サイクルとか言っている人でまともな人をみたことがない
読んだ。
読み始めて、どこかで見かけた雰囲気だな、と思ったら、岸氏のブログを以前覗いたことがあったのだった。氏の文章はそんな風に記憶される性格のものである。
屡々「最近は大きな物語が失われて……」云々と、却って大きな物を人にぶつけようという人も多いわけだが、問題は、いつもそんなところ――物語がでかいとか小さいとか――にはなかったのだということを思い出させる良い本だった。ところどころに、素晴らしく鋭い認識が書かれていて、それは、筆者が子どものときに拾った石のようで、平凡さに輝いている。要は、それを蹴っ飛ばさなければよいのである。しかし、これは、チェスタトン的なものとは異なるものだ。
岸氏は、「昼飯なう」には美しさがある、と本の冒頭近くで言っている。私は、美しくない、人のあごの動きは美しくない犬と同じだ、と思ったが、読み進めていくうちに、やっぱり犬のエピソードが語られていて、私の予想を上回る素晴らしいものであった。私は教育学や社会学で用いられる「物語」の概念にかなり批判的であるが、岸氏の用い方は本質的だったと思う。
たぶん、岸氏のすばらしさは、物に対するフェティッシュな感覚が強くないところだと思うんだが、どうであろう。断片的なものは普通呪物的なものに変化しがちと思うからである。
勇気と哀しみを与える本であった。