思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

こどもへのワクチン接種は狂気の沙汰。金儲けに狂った鬼たちを退治しないといけません。武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員)

2021-11-24 | 芸術



こどもは、ほとんどコロナには罹らず安全で、重篤者も死者も20歳未満は一人もいません。0名です。

事実としてかつてなく安全な流行風邪です。

それでも、危険性があり治験中のワクチンを打たせる「親」がいるなら、地獄堕ちは間違いありません。虐待の最たるもの。

それにしても製薬会社および利害関係を一つにする医療関係者官僚政府のあまりの非人間性には、これ以上ない公共的怒りと憤りを持ちます。

許し難い行為で、これほどハレンチな存在にまでなり下がるとは、ホモ・デメンス(狂気を付与された動物)を経験次元で現実化した最低の存在です。

理性のある人は、断固として反対し、こどもへのワクチン接種をやめさせなくてはいけません。

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員)

Taechang Kim
先ず中正正樹さんの <悪と全体主義>を提示することによって
何を言いたいのか、その本の何処のどういう文言が武田様の言いたいこととつながるのかがよく分かりません。武田様のご
意見は文献知ではなく直感を基軸にする体験知
であるところに
特徴があると思ってるんですが違いますか?
ですからどっちなのか明確にしないと議論する
問題点が何なのかハッキリしないのです。武田様のコロナワクチンに対する考え方ですか、それとも中正さんの本の悪と全体主義のことですか。わたくし自身は日本人関心
共有者たちと日韓生命開新実学
という新たな哲学を共同創発することに専念しtりるので、それも日本人の思想-哲学の良き遺産を大事にしながら同時に韓国人の思想-哲学の良き遺産も日本人の方でキチンと理解を深めるという心遣い
を交換しながら
進めているわけですからそれとは別の議論に深入りする余裕がないのです。わたくし自身はどうしても日本に行って日本人関心共有者たちと
直接お会いして
話し合いをする必要があり、そうするために、日韓両国の法的
政治的規制に従うしか他の方法が全無であるという現実を無視できないのです。そういう逼迫した活動の条件の正否を議論
しても今のわれわれの課題解決
に役にたたないのでその議論は
武田様のような
方々に継続して頂いたほうがより有効だと思うんですよ。しばらくはわたくし自身の日韓生命開新実学の土台
構築に専念したいのです。
武田 康弘
わたしは、原理的な思考を踏まえて、切実な現実問題に応答することは、哲学の社会的使命だというサルトルや竹内芳郎の思想を受け継いで、それを一般化し普遍化して徹底させることに精を出してきました。
そうでなければ、哲学は生活世界から切れた学的世界になり、学知が生活世界の知を上回るという逆立ちを起こします。
それではマズイというのが、わたしの具体的経験=体験が教える考え=確信ですが、そのことをフッサールが強調してることを30歳代になり知り、我が意を得たりと思いました(「ヨーロッパ諸学問の危機と先験的現象学」)。
ブッダの思想と実践もそうです。
それはもちろんわたしの考え方=生き方ですので、Kimさんの生き方=考え方は理解しました。OK!
 
  • Taechang Kim
    要は今のわたくし自身の問題関心は自分のことよりは史上最悪
    と言われている
    日韓関係の現実をキチンと踏まえてそこから脱出し日韓相互の
    市民主導のより良き未来を共に
    開くことに知と
    情と志を総動員する哲学対話の
    推進に全力投球
    中なのです。そっれがわたくし自身の "老哲開新"の生活実践
    なのです。公共
    する哲学対話運動を一段落し、その更なる発展は若い世代に手渡し、東アジアの共通価値を共に探るという課題の共有をもとに日韓対話を交わしその成果も
    一応出版物として公開されているので、この3-4年は日韓両方の社会-経済-
    政治的緊急課題
    である少子高齢化を中心に日韓老年哲学対話を
    終えてそれも書籍の形で公にしました。そして
    最後の仕事になるかも知れない
    けれど、日韓生命開新実学の基礎構築に取り組み始めたのです。反日即愛国
    という文在寅政権の反日ムード
    の強化が激しい
    韓国のなかで日韓哲学対話を続けるというのは
    そんなに簡単な
    ことではないのです。
     
    •  
      武田 康弘
      Kimさん、日韓問題はやっかいでしょう。
      わたしは日本の問題は、明治政府がつくった(捏造した)天皇という記号こそ、最大で最深だと強く深く確信しています。
      『明治政府がつくった天皇という記号』(ネットで無料配信)
      それを糊塗するようなデタラメな言説が、福沢諭吉を民主主義者に仕立て上げた丸山眞男で、いまなおその路線です。福沢諭吉の本も読まないで語るから間違えるので、知的退廃そのものですーああ東大病。
      全集は、シナと朝鮮に対する差別と侮蔑と西洋化こそ当然と言う言葉で溢れ、「奪ってしまい日本が温まるのに何の遠慮があるか」とうようなスサマジイ言葉=思想の羅列です。戦争ー拡大路線を思想的に支持したのは諭吉なのは明白です。それさえ知らないで~~(呆)。
      天皇現人神の天皇教思想=国体主義を哲学レヴェルで批判・検討しないといけないのに、いまの日本史の教科書も、「天皇中心史観」(天皇という言葉が日本にあったのは平和初期の村上天皇までと江戸末期から現代まで都合500年あまりでしかない)に侵されていますが、これは水戸学を受け継いだ吉田松陰とその生徒たち(恐ろしく暴力的な維新の獅子たち)による日本史改ざんの影響を強く残すもので、最近になりようやくその見直しが始まったのです。
      わたしは、日本人(父方は愛知の西尾で母方は東京の神田)ですが、あまりのウソの山に辟易しています。今年が日本史最大の変革から800周年であることさえ学校は教えずマスコミは伝えません(ただ知らない=無知)。
      幕末からの歴史などは空想マンガのレヴェルで、明治政府が開国したなどと正反対のことを信じているのが大多数の日本人で、口あんぐり状態(笑・哀)。靖国神社とは神社ですらなく、明治政府がつくった新宗教の本山であることを知る人は少数派です。
      キリがないのでやめます。また。



コメント (1)
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