思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

人権なんてないんだよ。おぞましい日本という国家。強制手術の実態が次々と明らかに。

2018-05-17 | 社会批評

安倍首相の思想ブレーンの中心者である八木秀次 麗澤大学教授は、『反人権宣言』(ちくま新書)を出し、

「欧米のつくった『人権』に日本はなじまない。日本人は人権という言葉に怯えずに、国民の常識に戻るべき」 と言いますが(安倍晋三と八木秀和は、それを国連で演説すればよい!)、

わざわざ書かなくとも、とっくの昔からオゾマシイ人権無視が、自民党+官僚王国の特徴です。それでも自民党に投票するのでは、みな同罪で一蓮托生。

次々と明らかになる凄まじい強制避妊手術の実態に、公共的憤りが湧き上がります。民主性・民主政・民主政はありません。

 (※人権思想の淵源は、宗教(一神教)や哲学(理論体系の哲学及び人生哲学)ではなく、幼子の存在です。武田康弘

今日の東京新聞・夕刊

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 二つの国体(菊と星条旗)論... | トップ | 2017ザルツブルク=「レクイエ... »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
人権思想の淵源 (武田康弘)
2018-06-06 23:02:01
言わずもがなですが、「人権なんてないんだよ」はもちろん揶揄です。

わたしの人権思想は、以下です。日本語版と英語版があります。

http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori177.htm

返信する
江戸時代の日本は野蛮人の国ではない (mars)
2018-06-06 02:37:07
仏陀は人権とか説いてないよ。インド沼は深すぎるのでホドホドで留めてますが仏陀はありのままの世界を受け入れる事しか言ってない筈です。日本の大乗仏教はこれをいい具合に受け入れて人間至上主義を超越に成功しました、全てが縁で繋がり助け合う考え方です、アフリカで言うウブンツです貴方には蛮族にしか見えないでしょうがそういう「別のルール」がありました。
ギリシア哲学というか哲学は内容の割にやたら量ばかりが多いので後回しにしてるため不勉強で申し訳ないのですが、イエスの教えは赦しにあります、権利とかガーガーがなりたてません、謙譲に始まりますが結論の前に磔刑に処されうまく意志が伝わりませんでした、弟子の解釈は概ねなんかズレてますが仏教でもこの現象が起こってます。
法と「権利」の概念を宗教として取り入れたのはムハンマドです、イエスのやり残したことを継ぎました(と天啓で言ってる)。イスラム法の基本精神は寡婦と子供の保護です、徹底しています。しかしながら世俗派と反知性主義者がけったいな哲学的イデオロギーを捻じ込んだ原理主義を標榜し、女子供を爆弾にする邪教に改変しました、大誤算ってやつです、この後「権利」ってやつは宿命的にこの問題に苦しめられていきます。
全体が有機的に環として繋がっていた日本の「和」を完全否定し、列強に追いつくために人権も含めて何か凄そうなモンを全部突っ込んだのが明治の国体です、薩摩と幕臣を排除し長州の斬られ損ないが継ぎはぎで作ったので雑な出来でした、この後少しずつ修正されていきますが戦争でまたぐちゃぐちゃにされて行きます。

面倒ですがこれが前置きです。
断種政策が「戦前の全体主義をひきずるもの」というのは確かに合ってますが、問題は新たに「人権」の再輸入をするさいに更に弱い立場の人が切り捨てられたことです。
「謝罪と補償」といいますが、そっぽ向きながら謝る恰好して相手の口に札束突っ込む行為なんざ誰が喜びますか。
「開き直ってる」んじゃなくて幼子総理は本気で知らないだけで無邪気に少年の主張してるだけです、官僚はそれがおかしいと知ってても人事権を掌握されてるから口出したらクビです。
努力以前に状況が判ってなければ意味がありません、強制手術の明かになった実態は周囲から浮いた人間をノイローゼになるまで追い詰めて指針病院に突っ込んで断種ノルマを達成するという「ソ連式」という事まで判明しました。
炎上させて暴露させて歴史のピースを埋めるのが重用です、当事者には辛いでしょうが愚行を繰り返さないためです。
あと「反人権宣言」とか突っ込みどころしか無いでしょ、維新150周年とはしゃいでいるその時が不完全だろうが日本の「人権元年」です、自己否定です、でなきゃ脳内ファンタジーの歴史年表が存在してしまいます。
でも「人権なんてないんだよ」も「反人権宣言」と同じロジックって判りますかね?無いものを持ってきた事が無かったってゼロのゼロ乗なんですけど?言ってることアベと一緒。
返信する
人権思想を前に進める (武田康弘)
2018-05-22 23:19:06
marsさん
きちんと整理してから発話されないと、応える側は困ります。

