思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ガチンコで、【恋知する実存者】として生きよう。せこい人、ひ弱を言葉でごまかす人では、哀しい。

2022-10-15 | 恋知(哲学)

fbの私の語録

私は、よい・大切だ・高い価値がある、と思ったことには、真っすぐに向かい、自分にできる最大限を行なう人生だ。
でも、口だけで、本音は小さな利害損得でしかない人が多くてガッカリする。
それなら立派なことを言わなければいい。覚悟を決めなければ、ツマラナイ人生しかない。

現状を批判する人を含めて日本人はチャチな人が多い。正論を言いながら、実際のその人の生き方は、セコイ人が多くてウンザリさせられる。自己をかけて生きよ!きれいごとを言い、たいしたことはやらずに、アリバイづくり(笑)ではあまりに情けない。ちゃんと生きろよな!!

既成秩序に従うのではなく、明瞭に、かつ濃い内容をもって体制批判する精神なくしては、まともな世の中はつくれません。いい子ちゃんになっている人は悪い人です。こんなデタラメな社会に合わせているようでは被害者は加害者でもあるのです。憲法12条を噛みしめたい。

いまの世に最も必要なのは、ガチンコ・不退転・他者の目などへともしないで、突き進むことです。ひ弱で、他者承認を原理とする戯けた哲学が流行るのでは、ほんとうに世も末。矜持を持ち、己を信じる「恋知する実存者」として生きよう~~~~左右の全体主義へは唾を吐く。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分で考えるための前提ー2  考えるとは主観性を鍛えること

2022-10-08 | 恋知(哲学)
 自分で考えるための前提ー2  考えるとは主観性を鍛えること

 
 恋知(哲学)として考えるというのは、わたしが考えるということですから、アンケート結果とか、多数派の意見は、というのではありません。
 一般的になにがよいかを考えるのは、政治次元での話です。恋知(哲学)するとは、わたしに深い納得がくるように考えることですから、一般性・客観性をめがけるのではなく、わたしの主観性を深める営みです。
 
 主観を吟味し、透明な意識を獲得するように努めること、今の主観を絶対化し、決めつけないで、冷静な意識をもって繰り返し問う営みが大切です。
 客観とは背理で、すべては主観です。この原理を忘れると、深い自己絶対化に陥り自我主義となります。宗教も形式論理も共にこの罠にはまった思考なので、私=主観の吟味ができません。

 ポイントは、誰でも自分の頭の外には出られないことの自覚です。
 

 武田康弘
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の頭で考えるための前提ー1 言葉について自覚する

2022-10-06 | 恋知(哲学)

自分の頭で考えるための前提ー1  言葉について自覚する

 

恋知(哲学)するのは、言葉によりますから、言葉について知ることが必須です。

まず、名詞は、言葉で定義できません。
例えば、石を言葉で説明するのは不可能で、直接見たり触れたりして石という言葉の意味をつかみます。海とか山とかの自然物も、カメラとかパソコンとかの人工物もみなそうです。

また、走るとか泳ぐという動詞も、他者の姿を見たり自分が体験しなければ、分かりません。美しいとか、濃やかだ、という形容詞も形容動詞もみな同じで、それを体感=感じ知ることが必要です。

愛とか真心とか誠実とか数字などの概念語もみな同じです。感じ知るという土台が弱いのに言葉を使うと、言葉は宙に浮き、言葉遊びの世界となり、分かったような気分になってしまいます。概念語の連発になる思想的な話しは、生々しい身体性を欠落させてしまい、多くの場合、意味を失います。


五感全体で感じ知ることがないと、深い納得(腑に落ちる)は得られません。これは原理です。直観・体験がなく、言葉だけがある、ではお化けですから。


武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を拠り所としたらよいのか?

