思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

わたしの愛の基本姿勢

2007-07-29 | 私の信条

わたしは、愛する者を、平面的に愛するのではなく、立体的に愛する。
どうしたら、より相手のよさ・美質を引き出すことができるか?と考え、行為するのが立体愛だ。
わたしは、相手のほんらいのよさを開花させるために、狭く自己を限定している心身を解放させようと試みる。
関わりが深くなるにつれ、時には相手を追い込むこともする。生来イジワルだから?否まったく違う。わたしにはイジワルの要素が少しもない。子どもたちを追い詰め、追い込んだことは数知れずある。でも彼らの大多数は、わたしの本心―真心を少しの誤解もなくまっすぐに分かってくれる。
わたしはよく考え、配慮し、長い目で見てほんとうによい結果を生むためにはどうしたらよいかを思案する。一時の効果・正しさを求めて全体をダメにすることを避けようと努力する。大胆さと繊細さ、情熱と冷静、強引と慎重の双方が必要だ。
平面的に愛しても、互いに真の得・悦びはつくれない。現実の人間の生は立体だからだ。愛を立体化するのは、もちろん想像力。
これがわたしの基本姿勢。もちろん、個々の失敗については反省しつつ、姿勢は少しも変わらない。

武田康弘






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自殺と他殺は同じことーどちらもヒドイ暴力です。

2007-06-07 | 私の信条

自殺を「武士の心だ」、と賞賛した愚かな政治家がいますが、自殺も他殺も紙一重の違いで、一つメダルの裏表でしかありません。
どちらも私の自我が「命」を断つという酷い暴力行為であり、許されるものではありません。
生きて在ることの深い価値を知らないのは、本人が不幸であるだけでなく、社会にとって何よりも大きなマイナスです。外的な価値に縛られずにていねいに生きること、その生の基本形がなければ、全ては砂上の楼閣でしかありません。みなを不幸にします。

武田康弘

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私の生の充実と社会問題ー批判的精神をもつことの素晴らしさ

2007-05-01 | 私の信条

これは、おかしい、
間違っているな~。
では、
どこがどのように問題で、
どうすればいいのか?
困った事態の原因をつきとめ、その解決のために努力する。
勉強し、話し合い、実践する。繰り返し、繰り返し。
しだいに意識は透明になっていく。自我の疼(うず)きは減り、純粋意識の働きが活発になる。
問題の所在が明瞭になり、有効な実践が可能になる。
そうすることで、自分自身の人生がひろがり、豊かになる。いままで見えなかったものが見えてくる。言えなかったことが言えるようになる。序列意識から解放され、精神は自由で悦びの多いものになる。いつのまにか大きく強くへこたれない「私」が出現する。

社会悪の根がどこにあるのか?が明晰に自覚でき、それと闘い、自他の幸福を広げる思想を鍛えることのできる人生は、実に素晴らしいものです。個人的な趣味の世界を追求するのと同時に、ひろく社会的な問題の改善に挑戦できるというのは、人間として最高の幸せでしょう。

歪んだ考え、狭い思想、つまらない想念への囚われ、人間性抑圧の愚劣な道徳に従う昆虫のような生き方、支配階級の策謀に騙される哀れな生・・・・・
他人の命令に従い、外的価値に縛られ、いつも心の真実を押し殺して生きる根源的な不幸から解き放たれ、自分自身としての人生を歩むこと。

それ以上のよい人生はないでしょう。囚われの少ない心で、自分の悦びを深めて生きること、そうして、そのように生きる人たちが「つながる」のは、何ものにもかえ難い素敵な出来事です。
そういえば、わが日本国憲法前文にも「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている・・」とありました。

武田康弘


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グルダの弾くモーツアルトを聴きながらー天才とふつう

2007-02-25 | 私の信条

「ふつう」が偉大であること、
「当たり前」にかなうものはないこと、
これ以上はない至高のものとは、飾らず、武装しない「裸の人間」からしか生まれないこと。
グルダのモーツアルトはほんものです。
聴いていていつも感じるのは上記のような哲学です。

グルダのピアノは、明るくて愉しいです。
テンポは確実です。
何もしていなように自然ですが、実は、細部まで濃やかな神経が行き届いています。
即興演奏のように自由なのに、大人の落ち着きがあります。
動と静が一体なのです。

秀才とは、既成秩序の枠内の小さな才ですが、
天才とは、自由に飛翔する才のことです。
グルダは、まさに天才ですが、天才とふつうとは、実は同じ側にあるもの。
秀才は、既存の思考枠・価値観に固執して生きるしかない気の毒な才のこと。

ゲーテの「天才を与えよ。さもなくば死を与えよ。」は、まだまだ修行が足りないのです(笑)。「ふつう」を獲得すればいいのですから。

私が好きなのは、天才とふつうです。


グルダの弾くモーツアルト・ピアノソナタ17番(KV576)
 幻想曲(KV475)
 ピアノソナタ16番(KV570)
(1978年9月、ミュンヘン・ヘラクレスザールでの録音)
を聴きながら。


武田康弘



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ほんらい哲学とは「学」ではなく、生体それ自体の知である。

2006-12-08 | 私の信条
以下は、昨日、ある人からのメールに返信したものです。


ご心配、ありがとうございます。
実は、今回ほどひどくはなくても、私は毎年、何度か風邪などで体調が悪くなります。幼少の頃から長いこと内臓疾患が続いたせいでしょうか、体調万全という日があまりないのです。いろいろ工夫して(生活仕方、栄養、運動、呼吸法・・・)生活してきました(私の肉体・筋肉の力―まだ20台の若者にも負けない格闘力からは想像できないと思いますが)。
恐らく、私の内部に「強い思い」=人間の生に対する豊穣なロマンと、人々の生き方・社会のありよう・形式主義の文化に対する激しい憤りがあり、それが内からフツフツと沸き上がるために、命が燃え、虚弱体質に抗し、克服してきたのだと思います。
私の場合、恋知(哲学)という無=自分の頭で納得がいくまで考え、実践することが、生身の私を支えているのです。恋知とは「学」ではなく、生体エネルギーそのもの・生体それ自体の知なのです。したがって、大学哲学は論外ですが、竹田青嗣さんの言うような「生きるための技術」というものでもありません。もっと深く生体と一体化しています。根源知―心身全体による知とでも言えばいいでしょうか・・・・

武田康弘





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人のため、は間違い。自分のため、も間違い。

2006-12-05 | 私の信条

人のために何かをしよう、人のために何かをしなければ、と言う人は、けっして人のためにはなりません。

一番警戒しなければいけないのは、「あなたの為に何かしたい」という人です。激しい自我の欲望が裏返っただけのことですから。他者を自分のものにしたいが為の言説に過ぎません。

他人のためというのも、自分のためというのも、共に「閉じられたエゴ」を満たそうとする営みです。根源的な不幸から抜けられません。



自分の心の感じ方を大切にし、自分の体をよき状態に保ち、自分の頭を鍛えていく・・・・自分自身の内側をよきもの=健康なものにしていく努力が、まわりの人や物への自然な心配りを生むのです。愛とは、自身の充足が生み出すものです。自己の欠乏がつくるのは、愛ではなく盗みです。「閉じられたエゴ」に他者を取り込むことでしかありません。


深い納得、心の底からの悦びを求める。よきものに憧れる。これが豊かな生を育む源です。

他人のため、あなたのため、と言うのは、不遜です。裏返って、自分のためというのも同じです。どちらも人間を「閉じられたエゴ」として見ているのです。決して他人のためにも自分のためにもなりません。必要なのは、「ために」ではなく、「気遣い」の心です。自他の心身を気遣うこと。

人間の心が健康=自然であれば、心は、よきもの・うつくしきもの・ほんとうのものに惹かれます。その状態が、自他への優しさ、配慮、愛、を生みます。
あなたのため、私のため、という言い方=発想仕方は、どちらも同じで、どちらも間違いだと思います。