ます、「人権」の考えは、大元はブッダやソクラテスの哲学思想でありイエスの宗教思想です。わたしは、幼子への愛に人権思想の基盤を置きます。

日本の戦後の官僚政府による強制手術は、戦前の全体主義(天皇現人神の国体思想)を引きずるものですが、それは欧州の優生思想にも見られます。しかし、その問題を指摘されたとき、非と罪を認め、謝罪と賠償に精を出す欧州と、開き直る日本とでは天と地の開きがあります。

いまなお、『反人権宣言』という本が首相のブレーンから出され、著者の八木秀次は官邸から特別にとりたてられている事実は、恐ろしく重たいのです。課題を前にむけて解決する努力なき人間は、愚か者となります。

返信する
フェミニズムとファシズム (mars)
2018-05-20 14:43:24
源流は女性解法運動とそれに付随するファシズム。
女性の身体性の解放=男女平等というスローガンで優性保護思想が推し進められファシズムが後押し。
ファシズムが滅んでも「男女平等」社会主義思想の元でしぶとく生き残り「女性の人権」の名の元に子供と障害者は切り捨てられて行った、声をあげられない本当に弱い者に人権思想は冷たいもんだ、仕方あるまい…声を上げられない者、考えを言葉に出来ない者は「人間」と認めて貰えない、人間至上主義の実現は「人間の定義」を縮小することから始まる。
官僚主義の問題は「駆除対象」が殲滅されてもノルマが残って居たので手当たり次第に堕胎手術を強行、さすがに世間様にも角が立った。これで問題が表面化した。
問題は何処だ?表立ったから?
戦後民主主義のせいなのか?戦前の軍国主義のせいだってって日付みりゃ戦後でしょう?
男女平等の女性解放運動に問題は無かった?
原因は単純、「力の論理」だ。
強い者が弱い者を虐げる、光の当たる世界で強い者が人間賛歌を高らかに歌い上げ人生を輝かすその脚元では声を上げられない醜い地虫が踏み躙られてるんだ。
動物や草木石水雲の声の聞こえない人に人扱いされない人の意志を知るのは難しいというより無理だと思います、まず会話が成り立たないですから。
結果、「保護」と称して「人間」としての「幸福を強制」したらこうなった、そしてノルマをこなすために意思疎通可能な人にまで強制したら「問題に」なった。まさに要らんお節介。
さてでは…
「国民の常識に戻って」を思考してみたら。
幕末には福助さんのモデル「仙台四郎」さんのような人物が居ました、障害者も人として認められて居まし…た?
周りの皆が優しかった、一種のシャーマンとしての役目を果たしていた、人権思想とは別の道徳(?)が有った。
それなりに民間伝承は調べてるんですが正直な所正解がどの辺か分かりません、この時代は一方で子供を間引いたりしてる社会ですしそれなりの名家だから余裕があっただけかもしれません、史料の解析が待たれます。
ただこれだけは言えます「国民の常識」という定義は「完全な虚構」です、幕藩体制といえ薩摩と会津で言語が通じないほど「外国」です、文化もバラバラで「常識」は成立しません。階級ごとに文化も違う以上「国民の常識」は無い。
てんでバラバラの人の意志と天然自然の理をシャーマンが繋いでいたのが本来の神道だったのですが、それを破壊し不完全な西洋思想に合わせてそれを再編したのが国家神道でした。
見切り発車で「人権思想」をねじ込んだ明治が始まりました、大正時代にようやくものになった所で戦争で崩壊。
「人権なんてないんだよ」は言い過ぎです、皆が「良かれ」と思って「人権大国」を目指した結果です、何を言ってるのかさっぱりでしょうがそれがわかるならこんなことにはなっていません。
義憤にかられる前にまず歴史を紐解かないと同じ過ちを繰り返します、人間は愚かです、人間主義は誤りです。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会批評」カテゴリの最新記事