ソクラテスは、ソフィストと呼ばれた人たちの言論・弁論術(ディベート)を否定しました。
そこからフイロソフィー(恋知=哲学)が誕生したのです。
「勝ち負け」の言辞行為ではなく、「自我の拡張」の言辞行為でもなく、「アイデンティティー補強」の言辞行為でもない。
そうではなく、「なにがほんとうなのか?」を目がけての問答的思考法による対話が求められる、というわけです。それが「よく・美しい」生に憧れる恋知(哲学)の営みです。
人間の生によきもの・美しきものをもたらす何よりも大切なエロースの営み、それが「恋知対話」ですが、それを可能にするためには、互いに自分自身を開き、誠実に、正直に語り合うことが条件になります。目がけるのは「真実」であり「勝負」ではありません。
このような開かれた思想と実践であったので、ソクラテスの問答法による恋知は、宗教も主義も、国も時代も超えて普遍的な営みになったのです。
わたしは、狭くエロースに乏しい「ディべート」ではなく、善美をめがける「恋知」(哲学)の営みを習慣づけたいと思っています。
武田康弘