武田康弘








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石原都知事と安倍自民党総裁には猛省を促します。

2006-09-23 | 私の信条

政治権力者が裁判所の見解をまったく認めず、無視するとう姿勢ー言動は、国の根幹を揺るがす大問題です。彼らには猛省を促します。


昨晩のブログ(この下)に対して、ミクシィ内から20以上のコメントを頂きまいした。
そのコメントに対するまとめのコメントを書きましたので、以下に載せます。

2006年09月23日
09:28
タケセン

明治天皇に捧げられた天皇賛歌が「君が代」です。歌詞の内容も天皇の時代の永遠性をうたうものと教えられてきました。それまでの伝統を壊して明治政府がつくった「近代天皇制」=靖国思想(これが天皇現人神ー神国日本ー八紘一宇ー大東亜共栄圏の思想にそのまま繋がりました)に基づく歌です。これは歴史的な事実です。
それゆえに「君が代」を国歌にすることには多くの反対があったのですが、「国体思想」を引きずる自民党は、天皇を元首化したいとの思い(安倍晋三もそうです)から、国会で国旗・国歌法を制定しました。戦前の日本でさえ、当時の文部省は、国旗・国歌を法律で強制するのはおかしい、として法制化しなかったのにです。
この問題には、そういう経緯があるのです。
私は、皆が喜んで歌える歌ー日本の古歌である「桜」や故郷への郷愁を歌った「故郷」など、イデオロギーと結びつかない歌を国歌として制定するのが、ものの「あはれ」を解する日本と日本人にはふさわしいと思います。
ーーーーーーーーーー
今回の司法の判断は、あまりに当然です。現天皇自身も、強制するのはよくないと発言していますが、公務員であっても、思想信条に関わる問題について強制されることはありません。「君が代」を歌わないことを理由に懲罰があれば、会社員であれ教師であれ、それは日本国憲法が保障する基本的人権の侵害になります。近代市民社会(民主制)をつくりだした基本理念のひとつー三権分立(「法の精神」モンテスキュー)の精神を踏まえ、石原都知事・東京都教育員会や自民党総裁は、もっと謙虚にならなければいけません。
反対する自由が認めれない国家とは、民主制国家ではありません。少数意見を尊重するのは、よき社会の基本原則です。
北朝鮮は、戦前の日本の政治を手本にしているそうですが、新しい日本ー民主性の国に住む現代の日本人は、北朝鮮を真似る必要はありませんー(蛇足ー冗談です)。

なお、?靖国神社、?国家、国体思想、?皇族の人権、市民精神については、クリックしてください。三部作すべてを見ることができます。

武田康弘



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「全身で打ち込んで楽しむことの深さ」ー白樺ML公開

2006-08-23 | 私の信条

以下は、「知る」ということへの問いに対する「白樺ML」への返信メールです。

「公共的良識人」の8月号にキムさんがよいことを書いています。「白樺教育館」を高評価した対談の中でです。

 哲学とは希望を持ち続けることだと思います。絶望のど真ん中でも希望を持ち続ける。・・・本来、哲学するということは知徳を恋い慕うということです。自分がそこに全力投入して学び続けることを楽しむということです。そのような私の基本姿勢は『論語』に出てくる「理性で知ることは感情で好むことの深さに及ばない。感情で好むことは、全身で打ち込んで楽しむことの深さに及ばない」という孔子の言葉に影響されたものです。

「全身で打ち込んで楽しむことの深さ」ーこれは武田の思想と実践にもピタリと重なる言葉です。もっとも私の場合は、いつも言葉よりも実体験からくるイメージの方が圧倒的で、言葉は後からやってくる、という感じですが。心身全体での反応が先立つーまあ、子どものようなものです(笑)。

いつも言うように、「全細胞ー心身全体で考える」を愉しみとするのが私の人生です。
私にとって「知る」とは、心身全体で会得するエロース溢れる行為です。言葉転がしではなく、濃密な意味ー身心に届く深い満足を求めます。

武田康弘。


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心幹ー頭幹ー体幹の弱い日本人

2006-07-01 | 私の信条

私が30年間主張し続けてきたことが、またまた見事に!?証明されました(笑)。
「サッカーの日本選手は弱かった」、という今朝の東京新聞の記事には、「体の幹」がしっかりしていない選手たちの問題が指摘されています。今更ですが、「小さい時からサッカーばかりやっている弊害―腕立て伏せができない選手もいるー土台に当たる基礎運動能力の問題」-というJ1浦和の野崎トレーナーの言が紹介されています。

何事でもそうです。
体幹―頭幹―心幹が弱いのです。
受験勉強―点数しか見えない親たち、軟弱な心―母親によって去勢されたような男の子たち、取っ組み合いも出来ないやわな体の子どもたち、自分という中心をもたず、情報や他人の言説に右往左往する軟弱思想の大人たち。

現在の日本、保守主義が横行し、時代を逆行させる愚かなウヨク思想が大手を振るうのは、まさしく、自己=私という人間的な生の出発点を持てない証拠です。組織=システム=既成秩序に依存しなければ生きられない、仲間―集団への無批判的同調、周りの顔色をみて行動し、手強い相手からは「逃げる」人間―肩書きや所属団体に依拠し、さらには一番大きそうな(笑)国家に忠誠を誓う!―ことで、かろうじて自分を支えるようなテイタラクでは、心も頭も体も腐ってしまいます。

