金持ちや、高額年金を受け取る人や、権力保持者のために政治があるなら、それは、元からアウト。政治は社会的弱者のためにあるーこれは民主主義の原理です。
政治は、この社会から大きな利益をあげている人たちや、得なポジションにあってリッチな生活をしてる人や、権力者など有名人の家系に生まれ、何不自由なく生活している人のためにあるのではないのです。
リッチな生活をしている人は、税をよく払い、また、よく寄付をして、公共社会に貢献する、それが基本にして絶対的道徳です。そういうことしないで貯めこんだり、贅沢をするだけの人には、天罰が下ります。実名はあげませんが、わたしは多く見てきました。
これは政治の常識であり、いまさら言うべきことではありませんが、明治維新の極めて過激な人々の末裔が政治の表舞台に立ち、マスコミを通じて人々を支配しているいまの日本は、ニューヨークタイムズ・元東京支局長の言う通り、「これほど酷い民主主義国は見たことがない」というほかありません。
正しいことを誰にも遠慮することなく言う山本太郎や、辻元清美などが、ふつうの政治家であり、権力やお金をもつ人や大きな団体に気を使い=忖度し、形式的にだけ「正しい」ことを言うような堕落した政治家にはほんとうに吐を気もよおします。彼らは、自分の名前(それなりの肩書と名声)とお金のために生きていて、「うまい職業」としての政治を仕事にしてるだけのこと。
テレビ番組のように、右派、保守派提供、少しはましな保守派提供、お堅い左派提供・・の番組制作者に過ぎず、言葉の上では対立していても、同じテレビ放送維持のお仲間です。山本太郎のいう通り、みんな仲良く永田町!の住人で、民衆支配のテレビ番組のそれぞれの提供者でしかなく、そこからはみ出た者はテレビには出さない(ああいう変な人、過激な人は排除が当然だよね~という共通了解で一致・笑)。
この与野党でつくる暗黙の了解は、山本太郎の出現で、とりわけ重度障害者の当選で、激変しはじめました。社会全体が、わたしの身の周りまで一気にプラスの影響が出はじめ、ふつうの人々の意識が急激に動きだしています。
山本太郎こそがほんとうの愛国者ではないか、と思います、ウヨクの狭い愛国主義=明治維新がそれまでの日本の伝統を暴力的に断ち切って拵えた過激な日本を伝統とするあまりにも愚かなニッポンイデオロギーから目を覚まさないと、愚かなまま人生を終えてしまいます。根源的な不幸です。
籠池夫妻のように、騙されていたことに気付き、過ちを反省して、よい考えに基づいた行為ー生活に転回しないと、いつまでも「ウヨクイデオロギー 内 人生」が続きます。それでは人生の失敗というほかないのです。
政治は、金持ちや成功者や権力者のためにあるのではなく、社会的弱者のためにあるのです。金持ちは、自民党に寄付するのではなく、社会にお金を還元すること。それが基本的にして絶対的な道徳です。わたしは、愛の教育(はみ出すくらい愛を!)のために全財産を使ってきましたが、使い過ぎて、もうありまん(これはやり過ぎ・笑)
武田康弘