思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ドイツでの新型コロナ 大陪審、核心部分18分で、必見です。

2024-11-27 | 社会批評

ドイツ 新型コロナ 大陪審の核心部分18分で、必見です。

ななこさん、お知らせくださいありがとうございます。

 

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事実学(ただの教科の暗記と解法)の累積は、単なる事実人(猿ではなく人ではあるだけ)に陥る。日本には教育がない。

2024-11-27 | 恋知(哲学)

Fb短文 2024、11後半    武田康弘

 

 ソクラテスは、「育ちのいかがわしい者をフィロソフィーに近づけるな」と言いました。善美への憧れを持たず、真実を追求せず、お金や有名であることや地位という外的価値に従う人=恩を忘れる人(自我主義者)、それが育ちの悪い者です。

 

 「エリート」(学校知の勝者)は、表層知=活字・知識に支配されて盲目だ。人間力の豊かさ=真実に乏しく、社会的評価を人生の意味とする。ほんものの愛情がなく、ほんものの理性もない。事実学(ただの教科の暗記と解法)の累積だけなので単なる事実人(猿ではなく人ではあるだけ)に陥る。恋知がないので魅力なしで気味わるい。

 人間の生きる目的は、恋知(哲学)すること、音楽や美術を味わい、創造すること、恋する=憧れること、でも、そうではない文化が蔓延して、先進国の人間ほどダメな存在に墜ちてい。目的は金と権力と愛なきセックス??(笑愚)

 日本の親は、こどもに豊かな人間性を開花させることは興味がない。聞こえのいい学校に入れることが第一。人生の意味も目的も知らないので、何も教えられない。わたしはとても恵まれていたが、多くの子は、時間と共に魅力を失い一般人に沈んでいく。哀しい。

武田康弘

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第2回「日本共和主義研究会」会合のお誘い。 日時 11月17日(日)午後2時~

2024-11-11 | 社会思想

Katsube Hirofumi (勝部裕史)   

fb 

1日前  · 
 
第2回「日本共和主義研究会」会合のお誘い。
日時 11月17日(日)午後2時~
場所 白樺教育館 (我孫子市 寿 1-20-1 ワクワクランドリー右折すぐ 寿保育園裏門前)
講師 武田康弘(タケセン)
参加費 1000円

【内容】(予定)
「公共」という考え方について
直近の国政選挙、米国の大統領選挙もあり、政治というものについても考えていきたいと思います。
タケセン曰く
『政治家の中には「国家のために」という言い方をする人がいますが、これは明らかに間違いです。』
(『恋知』-「私」の生を輝かす営み 第3章 民主制・公共思想 (クリック)より)
なぜだと思いますか?

そんなところから話の取っ掛かりになるかもしれません。

白樺教育館 我孫子市寿1-20-1
04-7184-9392
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11月30日(土)の哲学対話は、哲学の中心=認識論と言語論です。五反田アイアイスクールで。

2024-11-07 | 恋知(哲学)

6月22日(土)の続き 11月30日(土)の哲学対話は、哲学の中心=認識論と言語論です。易しく、役にたつ講座&対話です。

お申し込みは、五反田アイアイスクールまで

6月22日(土)の会が終わった後で、スタッフのみなさんと。

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11月3日(日)午後2時~4時は、第一回の「日本共和主義研究会」を白樺教育館で

2024-10-29 | 社会思想

11月3日()は、第一回の「日本共和主義研究会」を白樺教育館でします。
2時から4時まで。わたしが参議院調査室で官僚に講義した内容も入れてお話します。
どなたでもご参加できます。ぜひお出でください。参加費は千円です。資料付き。








武田康弘


白樺教育館 我孫子市 寿 1-20-1    ☎04-7184-9392





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アメリカはいまだ反省も謝罪もなし、天皇裕仁の原爆容認発言に従う傀儡政権、不退転の戦いはサイの「ナーズムオラトリオ」=広島で死んだ女の子

2024-10-11 | 芸術

いつも戦争の米国は、原爆投下への謝罪と反省いまだなし(憤)。日本政府は天皇裕仁が下した原爆容認に従い、米政府の傀儡。トルコの故ナーズム ヒクメットとファジル サイは「ナーズムオラトリオ」(1時間20分)で不退転の戦い=広島の死んだ少女への深い哀悼は、全世界が感動。URLを貼る。