「人」か生きているのではありません。
「日本人」が生きているのでもありません。
「私」が生きているのです。
人間が生きるとは、一般的に生きる!?のではなく、具体的経験=体験として私が生きるのです。たった一人の私が生きるのだという自覚がはじめて中身のある共生、共同、協力も可能にします。
自分と違う人間、手強い他者から逃げ回るような人生では、豊かなエロースはやってきません。ジリ貧の惨めな人生しか与えられないのです。

私は、「手強い個人」の育成を目がけて30年間、雨にも負けず・風にも負けず、頑張ってきましたが、しっかりとした人間を育成するには、情報によらずに自分の頭で考える力をつけさせることが絶対条件です。スマートに何でもこなす「おりこうさん」(本質的に不潔!な人間)では何事も成しえません。自分に正直に生きること、既成価値に逆らうことー顰蹙(ひんしゅく)を買うほどに主張することが必要ですが、そういう人間はほとんどいませんね~。私が手本を示しているのに(笑)。

武田康弘


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江戸城に住む天皇家!・・・至高のよきものとは心の内部にのみ存在する。

2006-05-27 | 私の信条

神田須田町に生まれ育った私は、幼いころから、近くにある「皇居」の存在がなんとも不可解でした。税金で暮らしている皇族と呼ばれる一族が、なぜ、超特別待遇で、意味不明?の特別な敬語で遇されるのか?民主主義とか人間の平等の理念とは、まったく異なる存在が、全国民統合の象徴!!??というのは、なんとも気持ちが悪くなるような話だと感じていました。やはり、平将門を主祭神とする「神田明神」のせいでしょうか?(笑)。

この気持ちは、54歳になった今も少しも変わりませんが、少しも変わらないことは、年を重ねてさまざまな人生経験を積んでも、心と頭が汚れず穢れていない証拠でしょう(笑)。とても誇りに感じています。


明治維新のときに、京都から出張させられて江戸城に住まわされた天皇一家が、民主主義に変わった戦後もなぜ他人の家(大田道灌がつくった、天皇家とは何の関係もない城)に住むことを政府によって強制されるのか?なんともひどい話だと私には思えます。

「日本の伝統を大事にする」といのならば、天皇家はもともとの家、京都御所に帰られ、歴史的・文化的存在として遇されるのが「正しい」のです。こんなことは、わざわざ論じることもないほど当たり前の話でしょう。
(詳しくは、「皇族の人権と市民精神の涵養」を見て下さい)

きちんと天皇家の人々の人権も保障し、一人の人間としての尊厳が与えられるのが現代世界の常識のはずです。わが日本人の多くが、もう少し、ふつうにまっとうに考える頭を持っていれば、明治政府(山県有朋ら)が日本の伝統を壊してつくりあげた不自然な制度=想念に自他を縛り付けることもなくなるでしょうに。

単なる「事実学」=試験勉強・学問ではなく、日々の体験を踏まえ、自分の頭を悩ませて考える「意味論」としての勉強をしないと、わが島国・日本は、世界の孤児になってしまうでしょうね。アジアの国であり、その文化を共有するわが国が、アジアとは距離を置き、まったく異なる風土と文化のアメリカに追随するだけというのでは、バカみたいです。

話が少しズレましたので、戻します。

とにかく、一番大事なのは、「至高のよきもの・美しきもの」とは、私たち一人ひとりの内部にあるのであり、外にはないことの明晰な自覚です。自分の主観を深く掘り進めていくこと以上の価値はどこにもありません。これは生の原理です。横に流されて浮遊したり、外部に絶対を求めて硬化する精神には、内的なよろこび・充実がやってくることはないのです。歴史的な一家族に「絶対」・「超越」を見るような思想=想念は、人間を幸せにしません。

武田康弘


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二つの世界を媒介するのは「私」ですー活力・魅力の源泉

2006-03-07 | 私の信条

頭がよく動き明晰だが、同時に、ふぁ~とした大きさを持ち、
強い論理性を持つが、同時に、豊かで柔らかな情感があり、
火中の栗を拾うほどの能動性があるが、同時に、他力という深い受動性を持つ。