2022-10-05 | 恋知(哲学)

一神教にすがるしかない人生(日本では明治政府が作った天皇教)、

それを超えようとマルクス主義

双方から逃れようと形式的な正しさ(深い嘘)をつくり絶対化する世俗教

哲学も西欧の言語ゲームとしての哲学なので、それへの参加可能者はごく少数。

何を拠り所としたらよいのか?

答えは、2千数百年前にブッダが出しています。
最も尊いのは、神ではなくあなた自身=人は誰もみな「天上天下唯我独尊」として生れてきた、と。
遺教では、「自帰依ー法帰依」といい、透明な意識をもつ自分自身に帰依せよ、と。
誰かに(生者であれ過去の人であれ)依拠せず、いまのわたしの透明な意識を拠り所にする、というわけですが、

このブッダの根本思想を現代に活かすのが恋知という発想です。それは、世界で一つのわたしが「感じ・想い・考える」により始まる人生で、わたしの実存のドラマは、一般性に沈んでしまわない浮遊する力をもちます。「わたしの人生はわたしのもの」を現実に生きるのが、恋知する実存者です。よく感じ、広く想い、深く考えようする心が、わたしを支え、新たな世界を拓きます。

恋知の生とは、形と序列の二文字ですべて収まる日本文化=日本人の生き方とは対極ですが、それは、何よりも自己を肯定し活かす生と言えます。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知ってる~症候群。愚かなるデジタル人間に陥るな!

2022-09-17 | 恋知(哲学)

人の名でも物品の名でもなんでも名がつくるイメージで語る。言葉で語るほかないから名を使うのではなく、アベコベ。

この違いを「思想」ではなく、「実際」によく弁えて語れる人は、あまりにも少ない。いかに言葉に拘束されているかを自覚していない。知ってる~症候群

ー--------------------

 例えば、ロールス・ロイスという名、東大という名、有名な商品名や会社名、それ等の言葉が生みだすイメージを利用して話せば、なにかたいそうな内容が言えている風の気分になれる、
 そのために、勝ち負けの心が強い人は、よいと一般に思われている名(名詞)を連発して、内容がある話ができている(勝てている)と思い込みます。

 一般の人にも多いのですが、それが思想関係の専門家でも多いのです。本の題名や著者名によりかかって、さもさも何か優れたことを語っているかに思わせる、自分でもそう信じ込む(笑)

 【言語中心主義】は、内容や力量や経験の豊かさではなく、言葉(有名な名)の連発で、優れた自分を演出するわけです。イメージ世界の多色多彩豊饒さがなく、言語のガチンコが際立つこと。不毛です。また嫌な世界を生みます。

 これらのことをよくないと思想次元では理解していたとしても、実際の言動では、やはり権威的名詞の連発となってしまい、豊かな内容の展開にはならないことがあります。
ー------------
 
 わたしは、こどもたちと長年親しく接していますが、とても面白くて楽しいです。
 今の大人の常識となっている見方・考え方と全然異なることを言いますが、あっ、はっ、とさせられて嬉しい~~
いかに言語がつくる整合性が自由な発想を阻害しているかがよくわかります。

 言語はデジタル、で、いまの世もデジタル。想いをはせる、とか、ただ感じている、とか、イメージ世界に羽ばたくとか、ではなく、ガチゴチと固く本質的に攻撃的な言語が満載で、豊かな悦びの世界が消えてしまいます。深いウソの世界です。
 感じ知るをそのまま心に溜めるという沈思や落ち着きが消え、すべてを言語に置き換え可能と思うおそろしく馬鹿げた想念に囚われています。【デジタル馬鹿】の勝利です(笑)

 話し言葉は、目が語るものや表情や言い方やでアナログの要素がいっぱいありますが、話し言葉も、書き言葉を話すだけのような人が多くなり、お前はもう死んでいる、の世界になりました!(笑)

