思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

まるで罪人―テレビ朝日などのTVニュース、恐ろしい「現代の魔女狩り」

2010-04-27 | 社会批評
まるで犯罪者でもあるかのような報道、小沢憎しで一致するマスコミは、小沢氏を悪者にする報道を1年間も続けてきましたが、それによりわたしたち市民は、小沢氏がまるで罪人でもあるかのような錯覚に陥っています。

今朝の東京新聞「こちら特報部」でも大きく取り上げていましたが、不動産売買での4億円の不記載は「政治資金規正法」違反に問うこと自体が間違っているのです。ところがこれを【市民感覚】という便利な(実は極めて恐ろしい)言葉で正当化し、なにがなんでも小沢を罪人とする。黒でなくてもクロだという印象を与えれば、政治生命を絶てるというわけです。裁判で白となっても、その時はすでに小沢はいないのです。

これは、とても恐ろしいことで、まさに現代の「魔女狩り」と言えます。

ウォルフレン氏は、このような日本人の不可解な言動に呆れ、警鐘を鳴らしていますが、わたしも集団ヒステリーでしかない検察審議会の判断や報道に怒りを超えて、ただ呆れ果てています。テレビ朝日のキャスターや朝日新聞の解説員のあまりの非論理=感情論理には毎度のことながら、言葉を失います。元官僚がキャスターの読売の日本テレビも同様です。小沢憎しで一致するマスメディアは、「市民の声」を作り上げ、それを元にして罪人に仕立て上げる。まさにチョムスキーの言うManufacturing consent(合意の捏造)そのものです。「マスコミがつくる冤罪事件」と言う他ありません。


中央公論の先月号にウォルフレン氏は以下のように書いています。

「山県有朋以降、連綿と受け継がれてきた伝統を打破し、政治的な舵取りを掌握した真の政権を打ち立てるチャンスをもたらしたのは、小沢の功績なのである。・・・・
 ヨーロッパには彼に比肩しうるような政権リーダーは存在しない。政治的手腕において、そして権力というダイナミクスよく理解しているという点で、アメリカのオバマ大統領は小沢には及ばない。
 
ところが、日本の新聞各紙はまるで小沢が人殺しでもした挙句、有罪判決を逃れようとしてでもいるかのように責め立てている。・・一体、日本の政治はどうなってしまったのかと、愕然とさせられるのである。日本の主だった新聞の社説は、たとえ証拠が不十分だったとしても小沢が無実であるという意味ではない、と言わんばかりの論調で書かれている。これを読むと、まるで個人的な恨みがあるのだろうかと首を傾げたくなる。日本の未来に弊害をもたらしかねる論議を繰り広げるメディアは、ヒステリックと称すべき様相を呈している。」


また、友人のCmoonさんは、以下のような正鵠を得る指摘をいています。

「検察審査会は、審査申し立てによって始まるわけですが、鳩山、小沢両氏の件を申し立てたのは、「ある市民グループ」としか報道されていませんが、「在特会:在日特権を許さない市民の会」というグループ」

「およそ1年の時間と20億円ともいわれる捜査費用(税金)をかけ、特捜が強制捜査を行った結果、公判に耐え得るような証拠もなく、不起訴となった事実。不起訴までの経過の中で、また不起訴後も、記者会見をするたびに説明を行い続けた小沢さんになお「説明責任」を求めてきた、野党とメディアと多くの国民。
国会での証人喚問での説明でなければ「説明責任」を果たしたと言わない野党とメディアと多くの国民。
小沢さんが「私は黒です」と言わない限り、断固許さないというような風潮……
そして、今回の検察審査会による11人全員による「起訴相当」。
魔女狩り以外何ものでもありません。
たいへん怖ろしい時代です。検察国家がどんどん近付いている気配すら感じます。」

「検察審査会は、公訴権を独占している検察の不起訴処分に民意を反映させるべく生まれた機関で、審査会の構成員は、市民から抽出され(11人)、民意の反映ということでは、意義があるのですが、審査の過程で、なぜ起訴できなかったかを説明するのは検察官のみで、不起訴は妥当と主張したい被疑者側(今回は小沢氏側)の主張は全く聞き入れられません。」