「わたしが生きたと言えるために」

ファジル・サイ賛    ピアノ演奏と「ナーズムオラトリオ」

クリックで飛びます。ぜひ。


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恋知者(哲学者)とは、「恋に生きるエロースの人」(ソクラテス)

2024-10-07 | 芸術

恋愛や芸術(音楽、美術、文学・・)やフィロソフィー(恋知)は、目的であり、何かのためという手段ではありません。だからソクラテスは、恋知者(哲学者)とは、「恋に生きるエロースの人」と定義したのです。キリスト教ではエロースを邪とします。ほんとうは二律背反ですが、ギリシャの知を換骨脱胎してつくったのが西欧のキリスト教思想です。騙されないように。

プラトン著のソクラテスの対話編「パイドロス」をお読みください。岩波書店のプラトン全集では、共に傑作の「饗宴」と一緒になっています。文庫版とは訳者が異なります。入手可能なら全集版をお勧めします。脚注もあり、理解が深まります。

Amazonなどで中古が買えるでしょう。

武田康弘

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「脳幹」 恋知=哲学とは、脳幹を鍛えること。キーは「反芻」

2024-09-26 | 恋知(哲学)
古林治さんがわたしの写真とビデオ(押し相撲)を載せて、体幹を鍛えることの重要性を書いていましたので、
それでは、脳幹!?を鍛えるとは?と思い、書いてみました。
体験談です。
ーーーーーーーー
 
わたしは、考える力(脳幹?)が強いのですが、
それは何故か?とふり返ってみました。

幼いころからの毎日のような父との対話、なぜ?どうして?が基礎なのですが、
それは、いつも考える問題(自分自身の関心)があって、それを質問していたのです。
だから、教えられた通りに考えたり、やったりしないのです。納得がえられるまでシツコイのです(笑)。 なんで、それはなんで・・・・ 分からない、うん、ずっとずっと考える~~

だから本を読んで、とは大きくちがいます。小さなときから「本に頼る人は馬鹿だな~~~」と思っていました。点数のいい人と話すと、「ああ、自分で考えていないな」と思いました。それではダメだ。利口な人は馬鹿だな、と。

それで、父は結論を求めないし、言いもしませんでした(断言するタイプでは全然ないのでした)。なので、いつも自分で反芻して考えていました。結論は出ても、それをまた考えるのです。反芻です。シツコク反芻です。それが習い性になり、今でもずっとそうです。結論はあってもないのです(笑)

なので、「こうだ」という言い方をする人が嫌いです。嫌いでも付き合いますが、ああ、ダメだな~~と思っています。わたしは、小学生の算数を中心に教科の問題を教えていますが、いつもはじめに戻って(まだそれを知らな子どものように)考え、教えます。それは反芻と同じで、絶えず、考え直すわけです。でもこれは、相手(こども)に意味を追うことを求める結果になるので、頭の楽しい労働です(笑)。

この反芻の繰り返しと強度が、思考する頭をつくるのではないかな? と思います。効率よく、ではなく、教えてもらい、ではなく、自分で自分の頭で反芻して考える。というわけです。

また、それとダブるのですが、わたしは、言語で覚えない。書き言葉(=活字)を覚えるのではなく(それが苦手)で、イメージ記憶なのです。イメージ、 必要だな、価値があるな、と思うイメージを思い浮かべます。これもシツコイです(笑)。意味と価値があると思うイメージを反芻します。楽しいし、面白いし、嬉しいからです。そのイメージから必要な時に言語化しますので、同じようなことでもその時その場で、言葉が変わります。変えているのではなく、自動的に変わります。イメージは言葉ではないので、言葉から言葉へ、ではないからです。

言語は好きでなく、色や形や音が好きなのですが、でもなぜか、小学1年生のときから、作文は最高評価をつけられ、学校代表、在校生代表、卒業生代表、とされてしまい、なぜだか分からずいつも戸惑いです。文学少年ではなく、作文の練習などしたことは一度もなかったのに。わたしは、読む人に意味がわかるように書こう、という気持だけで、よい文章を書こうとは考えませんでした。

