プライベートでも公共の場でも、人間がよく生きるための基本は、失敗や間違いを犯したときには、自分を「反省」し、相手に対して「謝罪」し、「償い」をすることだと思います。
わたしは、子どもに勉強を教えているとき、間違えて×をつけてしまうことがあります。また、子どもの言動を勘違いから叱ってしまうことがありますが、それが分かったときはすぐに謝ります。「先生が間違えた。ごめん。悪かった。」とはっきり誤り、償いにその子の喜ぶことをします。そうすると、子どもは、ほとんどの場合「いいよ。」と言ってくれます。それで却って絆が強くなります。
失敗や間違いや勘違い、あるいは言い過ぎたりやりすぎたりして相手に不快な思いをさせてしまうことは誰にでもありますが、その時、あれこれと言い訳をするのは見苦しく下品ですし、不愉快を増幅するだけです。また、相手に損害を与えたのなら、反省と謝罪だけではなく弁償しなければいけませんが、ゴマカして逃げる人さえいます。
損得や勝ち負け優先の生き方をしている人(ソクラテスのいう育ちのいかがわしい者)を見ると、素直に謝ることをしません。反省せず、言葉で誤魔化すので、人間としての進歩がなく、楽しく広がる人間関係が得られません。そういう人は自分のもつ「優位性」を武器にして他者との関係をつくろうとしますから、よろこびの世界にはならず、内的充実は得られず、心の内から楽しさが出てくることもありません。いつも不満足感を抱えるので、他者の粗さがしや揚げ足取りに快感をもつようになります。たえず新たな刺激を求めてさ迷う外面人間に陥るのです。
上下倫理を廃して民主的倫理に従い生きることは現代人に一番必要なことですが、そのための基本は、過ちに対しては、対等な人間としての立場で反省し、謝罪し、償うことではないか、わたしはそう思うのです。
武田康弘