「郷原信郎さんは
「政治・経済を検察が歪め日本は非常に危機的な状況にある。今必要なのは検察の正義というマインドコントロールから国民が脱却することだ」
また皮肉を交えながら
「今回の小沢への検察の無理筋操作で検察は刑事的には失態だったが、政治的には大成功した。検察は政治団体として登録したらいい」」


まことに恐ろしい事態が進行しています。理性ある市民は協力してこの異常事態を改めましょう。


武田康弘
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コメント

Unknown (古林 治)
2010-04-28 12:48:47

予想されたこととは言え、検察審査会の結論を聞いて背筋がゾッとしました。議決要旨を読みましたが、きわめて情緒的な理由が書かれているだけでした。検察リークとそれを鵜呑みにするメディアによって作られた小沢像(小沢一郎=極悪人)に対する怒りがこの結論を導いたのでしょう。
検察の狙いは無論、官僚支配を打破しようとする急先鋒・小沢一郎の社会的抹殺であり、小沢を有罪にすることでも政治と金の問題を解決することでもありません。
官僚支配の社会を維持すること、そのために検察=絶対的正義、金権政治家=巨悪のイメージを温存すること、なのです。今のところ、検察の意図はうまくいってるようです。

一体いつからこんなことになっているのか。
郷原信郎氏(「検察の正義」ちくま新書)によれば、それは1954年に始まった造船疑獄事件からです。
造船疑獄事件の一連の捜査で自由党幹事長であった佐藤栄作を収賄容疑により逮捕することになるのですが、時の法務大臣の指揮権発動(政治家の介入)により、佐藤は不起訴となりました。このことによって、「検察の正義」VS.「金権政治家・巨悪」という構図が定着し、以後、政治家(主権者の代行者)による検察権力の監視(指揮権発動)がタブーとなり(事実上なくなり)、検察の暴走がずーっと続いているというわけです。
ところが、この逮捕劇自体は無理筋で、実際には検察が捜査に行き詰まった挙句、面子を保つため、時の政権(吉田茂首相)との裏取引で法務大臣の指揮権発動を依頼し、止む無く不起訴ということにしてもらったのです。
この構図(「検察の正義」VS.「金権政治家・巨悪」)の維持はその後も再生産され続けます。田中角栄、金丸信、竹下登、そして小沢一郎です。

政治と金の問題を否定するつもりはありませんが、それ以上にはるかに大きな問題は、主権在民の社会を築くために120年続いた官僚支配を打破することです。
検察(官僚)は私たち主権者のために正当・公正な権力を行使しているのでしょうか。それを確かめる術が私たちにあるでしょうか。メディアはそれを監視しているでしょうか。
事実は、私たち主権者の代行者である衆議院議員かつ与党幹事長に対して強制捜査まで行い、何の罪も認められなかったということです。
これは一体どういうことなのでしょう。官僚(検察)の暴走ではないでしょうか。
官僚(検察)はこの行為に対して説明責任があるのではないでしょうか。
メディアは官僚(検察)をチェックし、暴走を厳しく批判しているのでしょうか。
検察審査会は正当・公正な役割を果たしているでしょうか。
私たちは作られた小沢像のみで判断しているのではないでしょうか。

今回の検察審査会のヒステリックな反応に私は恐怖を覚えます。あたかも市民社会の実現プロセスであるかのように報道されますが、事実は真逆としか言いようがありません。
知の劣化はポピュリズムにしかならず、健全な民主制社会は育ちません。
タケセンのメッセージ、『理性ある市民は協力してこの異常事態を改めましょう。』 まったくその通りだと思います。

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冷静な?ヒステリーによる支配 (タケセン=武田康弘)
2010-04-28 13:07:50

