思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

昭和天皇も政府も軍部も、最後通告の『ポツダム宣言』を無視し、原爆投下の後でようやく受諾。『明治がつくった天皇という記号』は必読。

2020-08-15 | 芸術

 75年前、主権者を天皇とした「大日本帝国憲法」の下、日本は、中華民国と英国とアメリカ合衆国による『ポツダム宣言』を受諾し、無条件降伏=完全敗北をしました。

 最後通告の「ポツダム宣言」を、昭和天皇も政府も外務省も軍部も無視して返答をしませんでしたので、アメリカ軍は、13発の原子爆弾を順次落とし、ポツダム宣言に記載された通り「日本全土を壊滅させる」作戦をはじめました。第一弾を広島に、第二弾を長崎に落としましたが、ようやくそこで、「ポツダム宣言」を受託し、敗戦となったわけです。

 明治維新(1869年)いらい、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦参戦、シベリア出兵では一番最後まで執拗にロシア革命に干渉し、満州事変から対米戦争までの15年戦争(まる14年間、手も足も出ない状態になっても続けた)という戦争の連続に終止符が打たれたのは、全面敗北による1945年でした。70数年間の皇軍の戦争。それからまた75年が経ちます。

 近代日本は、後期水戸学をもとにした明治維新政府のイデオロギー=近代天皇制と呼ばれるものにより運営されました。それは、江戸時代までの日本の伝統を壊してつくった天皇を神とする国家宗教です(=国体思想=靖国思想=国家神道)。いまの言葉で言えば、カルト宗教ですが、誰か個人がはじめたカルトではなく、政府がつくった国家カルトでしたので、全国民はその思想のもとで生きることを余儀なくされたわけです。

 いま、何よりも必要なのは、その正体=ありのままの姿を明晰に意識化することでしょう。
そのために「明治政府がつくった天皇という記号」は必読と思います。ネットでも読めますので、ぜひご一読を。
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