もちろんこれは「夢」ですが、そんな人間がいい、と私は思っています。


動と静、強さと優しさ、激しさと穏やかさ、剛と柔、明と暗、善と悪、、、、、は、セットです。その二つの世界を媒介するのは「私」です。エロース、悦び、魅力とは、この両面があるところにしか生じません。

現代の日本は、つべこべうるさく「正しい」ことばかりを求めるために、人間の活力を根絶やしにして、すべてを終わらせてしまう「管理社会」に堕落しています。金で物を(人も?)買うしか楽しみがない、生きる意味の乏しい現代日本は、平板でノッペラボウの「無表情社会」でしかありませんね(中学3年生の教科書に載っている「素顔同盟」はとても面白いですー青線をクリック)。

閉塞したつまらない社会をチェンジしましょう!再び、天皇だの皇室だのを称揚するのは、愚か者のすることでしかありません。個人の生を抑圧する昔の日本に戻るだけです( 「主観を消去する日本というシステム」 )。
一人ひとりが、自分から出発する生を歩むほんとうのエロースは、自分の内なる声に深く静かに耳を傾けることからしか生じないでしょう( 「わたしの超越ならざる『超越』」 )。何より必要なのは、「恋知」(哲学)だと思っています( 「恋知・民知と公共哲学」 )。

武田康弘



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日本人という人類(人間)が存在する!?へんですね。

2006-02-14 | 私の信条

人類または人間の話です。

このごろしきりと、わたしたち日本人は・・・とか、日本人として・・・とか、日本の伝統を守るためには・・・ということが言われます。

私はこの歳(53歳)になっても、こういう言辞を弄する政治家や評論家や学者や教育者や役人が何を言っているのかさっぱりわかりません。

中国人という人類(人間)がいる? 韓国人という人類(人間)がいる? 日本人という人類(人間)がいる?
あべこべですよね。
人類=人間としてはみな同じであり、たまたま私は日本という地域に生まれ育っただけです。
日本人という意匠をもった人間がいるのであり、韓国人という意匠をもった人間がいるのであり、中国人という意匠をもった人間がいる、そういうことにすぎません。

普遍的な了解への道が開けるような考えや行為をつくるにはどうしたらよいか? 国家エゴイズム(自分たちだけが特別な存在だという思想)をどうしたら小さくできるか?そういう方向での言動をするように、ひとりひとりが努力する、それがおおきな意味での利益=ほんとうの得をもたらすのではないでしょうか?

日本だけは時代区分まで「一人の人間の生死」で変えるのだ!「元号制度」こそ世界のどこにもない日本の個性だ!
私はそのような頑なな思想=制度は、ひどい自我主義であり、幸福をつくらないシステムでしかないと深く、強く確信しています。開かれた文明―開かれた国家―開かれた思想のためには、まず何よりも自分の心身を開かなければダメですね。
日々、新鮮。日々、創造。
囚われのない自由な心の想いを羽ばたかせてこそ、真の友好、真の国益は得られるのです。
「国益」を先に考えるような思想は、小さく固いです。そういう想念では何事もなしえません。これは原理です。個人でも政府でも、ひょうひょうと「狭い自我」を超えられる者が豊かな世界を生み出すのではないでしょうか?
相手を変えようとするから失敗するのです。己を変えることです。自分が変われば相手も変わります。人間の生・文化は「逆説」でできているのですから。

武田康弘




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なぜ民知」の運動をするの?30年前の覚醒。

2006-01-20 | 私の信条

(以下は、私からUSAKOさんへの返信メールより、その一部です。)

自分自身の日々の経験と照らし合わせて、なるほど、と深く納得できるように知るのが、ほんらいの勉強でしょう。
私は、そのようにして知ったことの集合を「知」という名詞形で語っているわけです。
それは、今さら言うまでもなく当たり前のやりかたであり、その結果として知ったことやその方法をわざわざ「ほんらいの知」=「民知」だ、と言うこともないのかもしれません。
ところが、学校で、あるいは進学塾で、勉強がよく分からなくなってしまった子に、その子が納得できるように教えようとすると、数字や文字の世界と具体的な経験世界の結びつきが著しく弱いことに気づかされます。
記号化された世界がそれ自身「自立」してしまっているのです。
実は、このことは、どうやら文字や数字等の記号操作を得意とする人間にも共通する問題(私自身を含めて)であり、しかもより深く、当の本人が自覚出来ぬまでに身体化してしまっている、とある時子どもたちによって気付かされたのです。
だから、事象や物事の知り方やそこで得られた知そのものを問題にしなければいけない、と思った私は、自己改造をはじめたわけです。30年近くやってきてようやく少し自信がもてるようになったので(遅くてどうもすみません)、打って出ようか!というわけです。
したがって、そのような問題をはじめからクリアーしている人にとっては、意味のない運動ということになりますが、、、。