 これは、日常生活でも学的世界でも、比較と競争でしか見れない(本人も自覚できないまでにそれが当然となっている)現代の精神風土がうむ愚かさです。ますますその方向が強まるので、子どもが示す赤裸々なこころを抑圧することが正義!?となります。デジタルの技術は、技術でしかありませんが、それを弁えないのが偉い!?(笑)というまでに堕落しているようです。

 全て勝ち負け世界で、びのびとした自由の心をもって、生きることができなくなっています。万人の万人に対する闘争です。で、知ってる、知らない。できる、できない。という【平板なこころとあたま】が「優秀」となります。おしまいです。



武田康弘

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「恋知への道のり」20年間の身体の闘いと私が輝く私塾と哲学の切り開き 武田康弘著 pdfファイル

2022-09-08 | 恋知(哲学)

「恋知への道のり」20年間の身体の闘いと私が輝く私塾と哲学の切り開き pdfファイル 両面印刷で本になります。


武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恋知(哲学)の基盤となる概念 意識と自我は異なる。

2022-09-05 | 恋知(哲学)
 わたしの心身や頭がよく働き、よく用いられているとき、いい感じ、幸せ、充実を感じます。そのとき、わたしは、誰それと比較していません。わたしが上だとか下だとかという意識はありません。わたしの頭がよく働いているのであり、わたしの心身がスムースに動いているわけです。他者を意識していません。
 
 ところが疎外感や不全感が大きい人は、競争意識に囚われてしまい、比較してしまいます。この比較と競争が自我=エゴを生み出します。己の方が上だ!という想念に囚われて、勝とうとする心に支配されます。
 
 海が荒れると水は透明さを失います。意識も同じで、濁るのです。感情が先立ち、意識は渦巻き、自分が正しい、と強引に言い張る心に支配されます。すると、言葉は態度は、相手をやりこめる道具となり、真実を求める清さは消えます。
 
 自我がうまれて強まり、意識はスムースに働かなくなります。
 
 古代インドの哲学者のヤ―ジュニャウァルキヤ(紀元前7世紀)、そしてブッダ(紀元前5世紀)が看破した通り、ほんとうは「自我」という塊はなく、あるのは、わたしの意識の働きです。

 誰もコントロールできないさまざな『縁』がわたしの意識をつくっていますが、意識は物のように固定した『我』ではないこと、それがブッダの中心思想の一つで、【縁】によりすべてが生じ出来るというのがブッダの悟りです。
 残りの二つが【天上天下唯我独尊】(誰もみなただ一人尊い存在として生まれてきた)と【自帰依・法帰依】(普遍的なよきものを志向して自分自身に帰依すること)です。
 
 したがって、対立するのは、個人 と 共同体ではなく、スムースに働く透明な意識と、濁って塊になる自我です。
 明晰で鋭い意見をいうから自我が強いのではありません。わたしの意識を活発にするのは自他の利益となりプラス価値を生みます。そうではなく、濁って塊になった自我を押し通そうとするところに自我主義=エゴイズムが発生します。嫌ですね。

 
 武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故 安倍前首相の国体思想と、統一教会の人間家畜化と、ネクロフィリアという精神の病。

2022-07-27 | 恋知(哲学)
【ネクロフィリア】という底知れぬ精神の病は、人間意識の物化=実態化

【ネクロフィリア】ということばがあります。ヒトラーとナチズムを分析した著名な社会心理学者のエーリッヒ・フロムが繰り返し使った概念が、ネクロフィリアです。
 死んでいるものへの愛、とか、死体への愛という意味で、バイオフィリア(生きているもの・命への愛)という言葉の対義語ですが、ネクロフィリアの傾向を持つ人は、教師や医師や官僚などの上位者に多く、人と対等な関係を持てず(それを恐れる)従わせようとします。
 上下倫理を尊び、上か下かに敏感に反応します。 互いを対等な存在として認め合うのでなく、権威、権力、金力、学力、暴力などにより他者を自分の思う通りにしようとするのです。

