わたしが、何かするとき、
わたしが、何かを選ぶとき、
わたしが、何かに頑張るとき、
わたしが、何かに夢中になるとき、
それは、わたしが「好き」だからです。
好きでないのに、何かをする場合は、義務・強制であったり、金を儲けるためであったり、地位や名誉を得るためですが、
それは、もちろんよくないことです。
現実の人間の生は、好きでないことをしなければならない場合もあります。
でも、ほんらいは、好きだからやるのですし、それが健康・健全な心・精神を育てます。
今までの社会、今までの大人は、効率第一という思想を仕込まれているために、不健全を当然と思い込んでいます。
好きを抑圧してしまえば、人間性のよさはどんどん減ります。歪みます。
だから、子どもから大人になるに従い、ツマラナイ存在に堕ちていきます。
いつまでも子どものよさを持ち続ける大人は、ほんものの人間です。
それを恋知者(哲学者)と言います。
好き、恋、愛、がなければ、すべてなし。
知との恋愛というのがソクラテスが造語したプロソピア(フィロソフィー)の意味です。
ソクラテスの恋知者(哲学者)の定義は、「知を求め、美を愛し、楽を好み、恋に生きるエロースの人」(プラトンによるソクラテスの対話編『パイドロス』)です。
学も知も「好き」でなければ、成り立ちません。内側からでないと、すべて歪みます。
武田康弘