思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

第7回・武田哲学へのインタビュー 内田卓志 意味論抜きの事実学(パターン知)の累積は、死に至る病

2015-08-21 | 恋知(哲学)

武田先生、長くなりましたが、考えていたインタビュー内容を送ります。

第7回、武田哲学へのインタビュー            内田

第6回「ほんとうの教育」の続きです)



解答のパターンや型を覚える勉強から、「意味」を把握し、理解する勉強への転換が必要ということですね。教科ごとのコメントもありがとうございました。

今のような大学受験中心の勉強方法では、パターン知習得型の勉強は、変わらないようにも思います。今やこのような勉強方法は、中国や韓国にも影響しているようにも見えます。

また、日本オラクルの現場で武田先生の教育論が具体的にどのように活用されたかは、会社員として興味深いところです。

今の大学の現状は聞くところに、一層に企業人材育成組織となっているようです。大学の機能は、如何に会社に役に立つ人材を育てるかにあるのでしょうか?それとも社会に役立つ人材を育てることにあるのでしょうか?企業は、パターン知的能力を求めているのも事実です。そこを変えないと教育も変わらないかもしれません。

暗記力がすぐれ、パターン知習得型勉強法の標準偏差上位者を企業が求めるのです。つまり企業の人材採用も確率論なのです。そのようなパター知的標準偏差上位者をたくさん採用すれば、まずは外れが少ないということなのでしょうね。

さて、もう少し伺いましょう。私は、子供の教育現場のことは分かりませんので、会社員体験をお話しして、先生のご感想をお聞かせ下さい。私の経験上、会社員に求められている能力は以下のような能力があると思います。

管理職や営業職は除き、事務職・サポート職の例でお話しします。まず①として事務処理能力。②プレゼン能力。③企画立案能力。④リーダーシップ能力。その他というところでしょうか。特に①は基本的な能力で誰もが直面します。早く、正確に解答する。そしてアウトプットを出す人が評価されます。最近は電卓でなく、Excelを使ってのデータ作成やデータ分析が中心でしょうか。エンドユーザーコンピューティングとかいって、社員がパソコンを使って会社報告用のデータの集計やデータ分析を行います。

① は、最も基本的な能力で、これなくしてビジネスパースンは勤まりません。

そこで道具になるのは、パターン知的勉強方法で練習した脳と身体というところでしょうか?②もビジネス書を読むとパターン知で解決できるそうです。③以下は、ちょっとパターン知だけでは対応が難しくなります。そこで道具になるのは、武田先生が目指している意味を捉える勉強ということになると思います。意味など考えている暇があれば、早く正確に解答を出せというのが今の勉強の中心でしょうが、③以下には対応は困難でしょう。つまり、「いかに課題に対して問題解決をするか」という能力が問われます。本来は、そこを鍛え深める教育、その勉強方法が求められるのでしょう。

 私が京都フォーラムでお会いした、大学の真摯な先生方は、ジョン・ディーイのいった教育哲学(道具主義や実験主義など)の探求し発展させようと、真剣に子供と向き合っている先生も多かったです。

 江戸以来の実学を中心とする読み書きそろばんの知識は、ビジネスでは今でも一定の有効性があります。その強力な現代版がパターン知習得型勉強法でありパターン知習得型教育ということでしょう。ただ教育は、人生・生活に必要不可欠なものであり、教育の一部分を利用しているのが、ビジネスという行為です。それがすべてと思うのは錯覚です。生活の中での経済的な領域は、最も重要なことです。ただ、人生、生活は長く、経済生活を始め様々なことがありますね。いろいろな問題にぶつかるでしょう。おそらく、その時にパターン知習得型勉強をしてきた人と、意味論的課題解決型勉強をしてきた人とは、大きな差が出るのではと思うのです。如何でしょうか?

 

内田卓志

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内田さん、

 「武田哲学へのインタビュー」ー7回目は、自問自答になっていますので、お応えは不要~~(笑)

 もちろん冗談です。では、ハードでとても有意味な「式根島キャンプ&ダイビング」(第40回!)から帰りましたので、お応えを書いていきます。

 まず、現代の教育が大企業のビジネスに適合し、それなりの意味をもっているのならば、内田さんも言われる「生活では経済が一番大事」と符合するわけですから、このままで「よい」でしょう。大手受験塾が、「東大○○名!」と宣伝する教育が「正しい」のです。さすがは、駅前はどこも進学塾のニッポン! この路線で進めば間違いありません。

 だいたい、受験塾で頑張って東大に入ることに失敗した輩がウダウダ言っているだけのことで、彼らは負け犬ですよ。東大から官庁や花形大企業に就職して人々の上位に立ち、リッチな生活をしている勝ち組が羨ましいのでくだらない理屈を言っている。ソクラテス云々とか言ったって、実際の話、それだけのことでしょ。

