
又、たちかへり、
夏引のいとことわりやふためみめよりありくまにほどのふるかも
御返り、
七はかりありもこそすれ夏引のいとまやはなきひとめふために
上の歌は、ボンクラ兼家が仕えている兵部卿の宮のもので、夏引きの糸じゃないが二人も三人もの奥さんの間を歩き回っていりゃ出仕の暇もないよね、という感じで。ボンクラは兵部大輔。暇な職なのである。よくわかんが、出仕しなくてもいいレベルなのだ。コロナじゃなくても在宅勤務だ。で、上司からメールが来たのである。
いまなら「このゴミクズが、首だっ」となるところかもしれない。――いや、ならない。わたくしはトランプ出演のワイドショーを見すぎであった。むしろいまなんか「先月はちゃんと来られたよね。これを思い出してきてみよう」とか寄り添われている可能性が高い。
閑話休題。ボンクラはちょっと蜻蛉さんとよりをもどしつつあったので?面白い歌を返せるのであった。「いやー七人もいましてね、一人や二人の妻だったら時間がなくなるほどのことじゃありません」と返したのである。
GO TO HELL
となるべきところが、宮も暇なのであろう。
君と我なほ白糸のいかにして憂き節なくて絶えんとぞ思ふ
二め三めは、げに少なくしてけり。忌あればとめつ
優しい……。兵部の卿であるから軍事部門ではないか。わたくしならただちに蜻蛉宅を包囲し焼き討ちにするところだ。蜻蛉さんをふくめて、彼らは暇なので言葉遊びばっかりしている。この習慣は、いまでも残っており、3密とか、ステイホーム週間とか言っている。
八月になってから急に蒸々と気温が昇って、雨気づいた日が続いた。何処の家の蚕にも白彊病が出始めた。拾っても拾っても後から後から白くなって死んで行った。ひどいところでは一晩のうちにぞっくりと白く硬化した。役場で配った薬を蚕の上に振りかけて消毒して見ても、なんの効果もなかった。土間に白く山盛に放り出した死蚕を眺めて人々は張合のない顔を合せてゐた。
天竜川には毎日河上の方で捨てる蚕が流れてくる噂だった。そして日日の新聞は日増に繭の値の下落を報じた。
「へえまあお蚕飼ひはつくづく厭ァになつた!」
女房達はさう云って顔色をわるくしてゐた。
――金田千鶴「夏蚕時」
夏引きの……。平安時代だって死屍累々の風景が広がっていたに違いない。科学と資本主義はいろいろなものを見させる。本当は言葉遊びはそのあとで真に始まるべきなのである。