 生きているものは、予想がつかない行為をするので苛立ちます。子ども、とりわけ幼子を嫌います。すべて予め決めてある通りにならないと不安になります。厳しい規則や固い組織など動かないものを愛します。モノや思い通りになる人だけしか愛せないのです。
 臨機応変、当意即妙とは無縁で、すべて自分の計画通りにならないと怒ります。固く、ぎこちなく(独裁者の言動や軍隊行進がよい例)、表情は紋切型で、魅力がありません。心から笑うことができず、作った笑顔しか示せません。
 生きているものは、思い通りにならず、たえす流動しますから、恐れます。イキイキとしてることを不審に思い、愉悦の心は取り締まりの対象です。エロース豊かなことを罪悪だと感じます。〈根源的な不幸〉としか言えませんが、そういう人は、自身も親や教師によりそのように扱われた人に多く、なかなか自覚できず、不幸と抑圧の再生産に陥ります。表情が紋切型でいつも同じ、身体の動きがどこかギコチナイのが特徴です。
 
 わたしは、先にも書きましたが、【安倍首相】は、自著『美しい国へ』で、個人とか市民という概念を嫌い、「日本人ないし国民という概念を第一にすべきだ」 と言いますが、  いま、ここで、イキイキと生きている一人の人間、一人の女・一人の男から始まる社会・国という「社会契約」(人民主権)の考え方が受け入れられず、自分の思う「日本人」とか「伝統」の枠内にこどもや市民を閉じ込めようとします。そのように管理したいと「欲望」するのです。

 彼をはじめ『日本会議』のメンバーのように「戦前思想」に郷愁や肯定感をもつ人は、物や制度(国家など)そのものを愛するという倒錯=「物神崇拝(フェティシズム)ですが、その精神の基本の様態は、ネクロフィリアと言えます。

 心のありようがネクロフィリア的な傾向にある人は、管理社会を好みますから、こどもや人々が自立心をもち、「私」からはじまる生き方をすることを恐れます。
 個人や自由や解放というイメージを嫌い、批判されるのを避けます。オープンな話し合いが苦手で、一方通行です。そのような傾向にある人は、様々な手段を用いて他者を抑圧しますが、それを合理化するための理論をつくり、その概念で、生きている人間を管理しようとします。

 特定のことば=概念に人々を閉じ込め、様式(パターン)の下に意識を置き、儀式的な生を営む「紋切人」をよしとするわけです。「神武天皇から125代続く男系男子の遺伝子を守れ!」と異様な主張をする『日本会議』のメンバーはその典型ですが、ネクロフィリアの傾向が強い人は、対等な関係性ではなく、上下倫理で自他を縛りますので、「民主的倫理」とは無縁ですし、個々の市民を主権者とする「民主政」とはひどく相性が悪いのです。人民主権の社会契約論を否定するのですから呆れます。

 ネクロフィリアは怖い精神疾患です。 もちろん、現実の人間を単純にバイオフィリアとネクロフィリアの二つに分類することはできませんし、ネクロフィリアそのものという人がいるわけでもないですが、そのような傾向にある人を見分けること、と、自分自身がそのような傾向に陥らないように注意することはとても大切です。

 精神の基本のありようがネクロフィリアの傾向が強い人が政治権力をもったり、教育者になったりするのは、社会にとって大変危険です。大きな厄災をもたらす可能性が高いのです。個々の「自由な市民の敵」とさえ言えます。彼らは、「幸福をつくらない日本というシステム」(ウォルフレン)の担い手となります。


武田康弘(2015年8月1日の再録)
 
 
 
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武田康弘の恋知語録

2022-07-04 | 恋知(哲学)

 

以下は、fbに出した4日間の武田の恋知語録です。

 

約束とは何より大切なもの。「神」との約束?そういう外的な架空な人格との約束よりも遥かに深い約束は、わたしの「真心」との約束だ。
まごごろを裏切ることは、わたしという人間を裏切ること。他者ではなく、わたしとの約束こそ、最深のもの。

 

よく感じ・想い・考えて、よく意見を述べるのは、すればするほど素晴らしい~!!
しかし、ツッパリの我。勝ち負けの我、我を張るのは、何も生まず、嫌なムードを醸すのみで、損しかない。「」ではなく「意識の働き」を活発に!

