思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「ディベート」は有害な言辞行為です。「恋知=哲学的対話」をしましょう。

2010-03-29 | 恋知(哲学)

ソクラテスは、ソフィストと呼ばれた人たちの言論・弁論術(ディベート)を否定しました。
そこからフイロソフィー(恋知=哲学)が誕生したのです。

「勝ち負け」の言辞行為ではなく、「自我の拡張」の言辞行為でもなく、「アイデンティティー補強」の言辞行為でもない。

そうではなく、「なにがほんとうなのか?」を目がけての問答的思考法による対話が求められる、というわけです。それが「よく・美しい」生に憧れる恋知(哲学)の営みです。

人間の生によきもの・美しきものをもたらす何よりも大切なエロースの営み、それが「恋知対話」ですが、それを可能にするためには、互いに自分自身を開き、誠実に、正直に語り合うことが条件になります。目がけるのは「真実」であり「勝負」ではありません。

このような開かれた思想と実践であったので、ソクラテスの問答法による恋知は、宗教も主義も、国も時代も超えて普遍的な営みになったのです。

わたしは、狭くエロースに乏しい「ディべート」ではなく、善美をめがける「恋知」(哲学)の営みを習慣づけたいと思っています。


武田康弘




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