以下は、クルレンツィスとムジカエテルナ、コパチンスカヤの2019年日本公演のチラシにある音楽学者・伊藤信宏さんの言葉です。とても同感なので、書き写します(改行は武田による)。
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異界とのコミュニケーション”!?今一番危険な音楽集団!
クルレンツィスとムジカエテルナは、今一番危険な音楽集団だ。
彼らは、ルーティン化した音楽界の制度に背を向け、ヨーロッパとアジアの境界の謎めいた都市(ロシアのペルミ)に引きこもっている。そして昼夜の区別もなくなるような徹底したリハーサルを続け、途轍もない切れ味と、天上的な美しさをもった演奏を生み出した。
それはヨーロッパの主要都市で投げつけられ、炸裂した。多くの聴衆が怒りだし、そしてもっと多くの人々が強く魅せられはじめている。
この先、これまでの多くの「コミューン」がそうだったように、グルの力が勢い余って自壊するかもしれないし、あるいは時とともに硬直していくかもしれない。だが、今のところ彼らの勢いに翳りは見えない。彼らのチャイコフスキーは、ストラヴィンスキーよりも荒々しい。それはかつて音楽というものが持っていた、異界とのコミュニケーションという役割を思い出させる。
もし自分が十代の若者だったら、今すぐ家出して、ペルミに飛んで仲間にいれてもらうだろう。もし自分が絶世の美女だったら、グルーピーになってクルレンツィスを追い回すだろう。もし自分がビル・ゲイツだったら、私財を投げ打って彼らのパトロンになるだろう。
でも今のところ、私は彼らのCDを繰り返し聴き、そして演奏会があれば聴き逃さないことで我慢するほかない。彼らの演奏を前にして、それを聴くことしかできないなんて、なんて歯がゆいことだろう。 伊藤信宏(音楽学・音楽評論)
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イデアという概念に基づく「フィロソフィー」(ソクラテスの造語で「恋愛」+「知」)を生んだ古代アテネ、わたしは、はじめてクルレンツィスを知ったとき、彼を「古代アテネからの使者」と呼びました。
行動に駆り立てる強烈な音楽、目がつぶれるような眩い光輝で、音楽のイデアを直接見る想い。「怖い」までに根源的ですが、深い人間愛を感じます。一人ひとりの精神的自立を奏者にも聴衆にも求めるクルレンツィスは、かつての全体主義のようなマスの名演奏とは著しく異なり、『個人』がキーワードのデモクラシーの音楽です。21世紀のルネサンス=人間復興の世界革命のようです。国家や権威ではなく、個人=人間のイデアが圧倒的なパワーで迫ります。 武田康弘(フィロソファー)
武田康弘