 

外なる価値の獲得ではなく、わたしの内から発するよろこびの世界を開発できなければ、必ず「神」とか「天皇」とか「○○主義」というような超越項を必要とする人に堕ちる。わたしの実存の輝きが失われるのは、多くは幼少期の愛情不足から来る不幸の意識だ。それは他者に伝播する。

 

顔は顕現する、我の強い人はもろに顔に出る。おとなしそう、とか優しそう・・とは関係がなく、自我を絶対化している人、固定した価値意識の人の顔は、嫌~な顔だ。「意識の強靭さ」というのは素晴しいが、「自我の塊」は醜い。自他を不幸にする。



 武田康弘(大学での恋知講座)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西欧的自我主義とは別次元、ヤージュニャ ヴァルキヤやブッダとサルトルの一致。キリスト教や天皇教の詐術

2022-06-18 | 恋知(哲学)


 今日の大学クラスでやったことですが、紀元前7世紀のインド哲学の天才=ヤージュニャ ヴァルキヤ
(トルコ ミレトスのタレスに少し先行)と20世紀フランスのサルトル哲学(存在と無)の完全な一致、わたしとは認識主体のことなので、原理上、わたしを認識する(対象認識する)ことはできないのです。


 わたしの意識現象ーありありと感じている色や音や・・・は、そのように感じること自体を説明することができません、脳細胞が刺激されてというのは観察できますが、それは意識現象(感じているこの感じ)を説明できないのですから、○○を認識するわたしを認識することは原理上、不可能というわけです。自我という存在がまずあって、意識現象を起こしているわけではなく、端的に意識現象がある、それが遡行の行き止まりです。意識現象をもっているために、わたしという自我が自覚されるのであり、その順番を逆にしてはいけません。西欧的自我主義に陥ります。

 結局は自我の補強にしかならない一神教(主にキリスト教)に呪縛されているうちは、人類は自由で豊かな幼子のような人間味を持つことはできません。ヤージュナヴァルキヤやブッダの自我を超えた意識の自由な飛翔は、サルトルと共通です。一神教とその発想法を超えるのは何より大切です。

 強い宗教「一神教」を真似て伊藤博文がつくった疑似的な一神教が「天皇教」で、その象徴が一世一元の「元号」
(岩倉具視作成)です。生きている神ですから恐ろしい力・抑圧を生みました。政府作成のカルト宗教ですが、クリスチャンが天皇教と意外と親和性があるのは発想が一神教的ゆえだからです。

 恋知という実存思想を深く自覚し、実践しよう~~!
自我主義の呪縛を解き、意識をしなやかに自由に伸び伸びと。既成秩序に縛られずに、広大無辺なイマジネーションの世界に羽ばたこう~~~~~~~~~ わたしは自由存在=自由な意識なのです。

武田康弘

------------------------------

fbコメントより

タケセンがどう考えるかに関わらず、
キリスト教の神は唯一神であり、人格神であると同時に父(+母)-子-聖霊の三位一体の神であるということを信じるというのが核心であります。
タケセンが批判し、嫌と言っても
それに影響されるようなひ弱いものではありません。

Taechang Kim




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自我に囚われないほんとうの自由  占脳・染脳 から 洗脳へ。

2022-05-16 | 恋知(哲学)
自由とは囚われが少ないことですが、難しいのは「自我」という囚われからの自由です。
自分は優れているとか勝とうとする心が自由を消してしまいます。
逆らうのが自由なのではなく、透明で率直で、囚われの少ないことが自由です。
「私が我に囚われずに私である」のは楽しく充実です。
 
