思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

石原東京都の教育政策は「近代市民社会」への挑戦。土肥校長の反旗にエールを贈る。

2008-06-04 | 社会思想
レトリック、詭弁、論点すり替え、強弁、怒号―石原慎太郎氏の言動は、ほんとうに酷いものですが、東京都教育委員会は、彼の国家主義的な言動を後ろ盾にして、学校現場で【民主主義原理】を潰す政策を次々と実行してきました。

そのひとつが、二年前に出された「学校の職員会議で、議論・挙手・採決によって教職員の意思を確認することを禁じる」という通達です。

わたしが今年1月の参議院における≪パネルディスカッション≫でも確認した【民主主義の原理】は、現場の人々が【自由対話】により物事を決めていくことですが、それを真っ向から否定するのが、石原都知事の意向を受けた東京都教育会による「通達」であるわけです。

ほんらい学校は、民主主義を学び、練習する場でなければなりません。絶対者のいない民主主義社会では、互いの自由を認め合う哲学の下に、自由対話によりものごとを決定していく以外に社会を運営する方法はありません。異なる意見を闘わせることで「合意」を生みだそうとする営み・努力が何よりも一番大切なのです。

上位下達の環境の中で生きれば、人間は思考力を失い、精神的な自立は得られません。教師自身がまず【自問自答と自由対話】の練習をしなければ、子どもたちの自由の可能性=思考力と対話力を伸ばすことは不可能です。民主主義社会をよく運営していく最大の能力をつけるどころか奪うような教育は、この世の最大の悪だ、と言えましょう。その影響は、世代を超えて受け継がれてしまうからです。現場の教師と子供や親がほとんど全ての決定権を持つ北欧の国々とは180度逆の思想・方法によるこのような教育は、近代市民社会の原理を否定するものとしかいえません。

東京都教育委員会のこの愚かな思想に基づく「通達」に対して、都立三鷹高校の土肥信雄校長は反旗を掲げましたが、彼のようにまっとうな言動をとる校長や教員でなければ、よい人間教育ができるはずはありません。都の教育委員に限らず、自民党文教族の議員や文部官僚は、自分たちの進める従順な教師と子供つくりがどれほどの罪なのかを自覚しなければなりません。個人の思想を鍛え強める教育でなければ、日本社会に未来はないのです。「上位下達」は国を滅ぼす愚か極まる思想であり行為です。猛省を促します。

武田康弘


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