思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

なぜ原爆が落とされたの?「日本全土を壊滅させる、遅延は一切認めない」を無視した天皇、政府、皇軍。

2022-08-08 | 社会批評

なぜ原爆が落とされたの?
「ポツダム宣言」には民主化と武装解除を受け入れなければ、日本全土を壊滅させる、遅延は一切認めないと書かれていますが、
政府も天皇も皇軍も完全に無視しました。なぜ高校の教科書にもポツダム宣言が載っていないの?最重要文書なのに。


1975年テレビ報道 「原爆は戦争中のことでもありやむをえなかった」と言い、その後すぐに笑いを取る発言をしたのは、
昭和天皇 裕仁。これが許されるのでしょうか。広島、長崎の方、怒らないのでしょうか。クリック



Kazuko Uno Nakagawa

恥ずかしながら、勘違いして覚えていました。
トルーマンが試してみたくてしょうがなかった原爆も、即座に受諾していれば避けられたのでしょうか… 悔しいです。
受験用の暗記重視の歴史から、より真実を、生活のためになる政治経済や倫理宗教の授業が必要かと…
 
武田 康弘
日本軍は、開戦半年後のミッドウェー海戦での敗北以降は、もう勝ち目のない戦争を続けました。日本は、全面戦争を長期にわたって行う体力=経済力はなく、4年にわたる戦争は、悲惨そのものでした。兵士の多くは餓死で、補給路もなく戦争にもならない戦争を続けました。

では、なぜそのような無謀が可能だったのでしょうか?

戦前の日本の学校教育は、毎日毎日、【天皇の肖像への最敬礼】からはじまり、日本は【神武天皇から2600年続く天皇国=神国】である、と教え込まれ、みな信じていました(NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のラストで描かれる承久の乱=朝廷の無条件降伏・全荘園の没収・後鳥羽上皇他5名は遠島で結局終身刑、その後に北条政権で日本は法律に基づく政治へと進んだという事実はいまようやく皆のものになりつつありますが、誰も知りませんでした)。

明治維新政府が作成した天皇教という国家宗教の下に学校教育は行われ、日本人は世界のどこにもない現人神を頂く国となったのです。長州藩の藩金を横領して英国に渡りリアルを知り仰天した伊藤博文は、欧米の強さの秘密を一神教(強い宗教)にあると見ぬき、帰国してからは皇族を用いて疑似一神教を作成し、生きている神による国民統合を実現しました(いまのカルトですが、それを国=政府が作ったわけです)。彼ら維新の先生格だった福沢諭吉は、最初は天皇を神とする宗教に国民はついてくるはずがないと見ていましたが、政府の強い意志は、すぐに国民を感化して天皇教を受け容れるようになるのを見ると、諭吉も天皇現人神を称揚し喧伝するようになりました。

神国日本は、世界でもっとも長期に続く偉大な国であるという誇りを抱く国民は、連戦連勝、明治維新の基本方針の「正しさ」は揺るぎないものになったのです。日清、日露、第一次世界大戦の勝利(ロシアとの戦争は形だけの勝利だが)。
その後は、シベリア出兵(8か国連合でソビエト革命を倒そうとしたがトロツキーが組織した赤軍に敗退)、満州事変から第二次世界大戦に続く泥沼戦争ですが、日本軍は皇軍と呼ばれ、天下無敵の神話により戦い続けたわけです。

そのために、沖縄壊滅(住民の四分の一が死亡)、硫黄島全滅、東京大空襲で首都は焼野原、全国の街が焼夷弾で焼かれる、もう手も足もでない状況になっても白旗をあげませんでした。負けたら白旗が当然ですから、こんな戦争は他国は経験がありません。「一億玉砕」という狂気のスローガンを掲げて戦う神の国・日本には、常識が通用しないのです。

そういう説明しがたい状況にあって、不可侵条約を破りロシアの参戦(トルーマンがスターリンに要請)し、ありえない全滅作戦、落とす場所が決められて13発の原爆が用意されての開始、2発でおわったのは、長崎の次をトルーマンがためらったので延期されたからですが、15日に無条件降伏がなければ、再開された可能性が高かったのです。帝王学を身につけて天皇家の存続を第一に考えていた昭和天皇裕仁は、原爆の威力を知り、ポツダム宣言を受け容れなければ天皇家もろとも日本が終わることを知り、敗戦となりましたが、玉音放送では、戦後の日本の方針=米英と中国・アジアへの態度、兵士と一般国民との区分けを明瞭にして、差別を行なっています。よく考えられた現人神の言辞です。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする