哲学の土台=倫理について
分かりやすい例を出してお話します。
誰でも、友人や仲間とは、対面しての対話をするでしょうが、齟齬や行き違いが生じた人とは、とくに対面での(少なくとも電話)での対話は不可欠です。
文字(メールなど)でのやりとりでは、ますます拗れることが多いのは、活字では左脳ばかりになりますので、言葉はかえって誤解や溝を広げる結果になるからです。文字だけからの印象は人による違いが大きいので、あべこべの伝達になってしまうこともあります。
時間を合わせて、対面で話すのは、人間が生きる上で一番大事な「倫理」の実践といえます。生身の人間と人間の話・応接は、生きる者同士が、対等で自由な存在として交わることですので、倫理そのものです。
それを避けるのは、自分の言動に負い目があるからで、自己存在から逃げることになります。自他の存在を見つめるのが哲学=人間的生の大元ですから、逃げたら元からおしまいです。自己だけの倫理的誠実とは、ありえないことで、生身の他者との交わりがなければ、自閉症にしかなりません。自己存在の認識とは、厳しい他者の目に曝されなければ無価値ですので、自分の思いや考えと違いがある者との対面対話が必須で、それが倫理の根本です。
一例をあげれば、言語学の天才といわれるノーム・チョムスキーは、世界の良心と目されていますが、95歳の現在まで絶えず対面での対話を続けてきました。若者とも思想界の大御所とも厳しく対立する人とも、です。1対1で、あるいは数名、数十名とでも。対面での直接対話を驚くほどの時間と労力をかけて行ってきたので、説得力が桁違いに大きいのです。
それが倫理価値の根本です。人が人として生き合う土台が倫理です。