思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「勉強しなければ、だいじょうぶ」 という面白い題の本に触発されて。

2018-10-20 | 教育


 そう、勉強しなければ、心も頭も身体も狂いません。
勉強する人は不幸を再生産しています。イヤな人を増やし、悦びも楽しみも奪っていきます。自分をダメにするだけではなく、みなを不愉快にするのです。

 勉強しないことが大切です。いやなことに耐える、言われた通りにやり、意味のない丸暗記に精を出す、プログラムされて自分はなくなり、パターンあてはめの人となる。これでは意味充実の世界とはアベコベです。

 何から何まで「正しい」やり方に従わされ、自分の自分性は消えていきます。どんどん規格品のようになり、私は窒息してしまいます。勉強すると、権威ある者の世界に縛られて、自分で生きるオリジナルな人=健康な人を馬鹿と思うようになります。

 わたしの心身から生まれる関心、興味、わかりたいという欲望に促されて学習すれば、自分の生きることに結びついたよろこびの知がえられます。世界が広がり、気分は最高。学ぶこと、習うことは、人間味のある知の悦びです。

 規格・公式通りの勉強には、今の成果(テスト高得点)だけがあり、無味乾燥のツマラナイ世界、何の役にも立たない知に埋もれて、人間は人間でなくなります。点数取りマシーンになります。競争を最大の価値とする魅力のない存在に堕ちていきます。それを天才!?というのでは、お笑番組です。

 納得する、腑に落ちる、という得する学習は、自分の頭を使うことで得られます。あてはめやパターンを仕込まれた機械頭は、このほんとうの知の学びを嫌い、あてはめで答えることに快感を覚えるまでに逆立ちしてしまいます。意味に満ちた人間的な知は、「勉強」ではなく、自分の頭を悩ませて考える「学習」によって育ちます。

 わたしは、筋力トレーニングやストレッチを生活に組み込み、自分のやり方で、自分が気持ちよいようにしてきました。誰かにやらされたことはなく、自分にフィットする方法と程度で続けてきましたが、知も同じです。競争はしないで、納得を目がけるから、どこまでも進みます。権威者に従わないから、目が曇らず、意識はいつまでも透明です。

 勉強をやめ、のびやかに自由に自分から始まる学習を始めましょう。おとなも子どもも。


武田康弘

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