哲学するとは、過去の哲学書を読むことではありません。
哲学するとは、日常のさまざまな体験を流れゆくままにしないで、「私」にしっかり根付かせること=意味づけ・価値づけを行う意識の働きを活発にすることです。
事実について知ることではなく、物事・事象についてその意味と価値を考えること=「私」が生きる上でそれらはどのような意味と価値があるのかを探り創る知的作業を哲学するといいます。「探る」という分析と「創る」という価値を見出す作業が融合した能動知なのですが、それは、意識せずとも誰でもが日々、していることです。
しかし、事実学と技術知ばかりの現在の日本の知的環境の中で、大学で哲学を講じる教師を含めて、この哲学の本質についての明晰な認識がありません。哲学は、特別な知識や技術とされてしまい、一つの科目としての扱いしか受けていなの現実です。
カオスー混沌の時代こそ、自覚的に哲学することが必要です。それは、何よりも深く「私」を活かし、豊かな悦びをもたらす能動知の営みなのです。
武田康弘