思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

受験塾は、紋切型頭=人間しかつくらない。 内部から湧出するパワーを持たず、「わたしの頭」ではない。

2022-05-11 | 芸術

受験塾は、紋切型頭=人間しかつくらない。


アインシュタインは、学業成績はよくなく、
複数科目で赤点、ギムナジウムを中退した。


受験勉強は、紋切型頭=人間しかつくらない。

言い方を変えれば、機械頭であり、二次元頭であり、白黒頭だ。
多層性をもたず、内部から湧出するパワーを持たず、「わたしの頭」ではない。

受験塾とは、そのような頭に変える施設であり、頭=人間から色を消してしまう。

フッサールの言葉だが、「事実学は事実人しかつくらない」。

いまの学校知は、身体知、感じ、想うという人間的頭脳の中心であるイマジネーションを育てず、言語中心主義=言葉の暗記中心の堅苦しく息苦しい知だ。

意味論≒本質論のない事実学の累積は、特定パターンを仕込むことで人間的な頭脳を破壊してしまう。だから「優秀者?」ほどたんなる「事実人」(犬やサルではなく事実として人であるに過ぎない)に陥るのだ。「東大病」

水面下を見ること、地面を掘り進めること、内的意味充実の世界を拓くこと、多色で広がりゆくイメージをもつこと。自由自在に羽ばたくこと。これらのもっとも重要な人間的頭脳を破壊し、灰色で単線的で色艶のない頭=人間を製造するのが、受験主義の勉学であり、受験塾である。受験塾が大手をふるう日本に未来はない。もうおわり。

哲学(ほんらいの訳語は「恋知」)も沈思と内的自己の開発を礎とするのではなく、「言語ゲーム」という趣味の世界に陥る。

 

武田 康弘

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