いま、書いているうちに思いました。わたしは現実から立ち昇るイメージの中に生き、何事も反芻しているのだな~~~と。
繰り返しです。筋トレと同じで、考えも繰り返すので、脳の幹がだんだんと自然に鍛えられるようです。恋知=哲学とは想いや考えの繰り返し=反芻=捉え直しのようです。

武田康弘
 
 
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【自民党は、民主主義を原理次元で否定】します。それは「自民党憲法改正草案」に明白です。高市総裁候補は国体主義者で者民主制の理念とは二律背反です。

2024-09-23 | 社会批評
【自民党は、民主主義を原理次元で否定】します。それは「自民党憲法改正草案」に明白です。9条云々の次元ではなく、主権者が市民としての国民であることを後退させ、天皇を前面にします。
 
これで自民党を支持する人は、戦前に戻すことをよしとするのでしょう。高市総裁候補は、安倍晋三直系で、右翼国体主義者です。民主制(政)の理念とは二律背反ですが、それに無自覚な国民やマスコミには憤りと哀しみを覚えます。
 
民主主義の基本の基本は皆が弁えるべきで、もともとは自民党国会議員団の先生=故小林節さんと伊藤真さんが対談した本で自民党の恐ろしさ(官僚政府独裁への道)を再認識しないと、です。

10年ほど前に出た本ですが。

武田康弘





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竹田青嗣らのヘーゲルに依拠した「他者承認の哲学」は、人間を受動的存在へと導く。既成価値の内側に閉ざすために、哲学の意味は元から消える。

2024-09-14 | 恋知(哲学)
武田fb

竹田青嗣とそのグループのヘーゲルに依拠した「他者承認の哲学」は、恋知(love of thinking)
としての哲学の息の根を止める。彼らは、西欧哲学の読解作業に依拠して「一般化の海」に沈む生を成熟としてしまう。人間の主体性を消して受動的存在へと導くために、既成価値の内側に人間を閉ざす。哲学の意味は元から消える。
 
 
 
後藤 敦子

おひさしぶりです。いま、「主体」という言葉を使うことは禁じられている(そうです→)「学習理論」(心理学)が、教育、児童福祉の現場で最大権威となっています。自分でものを考えることは禁じられており、こどもを「どこか」(?)が考える「ある方向」に「学習させ」、「どこか」が考える「リスクのない」安全な環境にのみ生きられる児童に変容させる、という…。リスクや葛藤、苦悩を経験することが認められない、これほど脆弱な、めぐまれない境遇はないと私は思いますし、訓練をへて学習理論の実践者になれば、全員、この心理療法で同じ成果が出せると、言い切る…。

日本・精神医学史を築いた、「度肝をぬく、二度と出ない」哲学を基盤とする精神医学者が次々と亡くなられて、学習理論の大問題を思考検討できる方がいない。パブロフ、ワトソンの系譜が乳幼児に行ってきた実験の重大性を考える力量を、心理学がもてない。識者? の学力低下により、現場は… ご存じかわからないのですが、信じがたい現実がありまして、書かせて頂きました。
 
デジタル機器のデジタル思考に合わせてデシタル的に生きる人間を製造し、他者承認の哲学で受動的に生きるようにします。それが成熟した人間。アナログ存在である人間をデジタル存在に変えるのが教育の主眼。訓練をそのまま受け入れるのが優秀な人。実存するのではなく存在する、人間ではなくてデシタル機器。それらを元からすべて雲散霧消させましょう~~~~
「恋知する実存者」として生きるのが人間のよさ、卓越、魅力。
 
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必読書=「日本共和主義研究」堀内 哲著  これを読まずして政治(家)はできません。

2024-08-28 | 書評

見事な書、日本を元から救うための基本書と確信します。
共和主義研究なしには、現実的な政治問題あるいは教育問題の解決の方途は原理上ありえないはずと思います。
若い研究者が著者に続いてほしいと切に願います。

これを読まずして政治(家)はできません。日本の山積し過ぎている深く大きな問題解決には、正確に緻密に全体を俯瞰したこのような研究書は必読です。必読!