冷静に!?集団ヒステリーをつくりだし、人々の健全な思考力を奪う、

従って、わが国では哲学は大学内の一教科にまで貶められ、哲学すること(=白紙に戻して自分の頭で考える営み)は、嫌われるのですね。

日本では学者も感情論理(好き・嫌い)しかなく、結局「ヒステリー症候群」が支配するのですが、

これは、権威ある組織が人々を支配する方程式=右も左も「集団ヒステリー」をつくり全体を金縛りにする、によるのだ、とわたしは見ます。

協力して健康な理性を生みましょう。



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Unknown (古林 治)
2010-04-28 12:48:47
予想されたこととは言え、検察審査会の結論を聞いて背筋がゾッとしました。議決要旨を読みましたが、きわめて情緒的な理由が書かれているだけでした。検察リークとそれを鵜呑みにするメディアによって作られた小沢像(小沢一郎=極悪人)に対する怒りがこの結論を導いたのでしょう。
検察の狙いは無論、官僚支配を打破しようとする急先鋒・小沢一郎の社会的抹殺であり、小沢を有罪にすることでも政治と金の問題を解決することでもありません。
官僚支配の社会を維持すること、そのために検察=絶対的正義、金権政治家=巨悪のイメージを温存すること、なのです。今のところ、検察の意図はうまくいってるようです。

一体いつからこんなことになっているのか。
郷原信郎氏(「検察の正義」ちくま新書)によれば、それは1954年に始まった造船疑獄事件からです。
造船疑獄事件の一連の捜査で自由党幹事長であった佐藤栄作を収賄容疑により逮捕することになるのですが、時の法務大臣の指揮権発動(政治家の介入)により、佐藤は不起訴となりました。このことによって、「検察の正義」VS.「金権政治家・巨悪」という構図が定着し、以後、政治家(主権者の代行者)による検察権力の監視(指揮権発動)がタブーとなり(事実上なくなり)、検察の暴走がずーっと続いているというわけです。
ところが、この逮捕劇自体は無理筋で、実際には検察が捜査に行き詰まった挙句、面子を保つため、時の政権(吉田茂首相)との裏取引で法務大臣の指揮権発動を依頼し、止む無く不起訴ということにしてもらったのです。
この構図(「検察の正義」VS.「金権政治家・巨悪」)の維持はその後も再生産され続けます。田中角栄、金丸信、竹下登、そして小沢一郎です。

政治と金の問題を否定するつもりはありませんが、それ以上にはるかに大きな問題は、主権在民の社会を築くために120年続いた官僚支配を打破することです。
検察(官僚)は私たち主権者のために正当・公正な権力を行使しているのでしょうか。それを確かめる術が私たちにあるでしょうか。メディアはそれを監視しているでしょうか。
事実は、私たち主権者の代行者である衆議院議員かつ与党幹事長に対して強制捜査まで行い、何の罪も認められなかったということです。
これは一体どういうことなのでしょう。官僚(検察)の暴走ではないでしょうか。
官僚(検察)はこの行為に対して説明責任があるのではないでしょうか。
メディアは官僚(検察)をチェックし、暴走を厳しく批判しているのでしょうか。
検察審査会は正当・公正な役割を果たしているでしょうか。
私たちは作られた小沢像のみで判断しているのではないでしょうか。

今回の検察審査会のヒステリックな反応に私は恐怖を覚えます。あたかも市民社会の実現プロセスであるかのように報道されますが、事実は真逆としか言いようがありません。
知の劣化はポピュリズムにしかならず、健全な民主制社会は育ちません。
タケセンのメッセージ、『理性ある市民は協力してこの異常事態を改めましょう。』 まったくその通りだと思います。
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冷静な?ヒステリーによる支配 (タケセン=武田康弘)
2010-04-28 13:07:50

冷静に!?集団ヒステリーをつくりだし、人々の健全な思考力を奪う、

従って、わが国では哲学は大学内の一教科にまで貶められ、哲学すること(=白紙に戻して自分の頭で考える営み)は、嫌われるのですね。

日本では学者も感情論理(好き・嫌い)しかなく、結局「ヒステリー症候群」が支配するのですが、

これは、権威ある組織が人々を支配する方程式=右も左も「集団ヒステリー」をつくり全体を金縛りにする、によるのだ、とわたしは見ます。

協力して健康な理性を生みましょう。
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