自我に囚われないほんとうの自由は、実は、多くの人にとって難しいようです。
たとえ広い意味ではあれ、利害損得に囚われているからです。
こどもは、聞く耳をもっていますが、大人になるに従い俗世間から占脳・染脳されていきます。そこから自由になるために脳を洗い透明にするのが恋知としての哲学です。染めあげられている=染脳を洗う洗脳が大切です。

武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

竹内芳郎さんとの出会いと交際 1986年~~~

2022-05-09 | 恋知(哲学)

竹内芳郎さんとの出会いと交際 

          
     
 綿貫信一(18)竹内芳郎(62)

 

  武田康弘  2022年4月9日(70歳になる年に)
                              

 わたしは、竹内芳郎の『サルトル哲学序説』を高校生の時に知り、愛読書としていましたが、著者の竹内さんと面接して話しをしてみようとは思いもしませんでした。
 それがなぜ大変親しい仲になったのか? 教え子の綿貫信一君(1968年生まれ)のせいです(笑)。

 綿貫君は、小学4年生から5年生になる間の春休みに、隣に住む友人の吉川渉君に案内されて、わたしの主宰する私塾に遊びに来ました。綿貫君=信ちゃんは、わたしのことを気に入り、塾に入ることになりました。10歳の時です。
 彼は、中学2年生のおわりころに、教室の書棚にあった『サルトル哲学序説』を取り出して読み始め、面白いと言い質問してきました。わたしは、こんな難しい本をよくもまあ、と驚きました。

 綿貫君が高校3年生のとき、「竹内さんがどこの大学で教えているのか知りたい」と聞かれましたので、わたしは、発行元の筑摩書房に電話をかけましたが、わたしの話を聞いて、「それでは竹内先生の電話をお教えしますので、直接、お聞きください」とのことでした。
 わたしは、すぐに電話をして事情を話しましたが、「ほ~、そんな子がいるのですか、ぜひ、武田さんと一緒に拙宅に遊びにきませんか?」とお誘いを受けたので、行くことにしたのです(写真上1986年12月7日)。

 それがきっかけで竹内さんと親しい交際に発展することになりました。綿貫君は東洋大学の哲学科に進みましたが、「竹内さんの国学院大学での授業を受けたい」と言い、「武田先生も一緒に行きましょう!」と強く誘われましたので、その旨を竹内さんにお伝えしたところ、大変喜んで、「武田さんも参加されるのでは緊張するな~~」と言われました。

 1987年と88年の2年間にわたり毎週月曜日に、綿貫君と一緒に国学院大学まで通いました。1年目は「文学言語とは何か」、2年目は「言語とは何か」で、言語論を学びましたが、これは見事な授業で大きな得をしました。竹内さんの許可をとり、2年間の授業はすべてカセットテープに収めもしました。授業後の興奮!のやりとりもそのまま収録されています。

 1988年10月9日、わたしは、竹内さんにお願いして、我孫子市民会館で【盗まれた自由】と題する講演会をして頂きました。この講演会は、わたしが友人の福嶋裕彦市議に提案して二人でつくることになった『緑と市民自治』紙(新聞折込で我孫子市全域に配付)に竹内哲学を解説・紹介した文章を載せ、朝日新聞にも大きく案内を出してもらいました。その講演文が、翌年89年4月に筑摩書房から『ポストモダンと天皇教の現在』(題名は武田による)として出版されましたが、これは大学入試にも幾度か出題されるほど評判を呼びました。
 この本の出版を祝うパネルディスカッションが同年89年7月2日に、東京パンセホールで「いま日本を考える」と題して、竹内芳郎さん、海老坂武さん、古茂田宏さん、わたしの4名のパネラーにより行なわれました。司会は、編集者の久保覚さんでした。