 そのソクラテスは、「魂の吟味のない生活は、生きるに値しない」とアテネ中で振れ回り、ついに逮捕ー投獄ー死刑となったわけですから、世の中、逆らっちゃ、いけません。今で言えば、安倍総理など戦前(=明治維新政府のつくった「天皇現人神」時代)からのエリート家系の政治権力者には頭を垂れることが大事、というのがわがニッポン人の常識です(笑)。エリート家系に寄り添いたい人は、「日本会議」に入り、126歳の長寿を全うした神武天皇から125代続く男系男子の遺伝子万歳!と言わねばなりませ~~ん(笑呆)。

 逆説的なもの言いはこれくらいにして、では、ストレートに。
 確かに内田さんの言われる情報処理の技術知は、必要です。でも、それは、受験優秀校に入るための受験知で養われるのではありません。わたしの周りの子どもや大人を見ると、有用な情報処理や的確な情報アクセスができるのは、受験知で固まった頭の持ち主よりも、直観力に優れた人です。直観力は、豊富な直接経験(=心身全体での会得)を持たないと育ちませんので、現代の日本(韓国や中国も?)の教育は、どうもこの点でも的外れと思います。

 1990年の創設時から10年間の日本オラクル(株)で、初代社長の佐野力さんが、わたしのフィロソフィを役立てたのは(正確には、オラクル社長になる3年前・1987年の日本IBMの子会社・S&I社長の時から)ただの情報処理能力やソフィスティケートされた知力では、新たな世界を切り拓くには不足であり、役立たないと感じ知ったからです。それは、佐野さんの息子が「ソクラテス教室」に通って、わたしの教育思想と実践を知ると同時に、彼自身もわたしの主宰する「哲学の会」の熱心なメンバーとなり、書物での学習と共に、学校教育と政治の改革にも加わり、わたしの哲学と教育と社会活動を目のあたりにしつつ共に行動されてのことでした。

 話を戻しますが、内田さんが上げられた3と4は当然なのですが、1の技術的な知にしてすら、「何のため」を問わないパターンの仕込みでは、ほんとうの有用性は持ちません。「私」の人生における位置づけを欠いた技術知や意味論なき丸暗記は、人間を人間にしないために必ず知の堕落を招き、人間をダメにします。はっきり言えば、なにがしかの精神疾患者か昆虫人間(紋切型で生きる単なる事実人)しか生まない、ということです。

 ソクラテスは、「恋愛」(恋い焦がれる心)をキーワードにして自身の原理的思想を開示し、その営みを、〈恋愛+知〉という造語で現わしましたが、それが、ソクラテスによる造語=プロ ソピア(フィロ ソフィア)=「恋知」です。その営みを下敷きとして持たないと、「知」とは人間性にとっては何の意味もない「空中浮遊」に過ぎなくなります。現実とは人間の現実である限り、意味と価値=フィロソフィの世界なしには、【非現実】にしかなりません。

 ところが、ネクロフィリア的な傾向をもつ人は、空中浮遊している自身の知=単なる事実学の累積を強引に根付かせるために、ニッポンの伝統や皇室の連綿性という特定の解釈に基づく「物語」を自他に信じ込ませようとします。生身の人間の〈感じ・想い・考える〉ところにつく自然性とは異なるイデオロギー操作=洗脳行為をしないと、空中浮遊の知は消えてしまうからです。絶えざる洗脳教育・情報コントロールが必要になるわけです。五感・心身全体による赤裸々な世界の感得に基づく知とは縁遠い「宗教的」(国体思想)な知です。

 内田さんの上げられた2のプレゼンも、パターン知に基づけば、よいとされる雛形にハメられた言説に陥ります。既成の思考と言語使用の枠内でしか発想していない「優秀な」プレゼンでは、外形だけ立派で少しも面白くありませんし、深く人の心を打つことで新しい世界を切り開くことは到底不可能です。既存のラングに縛られない心、幼子や詩人のように「言語中心主義」的発想から開放され、想像力による自由で広大なイメージの世界に遊ばないと、新たな言説は生まれません。そこまで企業が求めているかどうかは知りませんが、そういうのびのびとした言葉、種々の囚われから解放された言葉・言説でないと、現実は動かないのです。

 最後に人間の生の原理を確認します。

 わたしたち日本人の多くがそう信じている「現実」(金、地位、学歴、資格など)が先にあり、理念やロマンの世界は二番目、という常識は、真っ赤なウソであり、それこそヒドク【非現実的】な人間の見方だということです。 この簡明な原事実が了解できないから、何をしようともいつまでも「人間を幸福にしないシステム」から逃れられないのです。

 ソクラテスの言う「恋する心の次元」(憧れ想う世界・理念やロマン)がないと、実務的で「現実的」といわれる世界(「恋しない心の次元」)は、意味付かず、価値を持ちません。人間の生にとってはじめにあるのは、「恋する心の次元」なのです。この憧れ想う世界を育てることがないと、人間の教育は「人間の教育」にならず、動物の調教や品質管理と同レベルにまで引き下げられてしまいます。そうなれば、人間性は元から消えるのですから、企業活動に役立つか役立たぬかというレベルの話ではなく、もうおわっていて、すべて論外です。


武田康弘


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