武田康弘

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対テロ戦争と言う悪業・アメリカ主導は崩壊。「東京新聞」特集記事 西谷 修さんの解説

2024-08-25 | 社会批評

今朝の東京新聞特集記事です。

 

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靖国神社とは神社ではなく明治政府の施設で、死してなお国体思想(天皇現人神)に縛り付けているのは、恐ろしい仕業で許されません。

2024-08-15 | 社会批評

14年前、2010年のblogです。10年前に再録しましたが、また、載せます。極めて大切だと思うからです。


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靖国神社とは、神社でさえありません。

2014-08-16 | 学芸

『靖国神社』とは、明治政府が、従来の日本の伝統を壊して新たに政府がつくった新宗教=天皇教の施設で、明治2年に「東京招魂社」として建てたものを、10年後になし崩しに「神社」と改名したのです。

 東京招魂社(靖国神社)は、官軍=天皇側だけを祀る施設で、それまでの敵味方なく祀るという神道の思想を逆転させました。

なお、多くの戦争体験者が証言しているように、 「靖国で会おう!」などはヒドイ嘘であり、兵士はみな、故郷を夢み、先祖が眠る故郷の墓に入ったのです。当然ですが、靖国には誰の遺骨もありません。

 

靖国神社の思想と近代民主主義の思想とは二律背反です。

2010-08-15 | 社会思想


いうまでもなく、主権在民を原理とし自由と平等の理念を掲げた『日本国憲法』と、『靖国神社』の掲げる宗教イデオロギーは、まったく相いれません。靖国神社(明治政府がつくった国家神道)の思想を認めるならば、日本はもう一度、天皇主権の『大日本帝国憲法』時代に戻る他なくなります。

靖国神社は、
天皇大権を当然のこととし、明治以降の日本の戦争はすべて「聖」なるものと主張し、
韓国・中国への植民地支配はなかった!と主張し、
敵と味方を峻別し、天皇陛下のために斃れた者だけを祀ると主張し、
個人の信教の自由を否定して、兵士は日本の軍神=集合神だと主張します。

このような靖国神社の掲げるイデオロギーは、現代の日本国家をつくっている基本理念=近代民主主義の原理とは二律背反ですが、同時に、多神教の『神道』を天皇神格化により疑似的な一神教へと変えた明治政府の所業(神道の国家神道化)は「古き日本」の伝統とも大きく異なりますので、日本の悠久の歴史を主張する人々もまた「靖国思想」には反対しなければならないはずなのです。

明治政府は、富国強兵政策を進めるために、古来の「神道」を「国家神道」へと変えましたが、その思想の下では、一人ひとりのかけがえのなさは否定され、公(おおやけ)とは滅私奉公のことだとされたのです。このような国家主義=靖国思想に縛りつけられたままでは、兵士たちの霊は永久に浮かばれません。
彼らは、戦争のない平和な日本を夢見、差別のない、一人ひとりが大切にされる社会を夢見たはずです。天皇を神として崇め、それに従う人生をよしとしたのではありません。天皇の官吏(官僚)が治める自由のない日本をよしとしたのではありません。軍人が威張る日本をよしとしたのではありません。互いの自由を認め合い、皆でつくる平等なルール社会を夢見たはずです。
死してなお、靖国思想に縛りつけるのは、戦死者への冒涜でしかないのです。政府の絶対の責任として千鳥ヶ淵の拡張整備を行わなければなりません。

65年間、その義務を怠ってきた政府に対して、わたしは激しい公共的な怒りと憤りを感じています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下は、『靖国神社』の遊就館で売られている宣伝パンフレットからの抜粋です。すさまじい内容です。

小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)の談・1999年8月



「靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。

この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。

靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。

あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。

実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。

だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。」(小堀桂一郎(靖国神社の理論的柱、東京大学名誉教授)

 

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天皇制をやめて、日本共和国にしないと、永遠に不幸です。

2024-08-15 | 芸術

小学生の政治クラブ(文京区立誠之小学校5年6年)以来、60年間、憲法大改正=天皇制をやめて、日本共和国にすべし、と言い続けだが、いまだそういう政党さえない。恐ろしいほどイカレタ日本という幸福をつくらない国。超特権者を人権はく奪してつくり、その前に拝跪する。病気の国です。

武田康弘 哲学者(恋知する実存者)

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天皇家の思想は、到底容認できるものではありません。もう詰んでいます。

2024-08-15 | 社会批評

天皇家の思想は、到底容認できるものではない。遺伝に女性は関係ない、男がすべてというイデオロギーを今日でも主張し実行するのは、ありえない話で、そういう存在が日本国と日本国民統合の象徴(憲法1条)とは、理性なしもいいところです。日本人は哀れ。(前のBLOGに書いた通り、女性を入れた家系図を書くことは、絶対に不可能です)

 

Katsube Hirofumi
最近は、「天皇制」という言い方は間違いという論調まで出ています。
「君主制」というべきでしょうか?... 
いや、間違えました。
「天皇教」でしたね。
 
武田 康弘
最近ではなく、昔から、体制派ーウヨク国体主義者ー自民党は、天皇制というのは左翼の言い方、と言っていました。
おおばか三太郎の能なしです。
税金で支える仕組みを制度ではないというのは、天皇=神というイデオロギーが背後にあるからで、それでは人間の社会を超えています。
明治政府が作成した疑似一神教が天皇教ですが、その思想(国家カルト)に基づく、現実の制度が天皇制です。
 
 
Katsube Hirofumi
エックスで、知り合ったのですが、なるほどと思うことをいう人がいました。
⬇️
『そもそも今の日本は国ではなく明治以降打ち建てられた巨大な新興宗教ですから。 日本を国と捉えた批判が噛み合う訳がない。 信者にとって日本の批判は教義批判に等しいので異端と見なし出て行けとなる。 日本が自ら変われないのは宗教の信者にその宗教の教義は変えられないのと同じだと思います。』
 
 
 
武田 康弘
その通りです。信者とはそういうものですが、日本を天皇教信者の国とするなら、民主政(制)とは原理がことなります。なので、右翼は主権者を人民とする(主権在民)社会思想を否定します。
わたしは、小学生の時に学校に政治クラブをつくってもらい、それ以来自民党打倒!天皇教にもとづく天皇制廃止を目がけてきたのは、民主主義をつくるためです。
「社会契約論(ルソー)に依らない自民党憲法案をつくりたいので」、と参議院法制局に協力依頼に参院の連中がやってきた(荒井達夫さん談)のは、彼らの無知蒙昧をよく表しています。国連やめる気のようだ(笑)旧敵国条項は残しておいた方がよいですね。
 
金時綾小路
仮に天皇家が神武天皇から始めたのが事実として日本人の多数がそれに習うと言う精神的文化、精神性であるとするなら、大日本帝国と元首であり皇軍の名称はつけるべきでは無いと、形式であっても皇族のトップは外すべきと考えるが現実には御前会議にて作戦会議は行われ、又近衛兵は裕仁天皇を守る為の予算経常もあった訳だから、国家イデオロギーと天皇教の関係性から戦争責任は当然裕仁にあると言う考え方は有るするのは必然と私は思います。尚宗教教義など生の人間の生き様に無縁、遠ざけて生きてこそ自己の確立を養うもので、何かの組織化された宗教に宿るものではないと思う。ましたやGHQと裕仁、時の外務省は特に裕仁天皇は沖縄を基地と差し出し、外務省は米軍を日本に基地使用を要望した事、これは最近になって知った事ですが時間経過と共に事実が現れます。驚いたのは東條英機のお孫さんに年金が支給されている事です。政治的に想像が膨らみますね。女性天皇に女性でも好いのではの発言を、石破が発言しましたが、男子を産まなければのプレッシャーはあるだろうが、基本は武田さんが提言されたように京都へ帰還、形式業務から離れ人として生きるが賛同ですね。神のイデオロギーを信じる人は自身を信じない生き方。神は多数ありますから迷う根源の基。天皇が一番怖いもの共産主義。
 
 
武田 康弘
明治維新の輩が、吉田松陰を神格化・絶対化して暴力革命を成し遂げ、人々はその国家カルト思想とすさまじい暴力の力に従ったわけですが、
ルソーの言う通り、最初の暴力が人民を奴隷とし、奴隷はその暴力への恐怖心(裏には天皇現人神の信仰がある)から永遠の奴隷の生を歩みます。学者などは気が弱いので本にしがみ付き言い訳の言辞に終始します。ますます権威や権力の前に拝跪し深く奴隷になります。人々から背骨を抜くのが彼らの役割りですー東大病・官僚主義は、天皇教と三者一体による日本支配の思想であり仕組みです。
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