 それと時期が相前後しますが、竹内さんは、「あなたの仕事や活動を見て、わたしもやりたくなった。今までは書物に集中する人生を選んできたが、これからは、直接対話の実践をしたいから、いろいろと教えてほしい」と言われ、電話や手紙で頻繁なやりとりになりました。そうして竹内さんは大学を辞め、89年8月27日から「討論塾」を始めることになったのです。

 まったく孤独に学的世界に生きて、第二次言語に集中してきた竹内さんは、なまの現実については疎く、右往左往でしたが、とにかくそれは93歳の死の間際まで続きました。わたしは、竹内哲学のよいも悪いも知り、ぶつかりもし、途中長い空白もありましたが、89歳の竹内さんと再び論争できたのは貴重な思い出です。純粋で厳しいやりとりは、わたしの思想の内容を強く豊かにしてくれました。改めて感謝の気持ちでいっぱいです。竹内さん、いつか浄土でまた議論しましょう~~~



  1987年8月 竹内宅で 竹内(63才)武田(35才)



 1987年11月21日 武田宅で  弘人7才   




福嶋裕彦(32才) 佐野力(48才) 武田康弘(37才) 竹内芳郎(65才)
       1989年8月27日第1回討論塾  狛江市 

                                  

                                     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイアイスクール「武田先生と哲学対話」2022年 2回目・4月29日の写真。23枚

2022-04-30 | 恋知(哲学)

  五反田のアイアイスクール。今日は、日本の現代と近代史の一番深く大きな問題=【明治維新がつくった天皇制・天皇教】について考えました。

 日本の伝統文化を壊したのが明治であり、日本のよき伝統をよみがえらせるには、天皇・皇族は京都に戻ることが必要云々という熱い話で、とても充実。

 伊藤博文はいろいろ悪事も働いた人であることは、NHKのこども向け番組でも取り上げられていたので、ご紹介。

 天皇という呼び名は短期間しか使われていなかったー日本史の専門家は知っているが、まだ教科書は昔のままであること。などなど

 801年前の「承久の乱」で日本史が大転回したこと=京都の公家から東国武士たちへ、は、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のラストで取り上げられるので、お見逃しなく(笑)、

 北条政子・義時・泰時に代表される北条政権と、法然・親鸞との深い結びつきなども。

 参加者は53名(会場+ズーム)でした。

 写真撮影は、わたしのカメラ(α99 プラナー50ミリ)で、笠原恵津子さん、古林治さん。トリミングと調整は武田。

    なお回目は、7月18日(月・です。 人類の歴史-生命の歴史+太陽系の誕生をお話し、その壮大なスケールから私の生を考えていきます。面白く楽しく。



fbから。
Taechang Kim

タケセンの益々のご活躍嬉しく思い応援します。本物の哲学が大勢の日本人の心に響いたのでしょう。
大学教授たちの哲学学は喜びや感動が無い知識の詰め込み
に過ぎないのに比べたら、タケセンのタケテツにはまさに知への熱い恋心があり自由への憧憬があり理性への情熱がありそこから生まれる悦びと特に笑顔たちの感動が伝わってきます。
ブラボータケテツ!ブラボータケセン!!!
 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

4月29日(金・祝)は、第2回「武田先生と哲学対話」 1回目はとても好評で、こんな面白いのははじめて!!

2022-04-23 | 恋知(哲学)

4月29日(金・祝)は、「武田先生との哲学対話」です。(第3回は7月18日)

東京五反田で。午後1時30分からです。
詳しくは、主催者のアイアイスクール(NPO法人)まで。

参加費は、大人2000円 高校生まで500円。


以下の写真は、前回3月21日のものです。参加者は51名でした。

とても好評で、8割以上の方が、とてもいい、の評価でした。「こんな面白いのはじめて」との言葉も。



終了後

武田康弘

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のとわの会ー恋知講座。 ウクライナ問題やら日本史の大転回やら盛沢山。