「知る」とは?=土門拳の言葉をヒントに
を見てください。(クリック)


武田康弘




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私の決断ーエロースを生むための「民知」という革命

2005-12-16 | 私の信条

私は、都立高校の2年~3年生の時(1968年―69年)、全校生徒の代表として高校改革を成功させて以来、いま具体的には書きませんが、37年の間に幾多の社会運動・文化運動を手がけ、成就させてきました。
しかし、「根本的な地点から見直す」という私の基本姿勢・言動は、おおきな成果を上げると同時に、修復不能な人間関係の亀裂をも生みました。残念なことです。
しかし、人間関係の悪化や断絶は望ましいことではありませんが、ほんとうの改革、新しい希望を生み出す営みを成就させるためには、愛を基盤とした厳しさが必要です。勇気と決断なくしては何事もなしえません。軋轢(あつれき)恐れて受動性の想念に縛られていては、個人の輝きー悦びは消えてしまいます。

私は、来年2006年4月よりまた新たな取り組みー日本社会の中心にある問題を解決するための地道なしかし恐ろしく大きな実践に乗り出します。「民知」のつどい、民知というほんらいの知を広げる活動ですが、その「私の信条」を書いたブログに対して成毛君のコメント(ミクシィ内)がありましたので、私のコメントと合わせて以下に載せます。

まず、「私の信条」を見て下さい。
クリックで出ます。



コメント成毛

俺もそうなれるように、焦らずにゆっくりと着実に努力します。なれるよね?なります!


武田

民知、恋知に王道なし。 努力と時間が必要。
現代のマスメディアが象徴する下劣な価値観と、天皇制が象徴する権威主義の双方を己の深部から消去することが、絶対の条件。
タケセンももう53才。そろそろ「曲がった根性」や「狭い損得勘定」や「非・協力」と思われる人々と付き合う無駄はやめます。
自我主義者・政治屋・既成道徳に縛られた偽善者とは、きっぱり縁を切り、成毛君のような真っ直ぐな精神の人間だけと付き合うようにしようと思っています。

2006年4月から「民知の会」をスタートさせます。
1987年以来の「哲学と市政の会」は廃止です。内容、名称ともに変え、本丸の民知、恋知の拡大・深化に集中します。 移行するために1月より内容を変えます。

人間の問題、社会の問題は、従来の「知」の枠組みでは捉えることができません。
「制度知」でしかない今までの「知」を乗り越えて、私たち「民知者」から始まる新しい人生と世界を築き上げようではありませんか。共に!
一神教的・超越主義的発想を元から断ち、内的に、自分自身として、深い納得を生み出しつつ生きるほんものの人生=エロースの生を広げていきましょう。

民知、恋知については、この下のブログにあります(クリックで見ることができます)。

武田康弘



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不屈の意志と無限の優しさー熱いばかと沈着な思索者

2005-12-01 | 私の信条

私の信条

不退転の覚悟、
何ものにも屈しない強靭な心
人がみな引いてしまうほどの表出力、
と同時に、
無限の優しさ、
柔らかく、繊細な心、
愉悦に満ちた言動、

その両面をもった人間になりたい、というのが私の夢。
華のある魅力あふれる人間に。

心臓の中心を射抜くことのできる鋭利な感覚と爆発的なパワーを持ち、
あらゆるこの世の権威をはるか下に見下ろし、
断固として「内なる善美」を貫くことのできる実存としての生。

私の両親双方の祖父がそうであったように、
自他の愛と悦び=エロースを広げ深めるための強さと激しさと優しさをもった人間として生きること。
その思いを伝え、その実際を示し見せること、それが私の人生、私の教育だ。
瞬発力と持続力を兼ね備えた思考と実践で、私は世界を変えたい。
個々人がエロース豊かに生きることのできない今の思想と制度では、全体も死ぬ。これは絶対の原理。

熱いバカであると同時に沈着な思索者として生きたい、
ダイナミックで既存の善悪を超えた人間であると同時に深い真実を追求する公正な人間でありたい、それが私の思い。

武田康弘


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