思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ケンペの「5番(運命)と6番(田園)」を通して聴くことで分かるベートーベンの精神

2012-11-09 | 趣味

EUからの輸入盤では、ケンペのベートーベンの交響曲は5番(運命)と6番(田園)が一枚のCDになっています。
LP時代はもちろんのこと(田園は40分かかるのでLP片面には入らない)、CD時代になってからもこの二曲を一枚のCDにすることはなく(全くゼロかどうかは分からない)、従って、二曲を続けて聴く機会はありませんでした。

以前にお勧めしたケンペのボックスセットでも、一枚ものとして出ているCD(共にEUからの輸入盤)も、この二曲がセットですが、ケンペの演奏ほど内声部が細やかに聴き取れ、内から自然に湧き上がる演奏は他にありません(クレンペラーの演奏もそうですが、彼の演奏は巨人族のものでケンペは等身大)。実に清く音楽的にふくよかですので、5番の後に6番をそのまま聴いてしまいます。こういう体験は今までありません(できません)でした。

そうして幾度も聴いて(流して)いて、あっ、と気づきました。ベート―ベンは、『ハイリゲンシュタットの遺書
(・・・・人との社交の愉しみを受け入れる感受性を持ち、物事に熱しやすく、感激しやすい性質をもって生まれついているにもかかわらず私は若いうちから人々を避け、自分ひとりで孤独のうちに生活を送らざるをえなくなったのだ。耳が聞こえない悲しみを2倍にも味わわされながら自分が入っていきたい世界から押し戻されることがどんなに辛いものであったろうか。しかも私には人々に向かって「どうかもっと大きな声で話して下さい。私は耳が聞こえないのですから叫ぶようにしゃべってください」と頼むことはどうしてもできなかったのだ。音楽家の私にとっては他の人々よりもより一層完全でなければならない感覚であり、かっては私がこのうえない完全さをもっていた感覚、私の専門の音楽畑の人々でも極く僅かの人しか持っていないような完璧さで私が所有していたあの感覚を喪いつつある、ということを告白することがどうして私にとってできたであろう・・・・)
を書いた後で、この正反対と思われる二曲を同時に作曲し発表したのですが、その意味が分かりました。知識として知っていただけで分かっていなかった意味が突如浮かび上がりました。

「運命」との闘いに勝利した後の「田園」による癒しと解放――新たな世界への旅立ち。

ケンペのまったくどこにも無理のない音楽的に豊かな演奏で聴くと、少し低く見られることもある「田園」が眩い輝きをもっていることが分かります。この「田園」は単独でも同曲中最高の名演ですが、「運命」と同時に聴くことでベートーベンの精神を追体験できます。得難い時間のプレゼント。みなさんもぜひ。

武田康弘

 

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