2022-04-23 | 恋知(哲学)


終了後、とわの会の面々、26年目のお付き合い。

 主権在民の民主制(政)を十全に行おうとするのはとても難しく、だんだんと民主制・政を深めることしかできませんが、それには子どもの頃からの教育=考え・対話し・決める練習が不可欠です。
 (事実学の累積は、単なる事実人しかつくらない)
 話し合いの習慣をつくるのが必須です。だんまり文化を越えて、お話をする(命令・誘導・強要ではなく)ことが大切です。
 それを欠けば、結局は暴力的な行為や冷たい人間関係を是認することになります。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 今回のロシアがウクライナに侵攻したような事態は、起きてはいけないことです。
 ウクライナのクーデター政権は、8年間に及び、ロシア人を抑圧し殺してきました。アゾフ大隊というネオナチ思想の過激な暴力組織が幅を利かせています。
 それに対しては、本来は、国連や欧州各国がウクライナ政権を批判し、過激な暴力をやめさせるために行動しなければなりませんでした。ウクライナ政府が本気で取り締まれば、暴力を激減させることができたはずですし、正規軍の中にアゾフ大隊が多数入り込むことなどありえませんでした。

 話し合いが機能しなかった背景には、アメリカがウクライナに親米政権を作り、ウクライナをお金儲けの種にしたことがあります。バイデン大統領の息子をはじめ大勢のアメリカ人が、商業主義で入り込んでいます。また、戦争になれば大きな儲けになるグループは、戦争を仕掛けます。
 長い国境線で接する隣国が、アメリカの勢力下におかれれば、ロシア人も多く住むウクライナで、文化的にも共通し(かつてはチャイコフスキー、今はピアノの天才・リフシッツもウクライナ生まれで、ロシアで学び活躍してきました)していますので、「反ロシアの親米政権」を隣につくられたロシアが嫌がるのは当然のことです。

 そういうエグイことをアメリカは行い、ずっとロシアを挑発してきたわけです。けれども、それに乗り、ウクライナに軍事侵攻してしまったプーチンが、非難されるのは当然です。
 わたしも批判してきました。しかし、何があってこうなったのかを理解すれば、解決のための現実的な方策が立てられます。やみくもに悪だ悪だと言い続けても解決には至りません。
 大事なのは、早く停戦すること、させることで、そのためには、なによりも話し合いが大事です。それを妨害して戦争を長引かせるようなことをするのは、世界中のふつうの市民にとり一つもよいことはありません。
 
 戦争で儲けようとする最悪の商業主義者たちの言動を空振りに終わらせるためには、そもそも論ではなく、現実的で冷静な判断が必要です。感情的な心、言説は、ふつうの市民にとり大損です。

 民主主義を標榜する西側諸国は、ロシア人を解雇したり、差別したりでは、人権思想が泣きます。欧米で活躍する指揮者も合唱団員も多く解雇されています。チャイコフスキーコンクールもなしです。演奏曲目から外されてもいます。

 話し合いによる解決が必要です。ウクライナとロシア間のみならず、世界中で行われないといけません。ロシア悪、と決めつけては話し合いは始まりません。制裁ではなく、経済封鎖ではなく、話し合いが必要です。制裁が長引けば、みなが、とりわけ下層市民はひどく困ります。へたをすると、西側諸国の方が大きなダメージを負うことも十分にありえるでしょう。

 中国とインド、世界1位と2位の国は、あわてずさわがすで、落ち着いています。

ー----------------------------------------

北条政権による日本史の大転回については、何度か書いていますので、それを参照にしてください。
 
「令和から共和へ」の本と内容について。ー--何かの理論や、特定の学によるのではなく、生活世界から立ち昇る思索により書いたのが、「わたしと共和制ー楽しい公共社会を生むために」です。

タケセン70周年~~~~~~(笑)を5月14日(土)に白樺教育館で



武田康弘
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする