせ)、また、それを追及しもしない国民は、世界の歴史に例のない「全面的な敗戦国の支配者が再び政治権力を握る」という異常・異様な事態を招いたわけです。A級戦犯の岸信介が戦後に首相となり、その意思を受け継ぐ孫の安倍晋三は、いま、大活躍です。

 個人という言葉=概念を嫌い、日本には人権思想はなじまないとする「反人権宣言」(ちくま新書)の著者で安倍首相の親友=八木秀次麗澤大学教授は、首相の命を受け、教育(政府が統制するという改革)や皇室問題での政府の審議委員を務めています。安倍首相の本音がよく分かります。戦前思想の国、個人消去の国へ、なのです。

2014年2月13日の一面
 
 憲法理念で為政者を縛る、権力の保持者は一人ひとりの国民であり、国民の一般意思に基づく公共権力を代行するのが政治家である、というデモクラシーの原理がボヤケたら、たちまち個人は消去されてしまいます。安倍首相のように、立憲主義を認めないという発言をした首相は、世界のどこにもいません。

 民主政治の原理中の原理を知らず、その言葉を聞いたこともなく、その内容を知ると、それは大昔の話!!??というデタラメを公言するそんな首相は、世界でただ一人です。主権者の根本意思=「憲法」に従って政治を行わなければ、国家はリバイアサン(怪獣)となり、国民は怪獣のおもちゃにされてしまいます。

 市民国家=公共社会をつくらなければいけません。主権はわたしにあり、あなたにあるのです。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員=「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

 「これほど異常な民主政国家は見たことがない。」ーーニューヨーク・タイムズ東京支局長

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上皇!? 天皇を辞したら、明仁さんです。同じ一人の人間として遇するのがよいことです。

2017-06-13 | 社会思想

天皇の後は、上皇と言われます。

皇帝に天がつき天皇で、その上というわけです。大昔に戻ったような感じがします。

大袈裟な名称が好きなのが、わが日本人なのでしょうか。自民党も代表者は、党首でも代表でもなく、総裁ですから。

控えめとか、おくゆかしいとか言われる文化は、建前に過ぎないようですね。本音は全然違うのでしょう。

天皇という役目を降りたら、個人の名前で呼んであげたいもの。明仁さんです。

上皇ではなく、明仁さん。

わたしと同じ一人の人間で、一人の男性です。 いまさら言うのも愚かですが、人間はみな平等で、対等な存在です。

それに、明仁さんら天皇家の生活費(年6億円)と宮内庁への180億円を出しているのは、わたしですし、あなたです。

明仁さんを一人の人間として遇するのがよいこと、わたしは心底、そう思います。みな同じ人間です。明仁さんもそれを望んでいるはずです。

 

武田康弘

 元号:明治維新がつくった「空間だけでなく時間も支配する古代王政」の残滓。 世界でただ一つの国。 拡散希望

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元号:明治維新がつくった「空間だけでなく時間も支配する古代王政」の残滓。 世界でただ一つの国。 拡散希望

2017-06-12 | 社会思想

 一人の人間の死により「時代名」が変えられ、全員がそれに従わさせられるのは、目まいがするほどのこと。

 天皇の死のみにより、時代名を変えるのは、明治政府のつくった「天皇現人神」(皇族は神の家系であり天皇は生きている神である)の思想に基づいています。明治維新の前は、祭りごと=政の変化に応じて時代名を変えました。

 一人の人間の死により、その国の時代名を変えるのは、古代王政の話であり、王が空間と時間の双方を支配する象徴でした。まさに王が神だったのです。それを復活させ、最大級の名称(皇帝の上に天がつく)の王=「生きてる神」が全国民を統一するというのが、伊藤博文らの思想でした。

 宗教=政府神道のである明治天皇は、主権者であり、陸軍、海軍の統帥権をもつのが、明治憲法(大日本帝国憲法)ですが、それにより神話と歴史と政治を直結させ、全国民を国家=政府に拝跪させることに成功したのです(伊藤は、「日本では将来にわたり主権が国民に変わることはない」と教説)。その思想=国体主義=靖国主義の復活のためにいま活発に活動しているのが、神社本庁と日本会議と安倍自民なのです。天皇を元首に、と言います。

 天皇の死のみが時代名の変更をもたらすという明治維新の思想(天皇絶対のカルト宗教)の復活の流れに抵抗しているのが、現天皇の明仁さんです。象徴としての務めを皇太子が代わりにやるのではなく、生前に退位することで元号の意味付け=重さを変える、伊藤らの明治維新政府による思想を認めないという意思が、生前退位を選ばせた隠れた真実といえます。

 ふりかえってみましょう。
中国侵略、満州事変にはじまり、14年間の戦争を続けたのは、現人神であり主権者であり軍隊の統帥権をもった「明治憲法」下の天皇裕仁(ヒロヒト)でしたが、その思想を支えにして戦い「ポツダム宣言」受諾で無条件降伏したことで、国の主権を天皇から国民へと180度転回しましたが(GHQの天皇主権は認めないとの断固とした意思で変えさせられたわけですが、それは、支配階級以外の大多数の日本人にはよろこびでした)その後もなお、同じ「昭和時代」と言われます。
 
 これほどの無茶苦茶は、世界の歴史上どこにもないのですが、それは誇るべきこと!? あまりのデタラメに理性は麻痺してしまいます。

 21世紀の現代、生年の表記にはじまる年号を世界歴にすべきなのは、理の当然です。オリンピックは2020年なのであり、平成でもなければ、新元号でもありません。1945年の敗戦までは昭和時代で、それ以降も昭和時代。昭和3年生まれの人も、昭和40年生まれの人も、同じ昭和の時代を生きた!?なんのこっちゃ(笑)です。これではカルトもいいところ。

 元号ではなく、世界歴を使いましょう。日本の中に世界があるのではなく、世界の中に日本があるのですし、日本人が人類に先立つのではなく、人類の一員としての日本人です。天動説から地動説への転回が必要のようです。元号は、名残だけにしてほしいもの。わたしは1952年生まれです。あなたは何年生まれですか。


明治天皇が所持していた伊藤博文の写真。
一般に流布されている写真とは全く異な
り、策士のような顔。

16歳の時に京都御所から江戸城に連れ
て来られ、明治天皇に仕立てられた少年
の目に映った伊藤はこのような存在だっ
たのでしょう。

宮内庁が公開

 
2017年 6月 12日  武田康弘

 

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個人の悪は、国家の悪に比べれば、あまりに小さなもの。巨悪には不感症なのがわが日本人かな。

2017-06-03 | 社会思想

最大の悪とは、公的、国家的なレベルにおける悪です。

個人の悪や不道徳は、それとは比べものにならぬ小さな悪。

しかし、マスコミは、個人が個人レベルで犯す悪や不道徳ばかりを報道します。

どうでもよい、くだらない、個人的レベルの話をこの世の一大事のように大げさに報じ、

そのくせ、公的・権力的なレベルでの悪、絶対にしてはいけない憲法違反や、首相の権力の私物化という巨悪や、役人たちの嘘とインチキ、経団連に集まる資本家たちの横暴の報道は、極小。

マスコミとは、国民洗脳機関であることが実によく分かります。多数の国民は、騙さているという自覚を全く持てないままに、大きな悪には不感症となり、個人レベルにすぎないことを話題にし、他者を排斥する。

財界や国家主義の政府の思うまま、自由も平等も奪われても実におとなしく政府を支持するのが日本人(実に偉い!天晴れ!滅私奉公と忠の道徳)、この十数年間、世界でただ一カ国だけ経済成長がない日本(大企業だけは史上空前の利益を上げて株価は高く経済はマイナス成長というハレンチ)、従業員は、利益は全部企業にもっていかれて実質賃金は横ばいでも仕方がないで、我慢我慢。

さすがは、上位者への恭順という忠の道徳が大好きな国民ならではなのでしょうが、生まれつきそうなのではありません。育ちの中で、今はとくに中学校(早朝に起き帰宅は夜7時という世界に例のない長時間拘束で、個人性を元から断念させる恐ろしいシステム)が人間をニッポン人にする大きな役目を果たし、「学校 内 個人」「部活 内 個人」「会社 内 個人」「組織 内 個人」「政府 内 個人」にさせられるのです。人間ー個人としての自由と責任をもつ存在ではなく、全体が先立つ全体主義の完成形が日本です。

思想、生活のすみずみまで「全体主義」で染め上げられても、そのことを自覚できず、日本は世界一のよい国だ~~!と思う(思わされる)のですから、こりゃダメだ(笑笑・哀哀)、民主主義=主権在民なんて古い古い、人間も昆虫のように規律正しく、忠犬ハチ公のようにご主人さまに従順で、よい国、美しい国へ~~~~~~~~~と安倍晋三という名の自己絶対の総理大臣が述べています。「おれが首相だ、おれが偉いんだ!」とか。

もういい加減にしてほしいですね、人間って、そんなに卑屈に生きるもの? すべては、個人、手強い個人からはじまるという真理を思い起こそうではありませんか。
騙されているのでは愚かで哀しいです。いつまで全体一致!

 

武田康弘

 

 

 

 

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国家権力の「私物化」が許される国家は、朽ちていくほかありません。安保、森友、加計

2017-05-30 | 社会思想

法学者もふうつの市民も大多数が違憲という法案を強行採決。憲法裁判所があれば、すでに終わっている安倍政権。

その安保法制の審議が山場をむかえた中、夫人の森友講演日に合わせて「森友学園の小学校を開校させるために」無理なスケジュールを押して大阪入りした安倍首相。

たった二枚の稚拙で内容のないペーパーで合格!となった加計学園は、安倍政権の意向を文科省に飲ませたもの。

どれほどの私物化が行われてきたか、すでに誰もが知るところです。

主権者の公共的利益を実現するために働くはずの政治権力者が、自分個人の思想を実現するために、あるいはお友達を優遇するために国家権力を使う(絡め手により従うしかないように誘導または要請)というのは、
国家権力の私物化で、民主政国家ではもっともしてはならぬことです。それをした戦前の日本は、人権抑圧国家となり、奈落の底に落ちました。

国家権力を首相が私物化するのは、最も重い罪であり、恐ろしいことです。それを許す国家ならば、朽ちていくほかありません。

 

武田康弘



 

 

 

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元横綱大鵬の言葉―「金の力で成る『巨人軍』と同じにされるは不愉快だ。」

2017-05-30 | 社会思想

4年前のBlogを再録です。

2013-01-31 | 社会批評

「巨人・大鵬・卵焼き」

通産省に出入りしていた新聞記者たちが、官僚だった堺屋太一さんの言葉を広めたのですが、大鵬はそれを不愉快に思っていた、と東京新聞は20日に一面で紹介していました。

「金の力で有力選手を集める「巨人軍」が強いのは当たり前、自分は貧乏どん底からの一人、同じにされるのは不愉快」との大鵬の言葉=反骨精神は、見習うべきものと思います。

今朝の東京新聞には、昨夜の通夜での王貞治さんの言葉が紹介されています。
「巨人、大鵬、卵焼きと言われたが、あなただけが個人。いかに偉大だったか」と讃え、

自分と同じ1940年生まれのゴルフのジャク・二クラウスさんと合わせて、ひそかに自分の中で『大鵬、二クラウス、王貞治』と思っていたと明かした。と書かれています。

「私」からの出発、個人の自由と責任、いまも過去もわが日本に一番欠けているものは、この思想=精神だと思います。一人ひとりの「主観性」を豊かにする努力こそが何より求められます。誰でもが例外なく個性をもった個人です。日本的集団主義は、人間的輝き・悦び・魅力を消去してしまいます。

武田康弘

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「後から何を言っても遅い」ー政府が国民を支配するニッポンを再び、でよいですか?東京新聞デスクメモ

2017-05-23 | 社会思想

以下は、「東京新聞」特報部のデスクメモです。

戦前、国際連盟を脱退した当時の松岡洋右元外相は後に「脱退は真意ではなかった」と述べた。

A級戦犯容疑者の多くも「戦争には反対だった」と弁解した。「無責任」が国を亡ぼしかけた。

共謀罪審議の粗雑な議論も自由や民主主義の名に値しない。後から何を言っても遅い(洋)

2017. 5.20


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 A級戦犯容疑者の岸信介は、安倍首相の最も敬愛する祖父ですが、東条英機と共に対米戦争の決定者です=昭和天皇の意思を後ろ盾にして。

 岸信介は、戦後も「あの戦争は正しかった」と述べていて、反省はしていません。安倍首相も「戦後体制を終わらせる」をスローガンにして、戦前体制(超国家主義)への批判は一度もしません。確信犯なのです。

 敬愛するお爺さんの国家を再び!は、安倍首相の悲願です。どのような手段を用いても実現させたいのです。平成版の「治安維持法」(政府が国民を支配する)である「共謀罪」の成立は、強い戦前国家のニッポン復活のためには欠かせません。

 無条件降伏=「ポツダム宣言」受諾で敗北した明治維新の伊藤博文や山県有朋らの思想=皇室を利用した国家主義(「万系一世」という作り話による)の思想を再び日本人に植え付ける【全員洗脳】のために、あらゆるメディアや政治勢力を駆使します。現天皇の明仁さんや美智子さん、皇太子夫妻らが嫌がり、反対する思想をです。

 アメリカへの敗北を心理的に消去し、すでに敗北した日本主義を復活させるために、アメリカ軍との完全なる一体化を目がけます。アメリカ軍部と一つになったニッポンをつくることで、復古主義=戦前回帰の思想で日本国内を統一するのが、安倍首相グループの根本戦略なのです。電通の自民党担当なども絡むどす黒い野望です。今のアメリカは、アメリカ軍と一体化した国家であれば、その国がどのようなイデオロギーを持とうと干渉しません。同盟国であるか否かだけが問題なのです。


武田康弘

 

 

 

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