思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり」―ニッポン・文化帝国主義の刷り込みアニメ

2015-08-11 | 社会批評

下の記事(自衛隊の戦い賛美の広告)にある、『GATE-自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり-』のアニメを知らないので、検索したところ、優れたblogを見つけましたので、その後半の一部を転写します。武田


(クリックで拡大・写真は武田)

ヲタ論争論ブログ

 オタカルチャーと戦争 『GATE-自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり-』と文化帝国主義              2015.8-8

 いま、『ゲート 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』のアニメ放送がなされている。知らない人のために一応説明しておくけれど、ある日、銀座に突如現出した門をくぐって異世界からの侵略軍がやってくる。これを撃退した日本政府は、逆にこの門の向こうの「特地」に自衛隊を派遣することを決定する。派遣隊員となった主人公たちの異世界での活躍やいかに、というお話。

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 『ゲート』は先述したように、近代的な軍隊である自衛隊に対して、「特地」を残酷で野蛮な、そして未開な世界として全く不均等に描いている。これは軍事だけではなく、文化や技術、生活様式にしてもそうで、難民たちをはじめ「特地」の人々は現代日本の高度な文化、技術によって救済され援助されることになる。

 そのこと自体は異文化が衝突する際、よくありうる話ではあるけれど、留意しなければならないのは、『ゲート』においてこの不均等は極端に一方的なものだということだ。生活協同組合PXを設置して自衛隊員と「特地」の人々との交流が描かれたりなどするわけだけれど、「特地」の人々が自衛隊や現代日本の文化や技術に驚嘆し、賞賛し、また手放しで取り入れようとするのに対して、その逆は一切ない。

 現代科学を根底からひっくり返すような魔法や神霊の存在といったものがあるにも関わらず、自衛隊や日本側がレレイの魔法やロゥリィの宗教を入れることはないし、それに興味を示すことすらしない。「特地」の女性達は現代日本の服飾に喜び、特にテュカは普段着としても好むけれども、逆に栗林や黒川といった女性の自衛隊員達が「特地」の服を着飾ることは全くない。BLに女性騎士団がはまり、古田の振舞う料理に帝国皇子をはじめ「特地」の人々は魅了されるが、自衛隊員たちが現地の食事に驚いたりするシーンは一つもないのである。

 「特地」の異文化は、自衛隊や日本にとって軍事的オプションを是とし、または証人喚問にて福島(らしき)議員を黙らせる手段以上のものではない。或いは「特地」の獣人たちを「コスプレ写真集」として鑑賞する以上のものではない。

 これは「異文化交流」ではない。多彩なキャラクタ達が多数入り乱れて登場するにも関わらず、終始一貫、徹底して「特地」は時に武力発動をも許容する下位の存在であり、この構図は「文化帝国主義」そのものとしか言いようがないだろう。

  『ダンス・ウィズ・ウルブス』や『アバター』のように、近年のハリウッドでも強く意識されるようになった、「文化帝国主義」に対する批判意識、或いはポリティカル・コレクトネスといった視線は全く『ゲート』には存在しない。なお、自衛隊員である主人公を、テュカ(善良な市民)、レレイ(知識人)、ロウリィ(宗教)が囲んで「ハーレム」状態とし、ピニャ(王権)を立てて内乱に介入していく物語であって、要するにより直接的には傀儡国家をつくる植民主義的物語として読むこともできる。

  自衛隊を描いているからではなく、この物語の構造が侵略的でいびつなんである。

  この場合、自衛隊はむしろ軍事力という一つの道具立てに過ぎない。麻生氏や福島氏もその道具立ての一つであって、自衛隊やこれら政治家をも援用して、傀儡国家をつくっていく物語だということができる。

  そして、これは異文化交流をまともに描けないとか、気がつかないとかいった無自覚的なものではなく、恐らく作者においては相当に自覚的なものだ。そこまで首尾一貫して不均等な世界は描かれており、余計なものは一切登場させない。作者のサイトには「文化帝国主義反対」という言葉が掲げられており、この意味を知らないはずがない。ここにおいては、この作品はある種のプロパガンダと見なすことができる。

  当の自衛隊や麻生氏はそんなこと考えちゃいない、と激怒しても構わないわけだが、頭が痛いのは、このアニメに自衛隊そのものが協力して自衛官募集ポスターをつくったりしていることだ。

  多民族や全世界を相手にするハリウッドならいまや通らないような、古臭い、あからさまに自画自賛や文化帝国主義的な姿勢が見えやすいこの作品、発展途上国や現に自衛隊PKOに出ている諸国の人々からすれば、呆れるような代物じゃなかろうかと思う。むしろ自衛隊や日本の評判を落とすだろうことのほうが心配になってくる。「ジャパニメーション」は国策としてあからさまに文化帝国主義をすすめるものだ(だから先に進んでるハリウッドにゃ勝てないんだよ)とよく批判されるけれど、それをアニメ自身で体現してどうすんだという話である。

 

コメント
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